FC2ブログ

幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑧~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑩-⑧~「芸を極める道」・その出発点⑧-⑥「姿月あさと・島津亜矢ジョイントコンサート」にみる芸への愛(上)



 投稿者  安宅 関平

 さて、島津亜矢さんの「姿月あさと・島津亜矢ジョイントコンサート」におけるどのあたりの芸が、「極める技芸」の楽しさを更に増すものだったかを追ってみたい。

 島津亜矢さんは、「場の機」を見る一瞬の「敏」と、自分の芸には酔わない「芯の強さ」を再三見せていた。さらに、舞台の隅々にまで緊張感と真剣さを漂わせて、一所懸命に努める姿の美しさがそこにあった。
この姿勢は、姿月あさとさんやジャズバンドの構成メンバーをも刺激したのか、舞台全体を「凛」と引き締めたものにしていた。
 ところで、島津亜矢さんのこうした舞台姿勢は、どうも本人の無意識の内に、自然となされているようである。こうしたところは、永年コンサート会場を芸の修羅場として心掛けてきた精進の賜物かと思われる。
 さらに注目したいのは、こうした異種バージョンのコンサートには、多くのことが大変新鮮に映る魅力があることである。相手が同種の演歌芸人ではこうした魅力は生まれないだろうし、また、コンサートのセットリストにあった楽曲全曲を1人で披露したとしても、その魅力は違ったものになっていただろう。
 「凛」とした新鮮さの第一は、宝塚レビューの流れを持する姿月あさとさんと演歌育ちの島津亜矢さんの、2人が主役であったことである。この2人の主役の芸質の違いが、真剣さと緊張感と鮮やかなメリハリを生み、「凛」とした舞台を創り出したことである。そして、2人はその中で美しく映えたのである。
その第二は、互いが真剣に学びあう心得で戦っていることから、そこに新鮮さが醸成されていたのである。それは、互いの洗練された歌唱に学びあう心得から来る刺激が強く加わり、芸がより艶やかな輝きをみせたことから舞台が「凛」としたひかりを放ったのであろう。
このあたりは、島津亜矢さんの全国ツアーコンサートでは、感じられない魅力を刺激した美しさがあった。

 ところでこうした結果は、島津亜矢さんの芸に対する取組姿勢に由来しているように思われる。
 それは、常に正面から芸と四つに組み、そこに生じる苦楽と対峙する構えで芸に挑む姿勢にある。
苦しくて具合が悪いと、いつでも逃げられる半身の構えの芸では、決してこのような結果は得られないものと思われる。
ここが、正統派芸の魅力を観客が感じるところであるが、芸人にとっては苦しさが倍加するところでもある。

 では、その取組み姿勢とは具体的にどのようなものだったかである。
それは観ていると、正面から芸とがっぷり四つに組み、逃げ場のない環境を創っていることである。それによって常に真剣に取組まざるを得ない状態に自分を追い込んでいるのである。
言葉を変えれば、幾ら苦しくとも芸を手抜きのできない状態にしていることである。こうしたことを、一般的に「苦を買う」というのだろう。
ただ、芸に対して、こうした姿勢を30年も続けていれば、それは日常化し普通のこととなる。
そこには微塵も「苦」に対する抵抗感は生じなくなっているものと思われる。むしろ、「苦」を友としているから、「苦」が楽しいのである。これは前にも述べた努力を快楽とすることに似ている。
これだから、いかなる舞台でも勤め上げられるだろうし、今回のような異種バージョンのコンサートでも魅力を発揮できたのである。

 ここに芸が日々成長してゆく源(みなもと)がある。この源は、芸の正道を歩む者にしか手にすることは出来ないものである。
こうした芸の正道を歩めむ姿勢の原点は、芸を愛することである。
というのも、芸に対する愛がなければ続けられないことだからである。
 こうした一連の現象がみられる代表的舞台芸がある。それについては次稿で採り上げてみたい。


 不思議やとまばたきもせず我を見る
             親に抱かれたつぶらな瞳




スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿