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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑧~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑩-⑨~「芸を極める道」・その出発点⑧-⑧「姿月あさと・島津亜矢ジョイントコンサート」にみる芸への愛(下)


 投稿者  安宅 関平

 「愛」により、苦を友とし努力を快楽として重ねた精進で、開(ひら)けて行く芸の道を歩むというこのことが、本来芸人が理想とする芸の創造形態である。
多くの芸人はこうした状況で芸の披露ができることを望んでいるものと思われる。
しかし、芸を愛するには、誠実さ必要である。
誠実さには、自分の良心の命じるままに動き、相手の気持や立場等をよく汲み取って、まじめに事に当ろうとする真剣さを要する。
その真剣さの中味は、誠意の塊(かたまり)である。
その誠意が、慈愛を生むという結果を招く。
この慈愛が、観客には一所懸命さに映るのである。
さらに、このようにして生まれた慈愛でなければ、「場」の「機」を見ることも、芸に自分が酔わないとすることも、さらに加えれば、「男時(おどき)」を招くこともできないのである。
 これらを「極める技芸」と云わずして何と呼べばよいだろう。
ただしかし、これはまだ、「極めた技芸」ではなく、あくまでも「極める技芸」であることに注意が必要である。
このあたりの過程を世阿弥が観れば、「まだ充分に満足出来る者ではない」とするだろう。
それは、この「極める技芸」は、正常な「芸を極める道」への出発点である。この時期の芸は、「魅力」と「人格」が絡んだ表裏一体のもを求めるものとなる。この求める芸の途中で生じるのが、トリックとその効果の現象である。だからそれは、芸として完成されたものではないと嗜(たしな)めることであろう。
 しかし、素人にはそのあたりは分からない。ただ、それはよい芸だとしか、言いようが無い。だが、よくよく考えてみると、前稿で採り上げた2017年10月29日の舞台では、果たした役割のスケール感の違いの要因は、「場の期をみる」技量から、「場の機を創りだそう」とする技量へと進歩の跡をみせている。この変化によって、品格を伴った存在感のある芸や舞台ができ上がっている。
しかし、こうしたことは素人には分かりづらいことである。何故、分かりづらいかは、芸を時系列的に追う機会がないことと、現在の芸のインパクトに捕らわれるからであろう。だから、結果だけをみることになり分かりづらいのである。そこで、それはよい芸としか言いようが無くなるのではないだろうか。

 このように、「芸を極める」ことのスタートラインは、芸の「魅力」を探り、人間性を養う「人格」を追い求めることである。これが、正常な芸能環境においては当然なのであり、自然なのである。
この自然と思われる「芸を極める道」の険しさは、想像以上のものがあるように思われる。ところが、その道を歩んでいる者にとっては、普通であって特別なものではないのかも知れない。むしろ、楽しいものなのかも知れない。
というのも、それは相撲でいう力士の「ブツカリ稽古」に似たもののようである。身体を砂まみれにし大息をつき相手に立ち向かう。そしてまた転がされ、起き上がれない状態になっていても、這いつくばって稽古を願い出る。この様子に似ている。こうして身体を痛めつけることが力士の稽古なのである。それを部外者が見れば、苦しそうで非情な仕打ちのように感じられる。だが、これが力士の足腰を鍛え、身体を作り、心の鍛錬となり、勝負に勝ち進んでいく基盤となっているのである。だからこの苦しさが普通なのであり、特別なものではないのである。
「芸を極める道」の険しさとは、これと同様なものかと思われる。

 本来、正常な芸能環境には、芸を極めるという目標ある。芸人はその目標に向って努力する。その努力が「ブツカリ稽古」のさまなのである。
しかし、不正常な芸能環境では、追い求めるものなどは必要としない。だからこうした厳しさも生じることはない。そのためか、現代芸人の多くは不正常な環境の道を選ぶ芸人が多いのはこのためである。それは楽だからである。ただその代わり、トリック効果など発生する余地はないということになる。ここが努力という稽古をした者と、そうでない者の差である。
素人目にはこの差がとのように映るかである。
それは稽古をした者の芸には抑制感がきいて、どっしりとした重みと深さのある芸に映るようである。だから飽きがこないでいつまでも新鮮なのである。
そうでない者のそれは、軽くて薄く感じるようである。その為が、すぐに飽きが来て、古びてしまうのである。

 さて、「姿月あさと・島津亜矢ジョイントコンサート」の舞台を拝見して、ジャズバンド、姿月あさとさん、島津亜矢さんの三つ巴の戦いの迫力に接したことで、「芸とは何か」から「生きるとは何か」までを、改めて考える機会となった。
そう考えているうちに「極める技芸」においては、楽しさを求めることだけで満足していてよいのだろうかと思うようになり、娯楽のみに捉えることに限界を感じ始めている今日この頃である。
 そうしたことに拍車をかけるように、「姿月あさと・島津亜矢ジョイントコンサート」で隣席だった姿月あさとファンの方から先日連絡をいただいた。
その内容は、来るこの(2017年11月)26日に大阪の大槻能楽堂で、姿月あさとさんが能楽師大槻祐一さんと「BORDERLESS」と銘打って歌や能舞でセッションされることから、参加のお誘いを受けのである。
これには驚いた。この2人の共通点は「芸」という一語でしかない。「歌と唄」、「踊りと舞」もあるにはあるが、それはすべて世界が違っている。そうした2人が何を求めて企画したのか、その冒険心に敬服している。
この当たりに島津亜矢さんを上回る魅力を感じるものがある。こうした冒険心こそ、芸を極める為には欠くことのできないものかも知れない。
その意味では、島津亜矢さんには現状に甘んじることなく、芸を極めることへの積極性は失わず、精進を重ねることを祈っている。


 五歳かな赤いおべべとカッボリと 千歳飴提げくぐるや鳥居




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