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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑦~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑤-⑦-③-④~イノベーションの環境と変遷⑨-⑥イノベーションメカニズム環境の激変(下の上)



 投稿者  安宅 関平

 ところで、懐メロの主体となっている演歌は、メッセージ性と叙情性の要素を持つ流行歌から分離したものである。
分離の原因は、アメリカから入ってきたフォークソングの隆盛にあった。
それは、流行歌のもっていたメッセージ性をフォークソングが担うようになったことから、演歌は叙情性の要素を中心とした世界観を確立していったのである。この叙情性に日本的イメージがあるとして、レコード会社の販売戦略で演歌と名付けたのである。
これが1960年代(昭和35年代)における流行歌謡の変化である。
その後も変化は続く。1990年代(平成2年代)にJ-POPが定着するようになる。J-POPとは「日本のポピュラー(大衆的)音楽」を指す言葉である。
この新しいジャンルは、ニューミュージック、ロック、フォーク、演歌等との境界線が、必ずしも明確ではない。そのためか、演歌のジャンルはさらに若者からより薄い存在となって、日ごとに関心が持たれなくなったようである。
 同時にこの時期、カラオケが開発され、そのブームが到来する。すると音楽業界はカラオケの歌いやすさに着目し、独特の歌唱法を要する演歌は不向きと見做し、歌いやすさ中心のカラオケ向け楽曲に傾注する。このことが必然的に演歌歌手の質の低下を招き、それが顕在化してきた。
加えて、演歌愛好者の高齢化に拍車がかかるのである。

 こうした時期に、島津亜矢さんが鍋蓋を持って、立ち上がったのである。
演歌業界の進もうとしている道の方向は少し違うのではないか、もっと、より高い質の向上をもって、大衆にアピールすべきでは無いかとして、1991年5月、「愛染かつらをもう一度」で、世に問いかけたのである。
それが一定の社会的評価を得たといってよいだろう。ただ、これが評価された要因はほかにもある。
それは演歌歌手の歌唱力の高さが、世界的にも評価されていたことと、同時にこの頃より、物の豊かさから心の豊かさへと、大衆の好みが量から質へ変わり始めた時期であったことである。
このように、世相の潮の流れが変わろうとした時期に、投げかけた島津亜矢さんの「愛染かつらをもう一度」の楽曲は、大衆には新鮮に映り好評を得たのである。だが演歌業界での反応は割と冷めたものであった。
その意味では世に投じた一石は、演歌業界には通じなかったといってよいだろう。
 業界は演歌の振興を真剣に考えていれば、この時機は絶好の機会であったように思われる。
それは、演歌歌手の歌唱力という特質と世相の変化を生かして、「歌える楽曲」以上に「聴く楽曲」の芸術性に着目すべきだったのである。それによって、西洋の精神文化がクラッシック音楽のなかにあるように、日本の精神文化が演歌の歌唱芸術にあるとして、演歌の楽曲や歌唱力のより高い質のレベルアップが図られ、海外にも発信できたように思われる。そこに新しい世相にあった演歌の世界が生まれ、演歌がよみがえる絶好の機会となるはずであったと思われる。
というのも、この直後から、経済のグローバル化が叫ばれ、海外で日本の企業戦士と呼ばれる人材の活躍が注目された。
彼らのその努力の結果、日本の企業は旺盛な海外進出を果たし、近年に至っては、海外企業の買収競争が展開されている。
企業戦士の彼らは、この間、海外で日本を理解してもらうのに非常な苦労をしていたのである。その手段にスポーツ面で相撲や柔道の紹介、文化面では歌舞伎、茶道、華道、禅などの楽しみ方など、日本の古くから育んできた「おもてなし」のこころを、一生懸命に説くという形で、外国人に日本を解してもらう苦労は絶えなかったのである。
この中に何故か、音楽という言葉は聞かれない。もし、「聴く楽曲」の芸術性を盛り込んだ一曲の演歌があれば、それだけで充分に日本を理解できるものになっていたであろうと思われる。
 だが残念なことに、その認識は演歌・歌謡曲の業界に充分浸透せず、愛好者の高齢化も加わってか、大きなヒットに恵まれることなく、ついに演歌はマンネリの代名詞となって、衰退という急こう配の道を駆け下りたのである。

 しかし、2000年(平成12年)以降、氷川きよしさんを初めとする若手芸人の登場で、やや息を吹き返し始めようとしている。
そして、これを契機にして、演歌業界も過去のスタイルに捕われずに進路を変えようと試み始めたようである。
いわば、イノベーションのメカニズム環境が、改善の方向に向っているかのようである。
それは具体的には、ヒップホップ・ミュージックやラップ・ミュージックのような、軽くて早いリズミカルなミュージックで歌うムード歌謡とか、フォークソングを歌謡曲風にアレンジしたものなど、他のジャンルのよい部分を取り入れた新しい動きがそれである。

 それは、ようやくイノベーションに取り組みだしたと考えても、良いのかもしれない。
しかし、その冒険はいま始まったばかりである。
大衆にとって、それが海のものとも、山のものともつかない具合からみると、技芸の新基軸を確立できるのは、まだ相当時間を要する気配である。というのは、その新しいイノベーションの方向が、大衆に向かってのものなのか、一部のマニアに向かうものなのかが、定かでないように思われる。
 
 ただ、山が動き出そうとしていることは事実のようである。
 だがしかし、その山の動きには、大切なものを置き忘れているように思われる。この忘れ物があることに気付かなければ、技芸の新機軸はおろか、イノベーション自体が意味をなさないことになるだろう。
それは、この山の動きの中に、島津亜矢さんが努力してきた「歌唱力の向上」という分野の取り組みが、置き去りにされているような気配を感じるからである。ここに至ってもまだ、相変わらずカラオケ歌唱を中心とした楽曲の展開に終始し、歌唱力の改善のみられない実態の展開を見るからである。この歌唱力の改善が、演歌・歌謡曲復権のターニングポイントだと気付くまでは、演歌の復権は難しいのではないかと思われる。
 いずれにしても、早急に、「昭和の名曲」という過去の栄光に頼っていることからは、脱却する必要がある。


 年の瀬にたれが打つのか鐘の音よ ひとつ遅れて我が身がゆれる




 
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