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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑧~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑩-⑥-①~「芸を極める道」・その出発点⑬-⑩2015年の紅白 「気を見るに敏」と「男時・女時」(上)



 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの芸に観たブラックホールの構成要素に、「場の気」に対処する「匠の技」があった。しかし、「匠の技」はこれだけではないだろう。
そこで、本稿からは、他に何があるのか探ってみたい。

 前稿までは、島津亜矢さんの2015年紅白歌合戦の歌唱芸が、好感を得た要因を豊富な歌唱の素養と、動物的「芸勘」を磨き上げた「場の気」の対処の見事さにあるとみて、そこに注目してきた。
だが、注目すべきものはそれ以外にもあった。
注意深く見ると、それは世阿弥の云う「男時(おどき)」・「女時(めどき)」の召喚、放逐することの見事さである。

 島津亜矢さんの芸には、「男時(おどき)」を引き寄せる魔力をみることがある。この魔力は大きな舞台によく出没する。
「男時(おどき)」とは、芸でワザを競う時、勝運を呼び込むことを云い、「女時(めどき)」は、勝運を遠ざけることを指している。
しかもこの「男時」「女時」は、30分とか1時間というごく短時間の場合もあれば、1年、2年という長期間に及ぶこともある。
これを「調子がよい」とか「上げ潮に乗る」とかと言ったり、また「八方ふさがり」「スランプ」などと表現している。
この「男時」・「女時」については、2015年2月25日から3月25日の4回にわたり関連した投稿( http://atakanoseki.blog.fc2.com/ )をしているので、ここではこれ以上は触れない。

 では、島津亜矢さんは、「男時(おどき)」を迎え得る巧みさというものを、いつ、どこで修得したのであろうか。
それはコンサート会場であろう。
三十年という積年における日々のコンサートで、逐次、「男時」・「女時」の経験を重ね修得したものであろう。これは、少なくとも放送局のスタジオ撮りとか、コミカルな舞台からは、生まれ辛(づら)いものであるような気がする。
 では何故、コンサート会場でこうした技(わざ)が、身に付いたかである。
それは芸に対する研究心という熱心さによるものである。
もともと、年間のコンサート回数がトップクラスの芸人である島津亜矢さんは、芸を披露する機会の95%はコンサートが占めている。
このコンサートと芸の関係に研究心が結びついて、「男時」・「女時」を迎え得る巧みさの修得につながったものと思われる。

 では、コンサートと芸の関係に研究心が結びつくとは、どのような現象をいうのであろうか。
 それは、コンサートの場を芸を深める機会と捉え、そこに修行の意義を見い出して努める心掛けから来ているものと思われる。
この心掛けが、よりよい芸を求める研究心の原形である。
 その心掛けの具体的深意は、コンサートを修羅場と捉えて芸を努めることにある。
修羅場とは、阿修羅が帝釈天と戦う場所である。
それは、阿修羅つまり芸人が芸を武器に、帝釈天つまり観客の満足と云う欲望と戦うことである。
その修羅場にあるのは、戦いに付きものの「生」か「死」である。
それは、その戦いに生死をかけることでもある。だから、そこには恥も外聞もない必死さや、一所懸命さの伴う真剣な姿が生まれる。
この姿こそ、帝釈天つまり観客に勝利する目的で、阿修羅つまり芸人が一心不乱に芸をさらすことにつながっているのである。
この、芸をさらすことは怖いことではあるが、勝負に勝つ近道でもある。
これについては、次稿に移して追い求めてみたい。


 秋の空いわし雲からうろこ雲
          瞬時にかわる女(ひと)ごころかな




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