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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑦~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑤-⑦-③-③~イノベーションの環境と変遷⑨-⑤イノベーションメカニズム環境の激変(中の下)



 投稿者  安宅 関平

それ以来、鍋蓋を下ろすことなく掲げて、演歌・歌謡曲の新しい技芸を、模索し努力を続けてきているのである。
それは、いわゆるイノベーションへの挑戦である。
その目指したイノベーションこそ、それは過去を懐かしみ楽しむ中に、明日を生きる力を見い出せる技芸だったのである。
 それを、島津亜矢さん自身が、自分の言葉で表明している。
「誠実に生き、一生懸命稽古をし、皆様の心の涯に届くような歌が歌いたい。それが皆様へのご恩返しだと信じています」と。
この言葉は柔らかく控えめであるが、ここに一人鍋蓋(なべぶた)を持ってたちはざかる信念が表れている。「心の涯に届くような歌」とは、これが懐かしみ楽しむその中に、生きる力を見い出す歌である。「皆様へのご恩返し」とは、ファンや多くの支持者あっての芸人であることを肝に銘じた言葉で、その想いが転じて芸で報いたいとの信念の表明であろう。
このことをより深く、より広く追い求めてきたのである。これからもその道は続くものと思われる。
 ところで、明日を生きる勇気をもつ技芸の小さな鍋蓋は、せせらぎは止められても、大河は止められはしない。その意味では、この26年間の努力は日の目を見ることのない地道なものだったのである。ここに、何故その技芸が今日まで永く眠っていたのかの答えがあるように思われる。
ただ唯一、薄く日を浴びたのは「大器晩成」で師匠・星野哲郎氏の作詞大賞受賞に係わったことであった。このわずかな光に大泣きしている。わずかな光りとは、師匠の喜びに対するものだからである。そのような喜びに対しても大泣きするのだから、そこにあるこころの大らかさ、清らかな美しさは言葉で収まり切れない深くて熱い想いをそこにみるのである。
このように日の目を見ない努力は、つい最近まで26年間も続いていたのである。にもかかわらず、これまで不穏当な言動は一切聞くこともなく、ただ、ひたすらこの芸道を極める努力を重ねて来ている。哲学を持たない芸人であれば、この業界からとっくにリタイアしているであろう。
「歯を食い縛る」と云うのは、このことかもしれない。しかし、歯を食い縛れたのには、他にも理由がある。それは年を重ねる毎に、目標としている芸に近づいていることが、実感できたからである。努力して挑戦することの楽しさが味わえたからである。これが、明日への希望に胸を膨らませることになったからであろう。
そこに、筆舌に尽くし難いものを感じるのは、この愚者だけてはないように思える。

 ところで、このように26年も前からこうした好い事例の技芸が、演歌・歌謡曲の業界のなかにあるにも係わらず、業界はそうした努力の普及を怠り、目先の「利」ばかりに気を取られていたのであろうか。全くの無芸現象を露呈しているといわれても、それは仕方がないように思われる。
ただ、その中にあって、マスコミのNHKだけは、一貫してその鍋蓋の抵抗を、大事に育てようとしていたようである。そのお陰で島津亜矢さんの芸の命は、尽きずに済んだといっても過言ではないように思われる。
 こうした島津亜矢さんの苦労の状況を見てくると、それは平成芸人とその業界が昭和の音楽レベル水準を超えられずにいる証拠でもあると、受け止められても詮方ないだろう。

 そこで、百歩譲って懐メロ現象とか、カバーブームを認めたとしても、この現象はあまりに長く続いていて、その弊害は大きくなっているように見受けられる。
それは、もはや世相はそうした懐メロ現象に辟易(へきえき)し、他のジャンルの音楽やお笑い芸の方面に癒しを求めている。
言葉を変えれば「懐メロ」や「カバー」のマンネリ化である。それゆえ、多くの大衆は興味を示さずソッポを向いているが、高齢者の一部は、こうした条件の中でも辛抱強く細々と楽しみを分かち合っている。

 ところで、ここ1年の間に島津亜矢さんの様子に変化がみられる。
それは、押し寄せた大河の洪水に、ようやく鍋蓋の楔(くさび)を打ち込もうとするタイミングを計っているような予感を覚えることである。
その予感は、12月19日、NHKが夜7時のニュースで、紅白の曲目を流した中にもみられた。
曲目紹介は初出場の歌手を中心に案内されたものでその中に、次のようなアナウンスがあった。
それは、「島津亜矢さんは『川の流れのように』です」というものである。
ただ、これだけである。
だが次の一瞬、このアナウンスにハッとする小さな違和感を覚えた。それは、初出場でもなく、かといって出場回数を数多く重ねているわけでもないこの歌い手に、こうした紹介は何を意図したアナウンスだろうかと。
 NHKのこのさり気ない紹介の中に、何か大切なものが隠されているように想えたのである。はたして、それは何であろう。


 冬の陽に染まる鳥居の下に来て むかし馴染んだせせらぎを聴く




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