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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-③ 



 投稿者  安宅 関平

 第五歌唱群の哀調については、これまで「裏みちの花」と「悲しい酒」を採り上げてきた。あと、「京都から博多まで」・「心もよう」・「麗人抄」の3曲残している。

 そこで本稿では、「京都から博多まで」を採り上げたい。
 この楽曲は、2012年、41歳時におけるアルバム「BS日本のうたⅦ」に収録されている。このアルバムはその前年の2011年、アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」で芸風に変化が認められた後の、リリースアルバム「島津亜矢 さすらい歌めぐり」に続く、第2弾のアルバムである。
そのためか、「BS日本のうたⅦ」に収録の「京都から博多まで」の歌唱には、しっとりとした爽やかな粘りがあり、歌唱の凹凸も自然で優しい。いわゆる芸質が、「硬」から「軟」に変化した証しがそこにある。

 ところで、この楽曲は素人でも口ずさみやすいメロディーである。島津亜矢さんのオリジナル曲にみるような、素人にとって口ずさむのに難儀するところはみられない。音階が緩やかに上昇したり、下降したりを繰返しているからであろう。
ただ、それだけに平面的である。それがため、素人は割と曲に乗りやすい面もある。
素人が曲に乗ると、時速30キロの単線鉄道で故郷へ帰る時のように、ほのかな温か味と漠然とした不安に包まれる。
このような感じに誘われるメロディーは、久しぶりである。
島津亜矢さんのオリジナル曲「思い出よありがとう」以来かもしれない。そこには、メロディーの曲調は違っていても、慕情を誘う楽曲の仕組みがよく似ているからではないかと思われる。

 だが、この慕情を誘うメロディーに対して、歌詞は思いが叶わない切ない恋慕の情を、表現したものである。
そこを、オリジナル歌手は少しヘだるそうに歌っているのも分かる気がする。ただ、そこに哀調の「しつこさ」が出るのである。
それは、平面的な曲調の上に、平凡で悲しい男女の愛の物語が繰返されるからである。

 ところが、島津亜矢さんはこの楽曲を、歌唱に「硬」・「軟」のメリハリを使って歌っている。これによって、平面性は解消している。
哀調の「しつこさ」においては、歌唱に「強」・「弱」を以って、変化をもたらしている。この変化の刺激によって、愛することの悲しさにライトを浴びせている。それによって悲しさよりもその悲しさの持つ美しさが強調されている。そうした工夫から感じられる恋慕は、聴く者にとって悲しさよりも美しさが優先されて感じることになる。すると、そこには暗さが浮かんでこない。爽やかさが残るのみである。その爽やかさによって哀調の「しつこさ」が失せている。
さすが、こうしたところは、41歳時の歌唱作品である。

 では、そこのところを、具体的にみてみたい。
   「肩につめたい小雨が重い」から
   「鐘が鳴る鳴る憐れむように」
までは、弱々しく軟らかく歌っている。
そして、
   「馬鹿な女と云うように」から
   「西へ流れて行く女」
までは、硬く、強い調子で歌っている。これで平面性が苦にならない。
そして、
   「京都から博多まで」
の、歌詞は、捨て鉢気味のごとき心境が表現されている個所である。
島津亜矢さんはそのあたりを、京都と博多の距離の長さと、恋の思いが成就しない時間の永さを掛けて、吐き捨てるような歌唱表現にして、その捨て鉢気味になる不満に迫力を持たしている。これによって、悲しさの持つ美しさが強調されて、哀調の「しつこさ」が、影を潜めている。
このように、島津亜矢さんは楽曲の、内容の解釈の深いさと、繊細な気配りをもって、歌っていることがよく分かる。
こうしたことは、他の芸人さんにおいても、それはあるのだろうが、島津亜矢さんの場合においては、それが素人にでも分かるところに大きな違いがある。

 ところで、それによって生じることは、耳障りになるような哀調の「しつこさ」が消えていることである。
むしろ、若干の爽やかさを含んでいることから、清涼感を感じるものになっている。このあたりは他の歌い手さんと鮮明に違っているところである。
 ここは、さすがである。
 と云うことは、2011年に感じた芸風の変化は、哀調表現にも影響していたのである。
つまり、それは、哀調表現のコントロールが、可能になったということである。
従来の哀調は、情感をかぶせた歌唱による効果もさることながら、声質の持つ哀調効果に多くを頼っていた。
しかし、「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」以降は、歌唱の「強・弱」、楽曲への「深い解釈・気配り」を基本とする変化に、芸風の「硬・軟」を使い分けして、会場の雰囲気によって哀調表現のコントロールが、より鮮やかに効く様になったのである。
と云うのも、この「京都から博多まで」は、28歳時の青年期での歌唱作品より、41歳時の作品は、歌唱にずっしりとした重みと深みが際立ち、歌唱に角(かど)もなくなっている。しかも、あるところは穏やかに聴こえたり、またある箇所は、聴く者が歌の中の主人公に愛着を感じるほど、馴染めて親しめるというものに仕上がっている。
こうした歌唱の効果は、人格の向上と、声質に頼らない哀調表現の向上に、よるものであろう。
ただ、声の艶が28歳時より弱められているのは、止む得ないことだろう。

ところでこの楽曲は、メロディーの曲調は「裏みちの花」に似た部類に属すると感じられる。
それは、慕情を誘う楽曲だけに「しつこさ」を感じやすい。
だが、歌詞は、「心もよう」に似た部類に属するようである。
それは、「しつこさ」を感じず、割とあっさり感をみるからである。
 ということは、メロディーには演歌の「しつこさ」を感じるが、歌詞にはJ・POPS並の、薄味で垢抜けしたものを感じるというものである。
 島津亜矢さんは、そこを上手く歌唱に生かしている。
 本来、島津亜矢さんの歌唱は、詞を伝えることに重点が置かれている。これは星野哲郎氏の直伝によるものであろうが、それによって、聴く者は歌への理解力が冴えてくる。理解力が冴えると、哀調に頼らなくても楽しめるようになる。すると「しつこさ」や「ごてごてさ」の必要がなくなり、無視できるようになる。
この「京都から博多まで」の歌唱に愛着を感じ、馴染めて、親しめるのも、この楽曲の哀調に「しつこさ」や「ごてごてさ」を感じないからであり、またそれがあっても気にならないからである。
島津亜矢さんは哀調の機能を、このようにセーブしたり高めたりして生かせる能力を持ち合わせたのである。
この技芸は相当難しいものと思われる。なぜなら、声質に哀調があるためである。それだけに、まだ十分な完成の域に達した感じではないが、これは他の芸人さんには見られない技芸である。
 ここに島津亜矢さんの芸に対する執念をみることができる。
その執念とは、歌を聴く者に楽曲が伝えたいことを、より分かりやすく、より心に響きやすく、より楽曲と聴く者の心の一体化ができるかを、追い求めて止まないことを指している。
その執念が、歌を聴くたびに質の向上をみる原因になっているのだろう。

 ただ、それだけの研究心と努力ができる能力を持ち合わせているのだから、いまだ成し得ていないことも、近い将来に克服するとの希望が湧くのである。
その成し得ていないこととは、それは芸の質において、人生の結論・結果の表現における哀調は、他より優れた面がある。
だが、人が引きずる運命の、「幸」の手前から「不幸」の手前、あるいは「不幸」の手前から「幸」の手前のあいだを、行き来する心の移ろうさまの哀調表現には、何故か充実感が見られないことである。
言葉を変えれば、人が困難を突破して誰もなし得ないことを為した時の輝かしい状態の表現や、逆に不幸や悲惨な出来事に追い込まれた結末の表現には、他を凌駕する面があるが、その間を行き来するさまの表現、つまり運命の良し悪しに翻弄される人間の、幸の端から不幸の端へ揺り動かされるさまの表現には、弱さが見られるようである。
 しかし、これには、神業のような技芸とそれを支える強い精神が必要かと思われる。
だが、これを克服できると、世に希な芸人の誕生をみることになるだろう。
そこに島津亜矢さんの明日の希望を託している。


 川風の思い涼しく近寄れば 打ち寄す波に秋は立ちけり


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