FC2ブログ

幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑧~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑩-⑤~「芸を極める道」・その出発点⑬-⑨2015年の紅白 柔らかな発想


 投稿者  安宅 関平

 さて、島津亜矢さんの芸の特質であるブラックホールを構成しているものは幾つかある。そのひとつが「場の気」に対処できる「匠の技」である。
「場の気」の対処には、臨機応変の対応と、「智」の働きの「柔らかな発想」を要する。
 この双方の共通点は、その「場」の状況を見極める卓越した能力である。
この能力を、「義経」は鞍馬の自然で鍛錬し養った。
「島津亜矢」さんは、熊本・植木町の自然に培(つちか)われた生活の中で養った。
そのためか、何れもそれは動物的感覚に似たものである。
だが、島津亜矢さんの場合も義経と同様に、この動物的感覚はそのままでは芸の用を足せるものではなかった。それは原石だからである。
そこで、義経のように鍛錬が必要だった。原石はそのままでは光らず、鍛錬によって磨く必要があるのである。
 では、その鍛錬はどのようなものであろうか。それは、日頃の芸に対する「研究心という努力」を積むことである。それによってその能力が鋭さを増す。
その努力の積み重ねで、鋭さを増した原石の動物的感覚が、知的力量を発揮するようになるのである。
 島津亜矢さんは、舞台の大小を問わず、常に観客を裏切らない期待以上の結果を見せてくれる基(もと)はここにあると思える。
この能力が日々磨かれている限り、島津亜矢さんの歌芸の力は、衰えを知らないだろうと思われる。
この衰えを知らない能力が持つ良い所は、加齢による体力の衰えで芸が劣化する現象に、充分に対処できる特質を備えていることである。
だから、身体は衰えても、芸は衰えず進歩するのである。

 ところで、2015年の紅白での<帰らんちゃよか>の歌唱は、舞台が回転寿司のように次から次へと楽曲やお笑い芸が流れる中で、会場やテレビ桟敷の観客は、<帰らんちゃよか>の曲調をどう受け止めるか、それを見越したごとくの披露だったとして捉(とら)えてみると、歌唱が好感された理由(わけ)が分かり易い。
 というのは、4時間30分という時間が、お祭りの如くにざわめいて流れる中で、観客と視聴者にとって唯一、島津亜矢さんのこの2分44秒の時間だけが芸人との対話ができた瞬間であった。その対話によって心が洗われ、人間性を取戻すこの一瞬は貴重なものであった。
観客や視聴者が、心の落ち着つきを取戻して歌唱を堪能できたのは、この「気を見るに敏」な「匠の技」が、潜んでいたところから来たものである。この「技」が、歌唱を後々までも語り草にするほど、印象深いものにしたのである。
 また、島津亜矢さんはこうした「匠の技」に起因する面白さを、観客や視聴者に察せられることなく、自然な状態で観賞してもらえたのは、この技が「秘すれば花」であったからだろう。ここに感動が生まれたのである。「秘すれば花」の最大の効果はこうしたところにある。
その「秘すれば花」の効果を出すのは、その奥に「柔らかな発想」による「智」の働きがあることを忘れてはならないだろう。
ここに努力を積んだ芸の深さがある。

 以上が、2015年末の紅白歌合戦における島津亜矢さんの芸にみた「煮え花」と「お焦げ」の味の美しさや、「鑑賞眼」の出来・不出来の具合を楽しむこの二種類の「芸の道楽」という付録の、一連の面白味をみるもうひとつの具体的事例である。
 言い換えれば、島津亜矢さんの「『魅力』と『人格』という表裏一体のものを追い求める芸」を楽しむ段において、更に面白味を加えて味わえる楽しさを、この「芸の道楽」の中にみるのである。
 世阿弥のいう「極める芸」とは、こうした面白さを味わえる芸の深さや広さを指しているのである。
「芸の道楽」とは芸の深さや広さをもつ「極める芸」に近づく「秘すれば花」の正体である。
 いままで訪ねてきた島津亜矢さんの「持ち味」が、「努力」との化学反応で「一所懸命に打ち込む姿」と「誠実な慈愛」に化けて、芸の表面に現われてくる。その魅力を見つけ出す楽しさの基(もと)は、実はこの「秘すれば花」にあったのである。

 ところが、「秘すれば花」を持つ芸人は、それを観客に秘すことが大事である。それが感動を呼び込む芸の魅力だからである。
だが、観客はその「秘す芸」を知りたがる。その手段に「煮え花」や「鑑賞眼」という二種類の「芸の道楽」を駆使するのである。このように鬼ごっこのような遊びが、さらに面白さを助長する。しかも、この遊びの中にも「智」の働く「柔らかな発想」を要するのは面白い。

 さて、<帰らんちゃよか>の歌唱芸が、好感を得られた要因は、ブラックホールにあった。そのブラックホールの構成要素に、「匠の技」として「場の気」に対処できる技をみた。
しかし、構成要素としての「匠の技」は、「場の気」だけではないように思われる。
では、それ以外に何があるのか。次稿ではそれを探してみたい。


 秋の野に刀のごとく凛として咲くすすき穂のやわらかなりき




スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿