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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑲克服した芸域の空洞化(下の中⑫)

 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの芸は、「生命力」となるものが加わったことで、芸質に慈悲忍辱(じひにんにく)の精神を伴った深みと、スケール感の膨らみが際立つようになった。
それを以って、この年の第66回の紅白で披露した「帰らんちゃよか」が大衆の感動を呼び込み、好評につながっている。
更にその後も、3点の「生命力」の見どころを熟成させていることで、「紅白」連続出場とか、「金スマ」、「UTAGE」なとに出演の機会を得て、視聴者に感銘を与え続けている。
それは特に、若い諸氏らの世代においては、従来の殻を破る破壊的歌唱力という魅力を呼び込み、ブレーク現象を起こしている。

 だが、島津亜矢さんはそれでも満足はしていない。
素人目で見て、登山に例えれば、「心に届く芸」の八合目を超えいると感じることから、このあたりで満足してもよいかと思われる。
ところが本人は、まだ二合目だと考えている様子である。それは今の芸の立ち位置は、自分が考えている芸の入口に過ぎないと思っているからであろう。
果たしてどちらが正しいのであろうか。

 ところで、島津亜矢さんのこうした「心に届く芸」による現象を、一歩引いて客観的にみてみると、その芸はとてつもないスケールの大きさを感じるものに仕上がっていることである。
その効果は、聴く者の心を太くして、豊かにしてくれていることである。それは、勇気が湧き、心が優しくなることで分かるだろう。
このような芸こそが、鑑賞力のある人も無い人も満足感を味わえる芸であり、戦いの軍配が芸人に上がる芸なのである。

 さて、こうして布施明さんとのコラボにおける「生命力」の箇所を列挙してみると、「生命力」が、観客の満足感を充たす重要な要素になつていることが、素人でも分かるかと思われる。
このように誰もが「生命力」を感じ取る芸に仕上げたのも、この芸を10年近い時間をかけ、第四次の脱皮を図って完結させた努力の賜物であろう。

 こうしたありさまは、他の芸人ではそんなに多く見ることはないと思われる。
しかも、見逃せない大切なことは、それらが本人の無意識のうちに、自然になされていることである。
それはまるで、呼吸するのに無意識に空気を吸い込んでいるごときのように、あるいは日常生活のありふれた習慣のごとき振る舞いに感じられるように、自然さが際立つことである。
観客に迎合する芸にありがちな、満足感ありきという結論・結果から始まる芸にみられるものが、そこにはないからである。言わば、恣意的な振舞いからくる特有の不愉快を、覚えない美しさがそこにあるからである。
例え、恣意的な振舞に近いと思われる芸であっても、実に清々しい清涼感あふれた仕草や態度の芸に感じられるのは「生命力」による不思議である。
それは真摯さに包まれた誠実さが芸に迫力を加えて、それが歌声も含めて自然なものになっていると云えるからであろう。
その自然さが人心を突き刺すのである。今や、島津亜矢さんのその芸が芸人たる風貌になりつつある。


 また、驚きは他にもある。
それは、世阿弥の云う各年代で得た幾つもの初心を、忘れずに蓄えていることの驚きである。
だから芸がいつまでも瑞々しい。
しかも、芸に熱く取組んでいるのに、しつこさが無い。
それに努力を更に重ねるから、ジャンルを超えたどのような世界の芸や楽曲でも、島津亜矢の心の世界に引き込んでいく。
この蓄えた初心の多さの驚きによって、さらに芸に拡がりを感じることになっている。
 しかもこの驚きの特徴は、ジャンル超えの芸に色濃く出ることが多い。
それは、ジャンル超えの芸おいては、他の芸人さんと芸質が全く違うことにある。その違いは、芸に人格が色濃く反映されていることである。
そうしたものを生み出しているのは、真摯さに包まれた誠実さによるものであろう。


 やわらかき日射しを浴びて輝けり 冬越して舞う夢見鳥舞




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