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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑧~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑨-③-③~「芸を極める道」・その出発点⑦-⑦外堀の鑑賞眼 鑑賞力(下)



 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの芸が、毛細血管の迷路へ誘い、芸の道楽を楽しませることに気付いたのは、「イヨマンテの夜」のコラボレーション歌唱だった。
島津亜矢さんは、従来までこの手の楽曲においては、解脱(げだつ)を思わせる歌心と、通常の枠をはみ出した豊富な声量、透通(すきとお)る高音の耽美(たんび)さを武器に、渾身で歌い上げる努力の有り様(さま)が、観客のハートを掴むものであった。
 しかし、この「イヨマンテの夜」のコラボでは、それだけに留まらず、今まで感じなかった歌の不思議な滑らかさと、その滑らかさが深みと輝きを放っている神秘性を感じた。
言い換えれば、吸引力を伴う品格ある歌唱に変化して聴こえたのである。
それは歌唱に品格を認めたことになる。この現象はいままでになかったことである
 島津亜矢さんの歌唱に品格を認めるそのきっかけとなったのは、「コタンの掟破り 熱き吐息を」という箇所を、極めて印象的に高々と歌い上げた部分であった。
ただ、島津亜矢さんのこうした高々と歌い上げる歌唱法は他の楽曲でもみられる。
たが今回は、楽曲全体の山場をここに持ってきていることである。しかも、ここへもってくるそれまでの道筋における技芸の上手さに感心した。
技芸の上手さとは、相方が歌い終えた後を引き継いでからの、力みのない歌唱は自然さに満ち、滑るようにスムーズな表現力で人心を引き付け、そしてここが山場だと素人にも分かる聞かせどころをもった歌唱振りは、聴く者の心を揺り動かす魅力を持つものであった。
これが歌の滑らかさを通して、芸の深みという輝きになっている。
そこには、芸の重量感と奥深さが控えめで薄く感じる歌唱であるにもかかわらず、知らず知らずのうちにそれが際立って、気品に結びついている。
こうした気品は、島津亜矢さんの全曲ソロによる歌唱では気付けなかったかもしれない。コラボレーション歌唱だからこそ、それぞれの個性を見い出すところから導(みちび)かれて、気付いたものである。
このように、従来から聞きなれた歌唱振りが、吸引力を伴う品格ある歌唱に変化して聴こえるこうした体験はものの見方を変える貴重なことであった。

 さては、この歌唱の2年後に、それまでの殻(から)を脱ぎ捨て、3度目の脱皮を図る芸が披露される羽目になるが、それはどうも、この「イヨマンテの夜」の歌唱あたりから、脱皮の準備に掛かっていたように思われる。
というのは、芸風が「硬」から「軟」へ移行することである。その意味では、この時点では芸に、「硬」にまつわる膨らみは感じられるが、「軟」に必要な膨らみは、まだ乏しい感が無きにしも非ずであろう。脱皮とは、この衣をまとうことにある。

 最後に、ここでお断りしておきたいことがひとつある。
それは、これまでの投稿は、「イヨマンテの夜」のコラボレーション歌唱が、島津亜矢さんの芸で新たに気付いた特質を見たことを述べてたものである。
これによって、島津亜矢さんの歌唱がコラボの相方より優れているとか、あるいは相方が島津亜矢さんより優れているとかを論じたものではない。
この相方も、機会があれば採り上げたいと思われるほど、見応え、聴き応えある魅力を持つ芸人であった。
その意味では、島津亜矢さんは良き相方に恵まれたものと思われ、また愚者においても、この相方であったからこそ、改めて島津亜矢さんの良さを見直すことができたのである。
その意味では、この相方に感謝している。同時に、こうした企画をし、しかも企画の目的を視聴者に適確に伝えるカメラワークのセンスを持ったNHKの番組担当者にもお礼を申し上げたい。

 以上が、「外堀」にみた鑑賞力の養成に伴い鑑賞眼を肥やして、芸をより楽しめる「花」である。この「花」は島津亜矢さんの芸を堪能する特有の「花」である。このような「外堀」の「花」が見られる芸人は稀有かと思われる。しかもこの「外堀」の領域で、受動的鑑賞と能動的鑑賞の二種類もの「花」に気付かせてくれる芸人は、他にいるであろうか。


 向日葵と男(お)の子女(め)の子が遊びおり
                  頃は四歳セピアの真夏


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