FC2ブログ

幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-③~「芸の魅力」⑰-④島津亜矢さんの芸の深層(上)



 投稿者  安宅 関平

 さて、真摯さと誠実さと謙虚さが、島津亜矢さんの芸にバネとなって絡むとは、どのようなことであろうか。
そして、それが「芸域」にどう影響しているかを探ってみたい。

 島津亜矢さんの芸に接すると、真摯さ、誠実さ、謙虚さを感じ、芸がまろやかで美しく映る。それは真摯さと誠実さと謙虚さが、芸と一体化して馴染んでいるからであろう。
更に、より注目すべきことは、それらの馴染んだ芸が、観客に楽しんでもらおうとする範疇(はんちゅう)を超えて、芸の更に奥深いところにある何かを、共に探しにいこうと誘っている姿にみえてくることである。
芸がこのような姿にみえるのは、影で真摯さ、誠実さ、謙虚さが柔らかく芸を包んでいるからではないかと思われる。
 では、真摯さ、誠実さ、謙虚さは、島津亜矢さんの芸において、どのようなさまとなって現れているのであろうか。
そこで、「真摯さ」とは、真面目で熱心なさまを言うものである。
「誠実さ」とは、私利私欲を交えず、真心をもって人や物事に対処するさまを言うものである。
「謙虚さ」とは、控えめで、つつましいだけでなく、へりくだって素直に相手の意見などを受け入れるさまをいうものである。
 こうした概念からすると、島津亜矢さんの芸におけるさまは、真剣に取組む「姿勢」の純粋さと、歌に尽す心情以外に何の不純さもない熱心さで、芸の向上に貪欲であるという真情を吐露している様子を指すものである。

 次に、ではそうした中で観客と共に何かを探そうとするのは、どのようなことかを探ってみたい。
その探しものは、芸に取組んでいる姿勢の、その奥にあるものであろう。
その奥あるものとは、芸にまつわりついている「芸の誠」でしかない。
もっとも、この「誠」を探して当てることが、芸人に課せられた「宿命」でもある。この「誠」の細事については、後日に別稿において投稿の機会を持ちたいと思っている。そのため、ここでは採り上げない。
 さて、芸人の「宿命」については前稿において、「魅力」を求める観客に「極める芸」で応じることの、芸の「魅力作り」に必要な苦労と努力が課せられる命題ということであった。
今回のこの「誠」は、この「魅力作り」を構成する要素の一つである。
このようにして「魅力作り」の要素を、一つひとつ観客と共に探し当てようとする芸が、島津亜矢さんの芸の特質であると思うことで、芸の楽しさがより増してくる。

 ところで、島津亜矢さんの芸に拡がりを見ることについても前稿で、過去から積上げたところの「魅力作り」に要した宿命の跡が、顔を出すときであるとしていた。観客はそれを見聞きするたびに芸に拡がりを感じ、心に余裕を覚えるというものであった。
 では、拡がりを感じる宿命の跡が芸の中に顔を出すときとは、どのようなときであろうか。
それについては、芸に真摯に取組む姿勢の中に、歌を愛敬する深意が宿る心の、美しさを見せるときである。その美しさが芸を輝かせている。宿命の跡が顔を出すときとは、この輝きをみるときである。
ここでの「深意」とは、芸に対する愛敬から生まれる「誠」のことである。この「誠」は美しい。雑念を洗い流す美しさがある。
島津亜矢さんは、この「誠」を共に探そうと誘っているのである。

 ところで余談になるが、来る12月31日の第68回紅白で、島津亜矢さんはベット・ミドラーの「The Rose」を披露することに決定した。楽曲についてはそれぞれ好みのあることから、講釈は避けたいが、この決定で興味深いことは、出場4回目にして始めてNHKが島津亜矢さんの着物を脱がせられるかである。この攻防が見ものである。


 晩秋に花芽をつけて冬を待つ 木々の枝先いま春のごとき





スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿