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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑧~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑩-⑨~「芸を極める道」・その出発点③-① 日和見主義と審美眼 (上)



 投稿者  安宅 関平

 現在の演歌・歌謡曲分野が、極端に大衆から見放され衰退の道をたどっている不正常な状態のなかで、正常な「秘すれば花」と「芸を極める」の関係の本質を、これまで70稿に渡って覗(のぞ)いてみた。
これによって、観客に媚(こび)を売って楽(らく)を買う芸人と、苦を買って芸を売る芸人の、どこで何に違いがあるかを、幾分か解することができたように思われる。
しかも、不正常な環境の中においても、正常な環境の中にあっても、競争原理の下で、技芸を切磋琢磨する「芸を極める道」を歩く芸人は、いかに歩みが遅く、辛抱・我慢を必要とするかをも知ることができた。
また、正統派と呼ばれる芸は、アメリカナイズされた結論だけを求める世相にも、これまた、いかに寄り添えないかを知る機会にもなったように思える。
ところがその反面、「芸を極める道」を歩く芸人の芸の質は、地道ではあるが決して後退することはなく、確実に前進して質の向上が図られるという特質を持っていることも分かった。
この質の向上については、年輪を増すごとに、あるいは増した分だけ芸が太く大きくなり凛々しく感じられる。この凛々しさに人心を射止める働きが増していることを実感するのである。
逆に、「芸を極める道」をはずして「楽」を求めた芸人においては、若いうちから年輪を増すほどに芸の衰えに甚(はなは)だしいものがある。そこに「楽」を求めた結果が現れるようである。

 にも関わらず、大衆はこの「楽」を求めた芸を受け入れている。これは、如何なることであろうか。
それは、大衆とマスコミの関係に、何かトリックが講じられているからである。
このトリックによって、「芸を極める道」を歩く芸人の芸質の特質が覆い隠され、媚(こび)を売る芸がもてはやされるという現代芸人の不正常な芸の状態を、大衆は正常な状態だと思い込まされているようである。
このことについては、マスコミを影で操り「利」を得る族(やから)の台頭があるのではないかと以前に書き添えたことがある。そこでは、そののさばりが、業界をむしばみ腐らせているとしか思えないとも付け加えたように記憶している。
 そこで次稿では、むしばみ腐らせている具体的現象と、それを防ぐ良き方法がないかを探ってみたい。


 純白の五弁の芯を黄に染め 落ち着き澄ます茶花に初雪




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