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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑤~「芸の魅力」⑳-⑪克服した芸域の空洞化(下の上)

 

 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんは、歌が上手くなりたいとの思いで歌い手になった。
その芸における魅力は、すべての自分を観客に晒(さら)す、その刺激によって沁みでる人格の美しさにある。

 だが、その魅力は当初から備わっていた訳ではない。当初は少し上手くなろうとすると、鞍馬の天狗の魔力が襲い、一向に自分の思うようには上達しないことが続いていたようである。
この苦しさの原因を探すのに10年、そこから脱却の手段を探るのに10年、併せて20年もの靄(もや)のかかった時間の中をさ迷ったようである。そしてその間に、何かを悟っている。

 この悟りに至ったきっかけは、心の空洞化を突き止めたことにあるようだ。これが芸の上達が思うようにいかない根本だと分かったのである。
そこで、心の空洞化はどうして生じるのかを探すことになる。そして気付いたのは、歌が上手くなりたくて一人で力むのはよいとしても、その力みが度を越し自己過信に陥ろうとしているのではないか、との思いに至ったことである。
自己過信に陥ると自分の実力以上のことをしようとする危険がある。それは一歩間違えば自分の希望を破滅することにもなりかねない。
怖いのは、芸の向上に関して今まで挫折らしい挫折を味わったことがないことである。今のこの自信は、挫折の経験のないその中から生まれているものである。そう考えると、この自信は自信となる何の根拠も無いものであることに気付いたのである。
その反省の結果、人の言葉に耳を貸し、自分の行動に注意深くなることを自覚するに至ったものと思われる。
このようにしてまず、苦しみの原因を探すのに10年の時間を懸けたのである。
こうした原因を探す過程を言い換えれば、悟りのきっかけとなった心境の変化は、心のどこか片隅に鞍馬の天狗が住み着いていて、その天狗は挫折を持たないふわついた自信を背に担ぎ、芸の中で暴れまわっているのではないかとの思いに至ったことにある。

 そして、見つけた原因から脱却する手段を探ることさらに10年、その結果、要約、「温故知新」の精神にめくり合えたようである。
 この精神との出会いは、人の言葉に耳を貸し、自分の行動に注意深くなることによるものであった。それによって、心の空洞化とはいかに難敵かを知り、この難敵を退けるのは、「温故知新」の精神だと思われたのであろう。
その理由は、この精神とは古いものを訪ねて新しいものを見い出すことである。
このことの主旨を、新しいものを見い出すために古いものを捨てるのではなく、古いものを大切にしてその上に、自分が創り上げた新しいものを乗せていくことであると悟ったようである。
それによって、過去と現在と未来の時間が分断されずに継続できる。この継続の大事なことは、芸が三つの空間を自由に飛び回れることである。これにより、芸の幅が広がり、厚みが生まれる。
島津亜矢さんは、芸の上達の第一歩はここから始まるものと踏んだようである。この時初めて、生きた芸とは、芸が呼吸をしていて鼓動を感じることだと察知したのである。
 だが、難題はまだ残っていた。「温故知新」で対処するには、自分の持つ修羅の妄執(もうしゅう)を晒(さら)すことが要件である。これは今まで最も避けてきたことである。
にも関わらず「温故知新」での対処を決断をしたのは、呼吸して鼓動を感じる芸への上達の第一歩を踏み出すことを優先したかったからである。
芸のために己を捨てたのは、この時である。
 それは素晴らしい決断であったようだ。
というのも、その決断によって、失おうとした芸人の年輪を守り、魅力の劣化という難題の克服につながっている。その上、芸の上達はそのスピードを上げるのである。


 きのうより畳目ひとつ伸びてくる
           かすかに日差し増す春隣(はるとなり)




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