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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑧~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-①-①~「芸を極める道」・その出発点③-①内堀(上の上)



 投稿者  安宅 関平 

 島津亜矢さんの芸は、熊本の土壌で培(つちか)った資質を磨いたものである。その資質を磨きながら、「芸を極める道」の出発点である「芸の魅力」と「人格」という表裏一体の芸を追い求めている。
 その島津亜矢さんが40歳前後から、その追い求める芸に内堀と外堀を施していたようである。そして、そこには「秘すれば花」以外の二つの贅沢な「花」を植えていたことを、大衆は後ほど気付いている。しかも、それはとても大事な「花」であることを、島津亜矢ファン以外の人々はまだ誰も気づいていない。ここに、日本人の付和雷同的風土の欠陥をみることができる。
 その大事な花とは、内堀に「秘すれば花」を楽しむための牡丹と百合に似た二種類の「花の蕾」を、外堀に鑑賞眼を肥やす芍薬に似た「美の壷」の花を施していることを指すものである。
これによって芸は「秘すれば花」だけでなく内堀、外堀の花まで、幅広く、より深く楽しみを味わえる芸となる一方で、無意識に芸の鑑賞力まで高まるという芸の仕組みができ上がっていたのである。
ただ、この内堀と外堀の花は、随分以前から植えられていたようではあるが、その咲き具合が揃わなかったことと、それまで「秘すれば花」に当てられたスポットライトが余りにも強く眩(まぶ)しかったことから、内堀、外堀の景色は見えづらかったものと思われる。
 花が咲き揃わなかったのは、本人の努力にあれこれと迷いの霞が掛かっていたのかも知れない。
 だが、内堀、外堀の景色が見えづらかったのには、スポットライトの眩(まぶ)しさ以外に、それなりの理由があった。
それは、芸人とは人気商売である。端的に言えば芸をより多くの人に聞いてもらい、見てもらって、成り立つ商売である。そのためには究極的には、手段を選ばないことまで生じることがある。
島津亜矢さんは、齢(とし)若い時分から、それに警笛を鳴らしている。
その警笛は、当時、大衆の好みが物の豊かさから心の豊かさへと変わる時期にあったこともあり、業界が進む道の方向は少し違うのではないかというものであった。
その内容は、大衆により質の高い芸を提供すべきでは無いかというものである。言い換えれば、「悪かろう、安かろう」から脱却すべきではないかというものであった。それをひとり、率先して実行してきたのである。今の芸態はその延長線上にある。
だから、芸の本丸である「秘すれば花」が他の芸人に比して極めて高度な美しさを発するようになったといえよう。
そのことを簡単に言えば、「上手い、感動する」と、大衆が感じることである。すると、その「上手い、感動する」に大衆の心のスポットライトが集中しがちである。ということは、これは一点が明るくなると、その周りが見えづらくなることに似た現象である。
ところがその明るさに慣れてくると、段々と周辺が見えるようになる。
内堀、外堀の花まで幅広く、より深くまで、芸の楽しみを味わえるようになったということは、明るさに慣れたことの現れでもある。
本来、これが正常な芸なのである。島津亜矢さんは別に特別な芸を披露している訳ではない。芸の正道を歩んでいるだけである。にもかかわらず大衆は、これに気付くまでに20年近くの時間を要したのである。何故、これだけ多くの時間を要したかは、以前にも取り上げたように、この業界に正義のない世界が長く居座り、大衆が目隠しされていたからである。

 ではここからは、二つの贅沢な「花」のひとつである「内堀」の花について触れてみたい。
 島津亜矢さんの芸にみる「内堀」の花の楽しさとは、いわば芸の魅力である「秘すれば花」に、触れようとするときに起きる「期待感の美しさ」であり、また「秘すれば花」に触れたあとの「余韻の楽しさの中にある美しさ」と云うべきものかも知れない。
 では、それはどうして起きるのかである。
それについては、芸の本丸である「秘すれば花」の発生源を知ることで、その疑問が解(と)けそうである。

 そこで、島津亜矢さんの芸にみる「秘すれば花」の発生源は何かである。
それは芸質の素材にある。素材の「持ち味」が芸の裏に隠れて「秘すれば花」となっているようである。
素材の「持ち味」とは、並外れたリズム感、芸に対するセンス、歯切れよさにみる芸の切れ味、楽曲の世界へ入(はい)り込む素早さにみる集中力、それに集中力が途中で途切れない粘り、諦(あきら)めない根性、等々である。
さらに、この素材の「持ち味」に、すべてのことを魔力に変えるあの必死で頑張る「努力」が加わり、そこに起きる化学反応が「秘すれば花」の美の発生する源となっているのである。 世阿弥は、この化学反応を起す「努力」の主成分を「芸は人格」と表現している。

 この「秘すれば花」の発生源たる「持ち味」の素材が、「内堀」にあって「努力」と化学反応するきっかけを作ったり、化学反応した後のいい感じや言外に感じる趣がいつまでの残るような働きにつながる花となっているようである。
それが「一所懸命に打ち込む姿」という「芸の魅力」と、「誠実な慈愛」という「人格」に化けて、「秘すれば花」となって芸の表面に現われると、「内堀」の二種類の花が調和のとれた芸の美しさを見るのである。こうした贅沢な構成による「秘すれば花」を観客は楽しむのである。
 ということは、内堀に据えた二種類の「花の蕾」は、この「秘すれば花」をよりスムーズに楽しむための、効果的な働きをしていると言えよう。
それについては次稿に移すことにしたい。


 蕎麦を食むたびごと兄の顔にでた 嬉しき目じりのしわよみがえる







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