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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑭克服した芸域の空洞化(下の中④)



 投稿者  安宅 関平

 2010年の心境の変化によって、その後に披露される芸は、何かを開眼したかのように、迷いは消えている。それにより、芸質は時間の経過と共に、すべての面で生気を含んだ目覚しい新境地が見られる様になった。

 その新境地の印象に残った主な事例を、数点採り上げてみたい。
 先ず第一は、2011年6月リリースの、アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」である。これは今までのイメージを一新するほど意味深長なものであった。この件については相当に長くなるので、後刻、改めて採り上げる予定でいる。

 次が、その翌年の2012年2月12日、NHK放映の「BS日本のうた」(愛媛県・松山市、ひめぎんホール)で、水森かおりさんと組んだスペシャルステージの舞台である。ここではすっかり迷いの無い別人になっていた。これについては、2018年1月20日投稿の「克服した芸域の空洞化(中の上)」で採り上げているのでここでは省略したい。

 次にそのまた2年後の、2014年5月18日放映の「BS日本のうた」で、天童よしみさんと披露したスペシャルステージである。
この舞台では、影の薄かった過去の時間が芸に存分に生かされ、空洞化の脅迫現象の解消・完結をみていた。そのためか、威厳に近いほど堂々とした雰囲気を醸していた。というのは、従来の芸にみた角(かど)が少なくなり、それに変わって品格と優雅さが加わり、滑らかで柔らかなその美しさの印象が永く残るものになっていたことである。
一方、相方においても何故か僅かばかりの力みは感じられたものの、天童よしみ流歌唱の上手さが光る芸であった。
 ところでそうした中で、ラストソングの「美しい昔」のコラボ芸は、極端といえるほど、過去の時間が鮮やかな形で、歌唱だけでなく舞台全体に乗り移っていた。そこには、心に深く感じる感応度の、抜群に高い魅力を発揮した現象があった。これは従来見られなかったことである。
これによって観客は、何故か理由も分からないまま、高度な深みを覚える充実した観賞を享受できるものであった。これは新しい「秘すれば花」の出現の所為であろう。

 こうしたことを見つけたのは、この2人の歌の上手さをこのコラボによって対比できたからである。
そして、そこに浮かび上がって来たのは、芸の質感が違うという印象である。それは、魚を獲るときの道具が、投網(とあみ)と銛(もり)の違いのごとくであった。
 投網(とあみ)と銛(もり)の違いとは何かを具体的に云えば、天童よしみさんの芸は、大衆に一律に歌を聞かせることに上手さが光っている芸のように思えた。一方、島津亜矢さんの芸は、個人に的が絞られた一意専心の上手さではないかと感じた。
それは歌を聴く者にとってどう違うかといえば、前者は歌が心地よく身体に触れて頭の上を通り過ぎて行く感じなのに対して、後者は歌が心を突き抜け、後ろの人を刺し、またその後ろの人に突き当たるという感じである。そしてその突き当たる心地よさが、会場全体にゆきわたる空気感をもっている。
 そこの違いを見つけたことが、島津亜矢さんの芸を見直すきっかけになったのである。その見直しの結果が、影の薄かった「過去」という時間がいつしか芸に生かされ、空洞化の脅迫現象が解消・完結していることの発見につながったと云ってよいだろう。

 では、何故そう感じたかである。
それは歌が心を突き抜けるときの感触が、以前と違っていたことにある。その違いとは、突き刺すトゲの鋭さが弱まって、円みを帯びた柔らかさを感じたことである。この柔らかさは、生来よりの個性である「慈愛」が力強く芸の出口にはびこって、トゲの鋭さを押さえていたことにある。そのことは「過去」が甦った証である。そこに、新境地への変化が進んでいることを見つけたのである。
そしてその変化を具体的に大胆に見せたのが、この歌唱を歌い終えた時である。
それは舞台上での、恥も外聞もない島津亜矢さんの涙腺の緩みである。
この緩みを見せたのは、今までためらっていた「魅力作り」の「苦労」や「努力」の跡である傷と悩みのすべてを見せて、裸の付き合いを決心したことから出ている人間像の一端であろう。
それを天童よしみさんがとのように捉えたかは知る余地はないが、いたわるかのような場面をみせている。
ここに、2人の芸の違いが表面化していたように思われる。それは行動原理にある。そこに投網(とあみ)漁法と銛(もり)漁法の違いがある。
ただ、島津亜矢さんは何故、ここで涙腺が緩んだかは分からない。
それは、司会者と天童よしみさんの会話とか、島津亜矢さんとの会話等を聞く範囲では、過去のキャンペーン時代を振り返り、2人がこの舞台で共演していることの嬉しさから来る感動であるかのように受け止められた。島津亜矢さんもそれに調子をあわせたコメントを発していた。
だが愚者は、それは少し違うのてはないかと受け止めた。もっと心の奥に深い何かがあるように感じたからである。このことについては、次稿で明かしてみたい。


 雪解けの土からのぞく蕗の薹(ふきのとう)
          愛でたきおもい母が蕗(ふき)味噌




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