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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑧~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑩-①-①~「芸を極める道」・その出発点⑬-①2015年の紅白 奇跡(上)



 投稿者  安宅 関平 

 2017年8月5日の、NHKの娯楽番組「思い出のメロディー」もそうであった。
 それは、島津亜矢さんと山田姉妹の唱歌、<故郷>のことである。
この番組では、2時間30分の時間をかけ、数多の歌唱が流された。
その中で聴く者を清新な気分にさせたのは<故郷>であった。
視聴者は、そこから自分自身を静かに見つめられる機会が与えられていた。
それは歌が誘っている懐かしさをはるかに越えて、自分の馨(かぐわ)しい過去と、杞憂の多い現在、それに希望の持てる将来の姿が一瞬に噛み締められるという、味わいの深い豊かな心の湧くものであった。
 こうした機会に思うのであるが、NHKは島津亜矢さんの芸の魅力を巧く引き出し、「あっ」と驚く企画構成で大衆に感動を与えている。
それは、ある時はど演歌かと思えば洋楽を、またある時は洋楽かと思えばPOPSを、更にPOPSかと思えば唱歌を歌わせる。しかも、歌だけかと思えば芝居もやらせている。そのうちに、オペラ「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」を歌わされるかもしれない。
こうして、島津亜矢さんの芸の豊富な世界を、斬新に切り取り、度肝を抜かすように楽しませてくれるのである。しかも、必ず大舞台でその企画が立てられるが、島津亜矢さんはどのような場合でも、その期待を裏切ることはない。
 2017年8月5日の「思い出のメロディー」も意表を衝くものであったが、それはもっと以前の2015年、紅白の舞台にその前例がある。しかも、この舞台での芸が、現在のブレークのきっかけになっている。
 そこでここからは、2015年の紅白での舞台振りを、振り返ってみたい。
まず、2015年の紅白と2017年8月5日の「思い出のメロディー」の舞台振に共通するものは、人心をえぐる妥協のない穏やかで慈悲深い芸の要素である。しかもそれは、過去から今日まで一貫している。
同時に、こうした時の芸は、「煮え花」と「お焦げ」の味の美しさや、「鑑賞眼」の出来・不出来の「芸の道楽」が、楽しめる典型的な事例でもある。

 2015年末の紅白は、NHKが4時間30分という長時間をかけた年末恒例の娯楽番組である。
その舞台では、52曲の歌唱が披露された。その中にあって、島津亜矢さんに与えられた1曲の歌唱時間は、全体の1%に満たない2分44秒という、閃光(せんこう)ごときの一瞬であった。
しかしながらそれは、披露された全52曲の歌唱芸の中で、唯一、観客や視聴者に末永く語り継がれる印象を残したこころ豊かな表現の技芸であった。これは2017年8月5日の「思い出のメロディー」と同様である。

 ところで、多様な価値観の変化の激しいご時世にあって、何がそうさせたかである。それは奇跡に近い。まず、そのあたりを探ってみたい。
 この舞台では52曲が披露されたが、その内、演歌は13曲と25%の比率である。この比率は昭和の演歌興隆期に50%を超えていた時代からみると、半分である。これが何を意味するかは後記したい。
 ところで、島津亜矢さんは番組の前半に歌唱している。それは、全52曲のうち、15番目での披露であった。
歌唱楽曲は<帰らんちゃよか>である。
島津亜矢さんの<帰らんちゃよか>は、「星野源」さんの<SUN>と、「ゲスの極み乙女」の<私以外私じゃないの>との、間に挟まれての披露であった。

 実はこうした歌唱順の構成は、島津亜矢さんの芸を楽しむ観点からは、楽しみにくい予感が伴う第一の関門であった。
楽しみにくい予感とは、この前後の二曲に挟まれては、会場のさざめかしい雰囲気に、歌が埋もれる可能性を伴うものだからである。なかんずく、人を掻き分けて前に出ることを善しとしない性格からして、それはなおさらのことである。
かといって、こうした条件での歌唱は、出演した演歌歌手13名のほとんどがそうであった。演歌比率が低いだけに多勢に無勢で敵(かな)わないというものだろうか。
 ところで、さらに楽しみにくい予感の増す第二関門は、初出場の男性歌手お二人と島津亜矢さんを除いた出演の演歌歌手10人の舞台には、いろいろと芸を盛り立てる装飾芸が施(ほどこ)されていたことである。
装飾芸とは、バックに舞やダンスなどの振り付けがあったり、コーラスグループを伴ったり、出演者多数による合唱での応援情景を見せたり、大きな装置を駆使した演出などがそれである。
こうした演出が、初出場の男性歌手お二人と島津亜矢さんの舞台には見当たらず、会場のさざめかしい雰囲気に無抵抗のまま埋もれる可能性が、更に強まっても不思議ではないはずである。
 では何故、そうならなかったかである。そのあたりも探ってみたい。

 しかし、その前に大切なことに触れておきたい。
というのは、冒頭における演歌の比率が昭和の演歌興隆期の半分であることが、何を意味しているかという疑問である。
それは、初出場の男性歌手お二人と島津亜矢さんを除くところの、それらの芸に諸々の装飾芸の必要性があったことに現れている。
そこには深刻な事情をみることができる。
それは芸の魅力の欠如であろう。
芸の魅力の欠如により、何かの工夫を必要としたのである。
それにより、演歌の沈滞傾向に歯止めをかけたり、演歌離れを和らげることを狙ったものと思われる。
また、舞台に馴染まない芸を続けることは、視聴者や観客に不評の起きる危険性も無視できなかったこともある。
それは強いては、紅白の視聴率に影響が及んでくることでもある。
その意味では、もはや、演歌は裸ではこうした舞台の流れに馴染めなくなっているのである。
 だがそうした事情でありながら、島津亜矢さんの芸には、何故その必要性を認めなかったのであろうか。


 お隣の窓から洩れるフルートの その音は遠い昔のぬくもり




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