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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑧~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑩-⑧~「芸を極める道」・その出発点⑧-③「姿月あさと・島津亜矢ジョイントコンサート」  三つ巴のバトル(中)

 

投稿者  安宅 関平

 このジョイントコンサートは、姿月あさとさんと島津亜矢さん、それにジャズバンドの三者の絡みあいが、まことにジョイント(連合)にふさわしいバトルを発揮した。
それは一級の芸術品であった。これが芸術品というのは、バトルによって生じた歌声が楽器音を伴って聴く者の渇いた心を、慈愛で充たしてくれるものであったからである。この芸術品を箱詰めできなかったのは至極残念だった。
 ところでその箱詰についてであるが、島津亜矢さんの芸においては従来よりこうした衝動の起きることが多々あった。
今回のジョイントコンサートの舞台でも、その現象は例外なく起きた。
また加えて、このコンサートでの芸術品箱詰め衝動現象が、姿月あさとさんやバックバンドのメンバーをも刺激したのか、あるいはもともと持っていた潜在能力が揺り動かされたのか、そのいずれかと思われるような魅せられる芸が、この両者の中にも随所にみられた。
それもそのはず、この三者はこれまで30年間以上それぞれの分野の中で、熾烈な生存競争を戦い抜いたうえで、今では一つの理念に沿った芸人としての今日がある人たちである。
それだけに、互いによい芸を吸収する能力や発揮する能力に長けたものを持ち合わせている。しかも、戦うことも熟知している。そうした互いの個々の持ち味が芸を芸術品に仕立てているのであろう。

 さて、アッパレ感の感動の要因である芸のバトルについて今まで追ってきたが、ここからはもうひとつの課題であるそのバトルを生んだ三者の芸に対する「心得」とその「効用」について探ってみたい。
ここで言う「心得」とは、芸事の細かい事情などを飲み込んで、それに対処することである。「効用」とは、その「心得」によって発揮される効果を指すものである。
 そこで、戦いを熟知した三者が、バトルした芸の「心得」とはとのようなものなのかを知りたい。何故ならば、その心得が芸術的アッパレ感に通じていると読み取れるからである。というのも今回は、ほとんどぶっつけ本番に近い形で、公演が行われたと聞いたからである。
そこで舞台の中から推測できる「心得」とは、芸人の心が芸に乗り移れるように、自分を変えたいとする思いが映し出されたことである。そして、そのための努力は惜しまないようである。だが、それは三者三様で純情なものではない。
しかし、その「心得」の結果は三者とも、同質で同レベルの芸の表現にみえた。どこが同質かといえば、それはいかなることにもひるむことなく努力と精進で、新しい芸に対して意気込み立ち向かう姿である。
その姿を見ると、ここへ来るまでにどれほどの苦悩や苦労、努力を重ねてきたことであろうことが窺(うかが)える。
だが多分、この三者はこうした窺(うかが)えた過去のことは、すべて芸を志す者の修行であることに気付いている。そしてこの修行によって、自分を変えてきたのである。
ただ、その変え方にはそれぞれに違いがあった。その違いも個性となって芸に現れていた。
 その違いは、修行で自分が変わろうとしたきっかけである。
そのきっかけは環境や経験値などの違いからさまざまである。だが、その様々なきっかけによって自分の心情を変化させた三者の芸は、結果として同種類で同質の芸の魅力を培っていたことは上記の通りである。
この同種同質の芸でありながら、感じられる個性とはどのようなものかである。
それは流れ下る水流を見るようなものである。
水は上から下へ流れ落ちる。これは同質である。しかし、上流、中流、下流の場所によって流れの表情は変化する。これが個性である。
 そこで三者の芸から感じられた「心得」とその「効果」の印象を具体的に挙げてみたい。
三者の中の一人は、人が負う苦労は修行だと考えているから、芸に向かう努力と精進の苦も、修行として受け止めている。
それによって苦の現実からは目を背くことなく、それと戦い抜く覚悟を持てたことが、自分を変えるきっかけとなったようである。
そしてその結果、数多の苦労を乗り越え一生懸命に頑張ってきたこの「心」だけは、自分の宝だと思っている。これが心得である。
この宝を得たことで、自分の進む道は苦の中にあるとして、そこを自分の足で自信を持って歩いて行けるようになりたいと思うように変わってきたようである。これは効果である。
 また別のある者は、芸が行き詰まろうとしたことは、何事も自己中心だったことを自戒し、こうした自分を変えたいというこれまでにない思いが、背中を押したことであった。それがきっかけとなって、自分を変えるための苦行を受け入れたのであろう。
そしてその苦行を積んだ結果、これまで感じたことのなかった人に感謝する心が芽ばえたようである。そして、心底から感謝が湧き上がることの楽しさを覚え、それを大切にしている。これが心得である。
それを覚えてからは、毎日が自己中心の悪癖と感謝の湧く努力との戦いであるが、これが修行だと感じるようになってから、この修行の中に存在する自分を変えようと努力する気持が、周りの人達を温かく受け入れられるようになった。これが効果である。

 さて、 上記の二件は、披露する芸の中から感じられたバトルを生んだ「心得」とその「効果」の印象である。
その芸は、温もりにあふれ、慈愛が心を充たしていく現象が観客自身はっきりと自分で自覚できる芸であった。これこそ、修行によって自分を変えた芸人の、結果としての成果なのであろう。
だが、もう一件、印象に残っているものがある。それについは次稿に譲りたい。


 窓あかりはた織り虫の近づきに
          稚女(ちご)のこっそり開ける障子戸




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