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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑦~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑤-⑦-③-①~イノベーションの環境と変遷⑨-③イノベーションメカニズム環境の激変(上)



 投稿者  安宅 関平

 音楽部門の演歌・歌謡曲分野が、極端に大衆から見放され、衰退の道をたどっているとする具体的事例を挙げてみたい。

 まず、その要因の第一に、メカニズム環境の激変がある。
それは芸に対する進歩・革新に取組む姿勢が、老成し内向きで保守的姿勢に変ってしまっていると感じられることである。そこにあるのは、挑戦するという姿勢や心得が全く感じられず、活力という面白味が欠けていることが目につくことである。
こうした環境は、イノベーションが生じる環境ではない。

 そこで、一般大衆目線に映るこのあたりの、具体的事例を挙げてみたい。
それは、NHKの歌番組に大阪の女性お笑いタレントが出演していたことや、NHKでも民放でも歌番組に「昭和の名曲」などと銘打って、古い楽曲を使った歌番組を放映することが非常に多いことである。
このあたりに、環境激変の察(さっ)しがつくようである。
ただ、それは放送局側に問題があるというのではない。
問題は視聴者と演歌・歌謡曲業界にあるように思われる。

 何故、放送局側に問題が無いかと言えば、視聴率という事情があるからである。この視聴率という事情には、その時代その時代に大衆がより必要としたり、より好む番組作りをする健全な機能が働く必要があるためである。それはより多くの人に見てもらうことか大事であり、それは放送局の使命でもある。そこで、放送局としては視聴率に神経を注ぎ、それに添うのは当然なのである。こうしたことから、お笑いタレントの出演や「昭和の名曲」放映を悪いと云っている訳ではない。ただ、だからと言って、それが悪用されていないかは、常に見守る必要がある。

 では、視聴者と演歌・歌謡曲業界のどこに、また、何が問題かということである。
そのひとつは、演歌・歌謡曲業界の体質にあるように思われる。
二つ目は、一般大衆が作り出している世相である。
 それでは、第一の演歌・歌謡曲業界にある体質について探ってみたい。
体質を問うには、お笑いタレントとの共演で芸能が成り立つことにみられるような、芸質のレベルを考える必要がある。
その本意は、歌舞伎の舞台に旅芸人の役者が加わったようなものである。それで歌舞伎が成り立つかといえば、多くは否定するであろう。
これと同様であるにもかかわらず、演歌・歌謡曲の場合においては、芸能が成り立っているのが不思議なのである。この不思議を平然と受け入れている業界の体質を注視したいのである。
 明治の文明開化以降、芸能の向上に係わった先人達が、努力して芸の専売業に市民権を獲得し、生活と地位の安定・向上を確保した。その社会的財産を継承した芸能の一部に演歌・歌謡曲業界がある。しかし、その行き着いたところが、お笑いタレントとの共演で芸能が成り立つことにみられる今日の演歌・歌謡曲業界の実態である。そこを問題にしたいのである。
そこで、この現象の原因や善後策を模索しょうとするとその傷の深さに驚かされる。
一つに演歌・歌謡曲業界の芸質のレベルがお笑いタレント程度のものなのか。二つ目は、本物というべき技術の高い歌い手の人材が少ないことの表れなのか。三つ目に、芸人の所属事務所の覇権争いが関係しているものなのか等々と、ついつい変な勘ぐりまでが入り込んで、考え込んでしまうのである。
 こうした現実に生じている現象の状況からみて、それはイノベーションのメカニズム環境が変化していると捉えられても仕方のないことであろう。
 次に、二つ目は視聴者側についての問題点である。
それは一般大衆に流れている世相に関係したものである。
というのは、歌謡界が長期間において技芸基盤が沈下してきた状況の中にあって、いつしか一般大衆も、お笑いタレント並みレベルの歌い手の歌唱芸に、慣らされてしまっているのかも知れない。その慣れによって鑑賞力も低下しているのであろう。その具体的な現象は、本物というべき技芸の高い優れた芸人とか、その素質を持った芸人が現れても、それに気付けないのではないかと思われることである。そればかりではなく、それらに馴染めず敬遠する気配すらあるようにも見受けらる。
こうしたことは、音楽を評論する識者までもがその傾向にあるのではないかと思われる。しかも、まだ僅(わず)かばかり残った生粋の演歌・歌謡曲を愛するファンにまでも、そのことはもはや、言わずもがのようにもみえる。

 かといってそうしたなかにあって、不思議なことが生じている。
長らく本物の芸に気付ける機会を逸していたはずの大衆が、たまたま何かのきっかけで、本物の芸に接したとき、今までの自分が打ち砕かれるような衝撃や、発狂に似た感動を覚えることである。
それは何故であろうか。それは本物の魅力に目覚めるからである。
人間とは利口な動物である。というのは、何十年もの長期間、目隠しされていても、それによって本物を見る目は衰えていないということである。本物とそうでないものを、嗅ぎ分ける能力は、暗闇の中でも無意識に、より一層研ぎ澄まされているのである。
にもかかわらず、本物というべき技芸の高い優れた芸人とか、その素質を持った芸人が現れても、それに気付けないのはどうしてであろう。
それは、本物の芸に接する機会が喪失され、鑑賞力が錆びつき鈍化しているからである。研ぎ澄まされた能力が、錆び付いた鑑賞力によってすぐに反応できないからである。それは、身体に異物が入ると拒否反応が起きるようなものである。しかし、しばらくするとすぐ馴染んで、付いた錆は洗い落とされる。

 このように大衆においても、無意識に芸能鑑賞能力が低下して、それがイノベーションのメカニズム環境の激変につながっているようである。


 七五三着飾る稚女(ちご)の宮詣 娘姿にしぐれも祝う




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