FC2ブログ

幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑧~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑧-①-②~「芸を極める道」・その出発点⑳-②「イヨマンテの夜」 コラボレーション (中)



 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの三重構造の芸に気付き、内堀の花を見つけるきっかけとなった歌唱の第2話である。

 映し出されたそのズームアップの映像は、顔の表情に表れた心の美しさである。
一文字に結んだ口元は僅(わず)かに「笑」の緩(ゆる)みを帯びて感じられる。だが、眉毛や目のあたりにおいては口元の緩みに不釣合いな「苦」を含むもののようであった。
この一瞬のアンバランスのなかに、純真な乙女の美しさを感じたのである。
ただ、このアンバランスは何を意味しているかの察しは、それぞれの見方があるだろし、それは千差万別の方が楽しい。
しかし、この一瞬の美しさを、乙女が持つ真珠の美しさと視るか見ないかである。ここが、人の見えるものが見えない人間が、人の見えないものを感じた瞬間だった。つまり、三重構造の芸で内堀の「煮え花」や「お焦げ」に似た美しさに、初めて気付くものだったのである。
その意味では、NHKの技術陣の凄さは、この辺りにあると思うのは至極当然であるろう。
そして、技術陣のその目的はすぐ明らかになった。
それは、このアップ表情に「煮え花」の素朴な美しさを見い出せれば、その後に必ず「秘すれば花」の美がやってくることを、視聴者に伝えることだったのである。
 次の瞬間、案の定である。
四、五段の階段を降り、舞台中央の前方へ身体を移動する間に楽団の間奏が終わり、島津亜矢さんは中央で第二コーラス目を歌い出す。
その瞬間から、「一所懸命」と「慈愛」を含んだ華やかな大人の芸への変化に、見事な「秘すれば花」を見い出せたのである。
この大人の芸は、滑(なめ)らかで伸びやかな歌唱の中に、作詞・作曲者の楽曲に忍ばせたカムイ(神)の神秘性という芯の強さとその硬さをみせるものであった。同時にその一方で、厚みを伴う官能性を底知れないスケールで感じさせるものでもあった。にもかかわらず、スケールの大きさに見られがちな粗雑感がない。緻密で柔らかな味が芸の流れの中に遊びを伴なつて感じられた。
遊びとは、楽曲の持つ情熱的、官能的な部分を歌唱に漂(ただよ)わせていることである。それをもって観客に遊んでもらうところである。ここに「硬の中にみる軟」の芸の良さをみる。
というのは、観客にとって、これほどの豊富な遊びを感じると、その心には余裕ができる。その余裕で、芸に膨(ふく)らみと気品の漂(ただよ)いを覚え、それが芸全体を被(おお)っているように感じられてくるのである。
このような歌唱振りだから、その芸に惹きつけられるのは無理からぬことである。まさに楽曲にピッタリ合った歌唱といっても過言ではない。
その為か、全体で4分を超えると思われる歌唱時間は、60秒ほどにしか感じられない。それほど、聴く者に集中力を注がせる聴き応えある芸であった。
ただしかし、このあたりまでの芸の味は、従来の島津亜矢さんに感じられた芸風の味であるともいえるかも知れない。
 だが、それにしても歌が進行するに従って、今回の芸風は従来より受け止めていたものと少し何かが違うように感じられた。
その違いとは、楽曲の歌唱から受ける趣(おもむき)にあった。それは味わいというか、面白味というか、そうしたものが従来よりも鮮やかに感じられたことである。この違いの疑問が三重構造の発見につながったものと思われる。


 春雷を告げる稲妻なにゆえか 稲実らせる妻と書くのは






スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿