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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-③~「芸の魅力」⑰-⑦島津亜矢さんの芸の深層(下)



 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの芸にみる「誠」の輝きは、観客にとって贅沢なものである。その贅沢は、以前に記した料理の「煮え花」の例えと同質である。
「煮え花」については、2017年3月10日から3回に渡る<内堀・編>の投稿で採り上げているのでここでは繰返さない。

 では、島津亜矢さんの今回採り上げた布施明さんとの「マイ・ウェイ」のコラボレーション芸における「煮え花」に似た「誠」の贅沢は、どこに旨味があって、どこが美味しいかである。
それは、「誠実」さを包み込んでいる「真摯」さは熊本の人情から来ており、包まれている「誠実」な姿勢は熊本の風土から来ているところにある。
それに加えて、習練して発する歌声や芸に伴う仕草は、肥後の自然が育(はぐく)んだ「もっこす」精神によつて培(つちか)われたものである。
このように島津亜矢さんの「芸」の土壌は、以前に記した田圃道の木陰ですれ違った農婦の一言にみる人情味と、清流を上り下りする小魚の飛び跳ねる様子にみる熊本の活力によるものである。
これらを映している芸が、旨味となって美味しいのである。
特に、島津亜矢さんの地元・熊本の人々にとってみれば、それは自分を見ているようなものであろうから、島津亜矢さんのこの旨味、美味しさを振り撒いている活躍には、一入の感慨を覚えるであろう。
 そして、さらに加えれば、「魅力作り」に要した宿命の「苦労」や「努力」の跡とは、言わば職業病の治癒した痕のようなものだから、人前で見せる性格のものではない。だが、そうした宿命の跡を、熊本の土壌が包み隠して保護しているのである。
この土壌の、傷跡を隠して保護する様子は、実に巧みで美しい。それは、傷跡を隠す白い包帯が、無垢で清らかな光彩を放ち、すがすがしい美しさで芸に溶け込んでいるからである。そのため一見、そこが傷跡だとか、包帯だとかに気付かない。それは、無垢で清らかな光彩が、芸の味の美味しさを際立たる働きをなすことで、その分だけ爽やかさが増し、芸に清々しい美しさが拡がって感じられるのである。
これは凄いことである。しかし、こうしたところを見せることは、逆に傷跡を見せることでもある。だか、ここを島津亜矢さんが最も大切にしているから、ワザが呼吸をして生きた芸になるのである。
この現象は、時折懐かしそうに口にする熊本弁の暖かさの中や、芸に力強さとか迫力を表現する場合に現れる。

ところが、観客にとってこれら一連の美は、瞼が瞬(まばた)くその一瞬で変化することが多い。
その変化とは、芸能と云う漠然とした霧にまとわれ、ぼんやりと霞んでいる情景の芸が、歌という形の芸でくっきりと判別できる情景に変わることである。その変化で芸能であった歌が、より身近な観客自身の歌になる。だから解かりやすくなるのである。このように、島津亜矢さんの芸は抽象的な芸を具体的な芸に変換して、わかりやすくする特質がある。
島津亜矢さんの芸で、他の芸人さんとの違いはここにある。

 では、歌がより身近で解かりやすくなるのは、何故かである。
それは、島津亜矢さんと共に掴(つか)んだ「歌の誠」が、観客と芸人で分かち合える楽しさによって、芸が二倍の大きさになって迫って来るからである。芸のズームアップ効果である。
このズームアップ効果の特質は、芸人の真心と観客の真心が、ぶつかり溶け合う瞬間をみることである。
ここに、芸の楽しさが身近で倍加されて感じられる要因がある。
 このことは、前々稿の冒頭で、島津亜矢さんの歌唱芸は観客に喜んでもらう範疇(はんちゅう)をはるかに超え、さらにその奥深いところにある何かを、共に探しにいこうと誘っているとしたことの結果である。
言葉を変えれば、スケール感で芸の拡がりをみる本質は、ここにある。

 そして、こうしたことの結果としていえることは、島津亜矢さんの「芸域の広さ」とは、歌唱曲のレパートリーが広いだけではない。とのような歌でもソツなくこなせることだけでもない。それは、「島津芸」に触れた人の心を、無限に近いほど広め、癒やしてくれることにある。
また一方、芸人が避けようとしている、努力と苦労を背負う「宿命」の傷跡をも、恥も外聞もなく見せるところで、「芸域の広さ」を引き立たせているように思われる。
しかも、それを見せることによって芸がより身近に感じられ、「歌の誠」のある場所へ誘ってくれているという実感に結びつく。
芸の奥の深さ、芸域の広さを伺い知るのは、この実感の働きにあるだろう。

 島津亜矢さんが見せた布施明さんとの「マイ・ウェイ」のコラボレーション歌唱から感じた「芸域の広さ」とは、このようなものである。
島津亜矢さんの芸能鑑賞によるこうした現象は、2017年11月15日投稿の、「姿月あさと・島津亜矢ジョイントコンサート」の中で採り上げている2009年3月15日の「BS・日本のうた」と、2017年10月29日の「新BS・日本のうた」で披露した北島三郎さんとの共演の舞台でも、同様なものがみられる。
 ここに島津亜矢さんの芸の深層部分をみるのである。この深層部分にみる魅力が、芸術性である。

 ところで、島津亜矢さんの芸が持つこの豊富な芸術性を、最も注目しているのがNHKかと思われる。
と言うのも、2018年1月7日放映の「新BS日本のうた」でド演歌の「一本刀土俵入り」を歌わせ、併せて文部省唱歌の「仰げば尊し」も歌わせている。さらに、2017年の紅白では洋楽でベット・ミドラーの「The Rose」を歌わせている。また更にさかのぼれば、2017年8月5日「思い出のメロディー」で文部省唱歌「故郷」を披露している。
この流れを見ると、NHKは芸術性の豊富さだけを訪ねているようではないように思われる。
 では、他に何を目論んでいるのか。それをそろそろ考えてみる時期に来ているかも知れない。


 盆栽に咲くや一輪冬至梅 舞い散る雪もフワリと避ける




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