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 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの歌唱で味わう「哀調」は、二種類の哀調で構成されているように感じられる。
一つは、「哀調」そのものが持つ一般的な「もの悲しさ」である。もう一つは、四つの特質を持つ島津亜矢さん特有の「哀調」である。
 そこで第二歌唱群の好いところは、この二種類の哀調が、自然体の歌唱の中に味わえることにある。
ということは、それは二種類の「哀調」そのものの好さが、無理なく楽曲の中で働ける性質の歌唱群だと云えよう。

 では、二種類の哀調のうち、島津亜矢さん特有の哀調とは、どのようなものかを、改めて反芻してみたい。
その一つは、積極的に人間の魂へ働き掛ける作用を見る哀調である。
二つ目は、すべての楽曲に相性がよい哀調である。
三つ目は、芸が生きる哀調である。
四つ目は、「生きる希望」の性質を帯びた哀調である。
この四点が島津亜矢さん特有の哀調である。

 ところで第二歌唱群には、第一歌唱群にみられた、倒れて立ち上がるときの感動の美しさを表現する鮮やかさはない。
しかし、「哀調」とは、この第二歌唱群のためにあるようなものである。
それは、島津亜矢さんにとって、自分の「声質」に備わった哀調を素直に表現できる歌唱群でもある。
というのも、この「歌唱群」は、郷愁だの望郷だのに見られるところの、過ぎ去った事態や環境などに、身を戻して置きたい気持とか、遠い過去を懐かしむ美しさに染まった安寧の時間を、島津亜矢さんの「声質」による哀調と、同時に共有できるからである。それは、こうした情感の融合できる条件が、「歌唱群」と「声質」の双方にあり、それによる現象の美しさが、哀調そのものになっているためであろう。
 その意味では、この歌唱群は哀調の方から忍び込んでくる性格の楽曲群であるとも云えよう。哀調が忍び込んでくるのは、楽曲において過去の回顧で味わう懐かしさ、有難さ、そして世の変化の非情さなどが、「哀調」に通じているからである。
 こうしたことの共通性をみる歌唱群として、採り上げた楽曲が「津軽のふるさと」・「おさらば故郷さん」・「旅愁」・「思い出よありがとう」の4曲である。
そこで、この4曲に見る美しい哀調の楽しみ方を、それぞれで確認してみたい。

 まず、「津軽のふるさと」である。
   「うらうらと 山肌に 抱かれて 夢を見た あの頃の 想い出
   ああ 今いずこに」
と、あるように、望郷と郷愁を覚える楽曲の代表である。
これを、綺麗な発音で、詞を語りかけるように一語一句、丁寧に歌っている。そして、音域の広い所為もあるが、決して歌唱に無理な個所は感じられない。だからそこには圧迫感がなく、歌声に落ち着きが感じられる。
そのため、こころ静かに歌詞を追い求めることができることから、情景が浮かびあがり、ひしひしと郷愁の思いに耽(ふ)けられる。
これは、島津亜矢さんの自然性に富んだ芸の典型の歌唱である。
こうした自然体の中に、二種類の哀調が味わえる。そしていつしか無意識の内に、どっぷりと哀調の安らぎに包まれる。
この良さが島津亜矢さんの芸の本質かと思われる。

 次は、「おさらば故郷さん」である。
   「花の都で切ない時は いつも偲んだ山川なれど」
の、この一節のフレーズが好い。
この歌唱を聴くたびに、室生犀星の詩を思い出す。
   「故郷は遠きにありて思ふもの そして悲しくうたうもの」
この詩は、大岡信氏によれば、「上京した犀星が、志しが思うに任せない苦悩の時代に、帰郷した故郷で作った詩である。故郷は、孤立無援の青年には懐かしく忘れ難い。それだけに、そこが冷ややかである時は胸にこたえて悲しい。
その愛憎の複雑な思いを、感傷と反抗心を込めて歌っているのである。」と解説されている。

 こうした愛憎の苦しさから連想されるのが、26歳の若さで生涯を閉じた石川啄木ある。
   「石をもて追はるが如くふるさとを いでし悲しみ消ゆる時なし」
   「はたらけど はたらけど猶 わがくらし楽にならざり ぢつと手
   をみる」
こうした状況の啄木を支えたのが、故郷ではなく友人の金田一京助氏であった。金田一氏は収入の相当額を啄木の支援に回していたようである。
それにもかかわらず、啄木は、
   「かにかくに渋民村は恋しかり おもいでの山おもいでの川」
   「ふるさとの山に向かいて言ふことなし ふるさとの山はありがた
   きかな」
と詠っている。
このようにいつの時代でも、故郷を持つ者は、故郷は心の慰めや励ましになっているのである。
故郷とはものは言わないが、こうしたこと自体が哀調に結びついているのである。

 島津亜矢さんは、芸における哀調の表現がずば抜けて上手い。
これは心の優しさからくるものであろうが、声質も哀調表現に適っているからである。
だから自然に歌えば、それだけで魅力的な哀調表現が発揮できる。
加えて、こうした類(たぐ)いの楽曲を、丁寧に噛み締めるように歌うから、懐かしい思い出がしみじみ甦ってくる。この寂しく、悲しい気持の哀愁が、もの悲しい様子に変わるときに生まれる美が、島津亜矢さんの洗練された哀調なのである。島津亜矢さんの哀調をこよなく愛せれるのは、この洗練された美の豊かさにある。

 三番目は、「旅愁」と「思い出よありがとう」である。
この二曲の歌詞は、阿久悠さんの作品である。
「旅愁」は
   「目をあかく 染めた娘の 別れの言葉 思い出す
   あれから数えて 何年 もう誰もいない」

   「赤とんぼ 追いかけた 姿が胸に よみがえる
   あれから数えて 何年 もう誰もいない」

   「あのひとも このひとも 旅路の夢に 見るばかり
   あれから数えて 何年 もう誰もいない」
 「思い出す」、「よみがえる」、「見るばかり」と、直感的表現で、哀調を誘おうとしているが、これは平面的な情緒感で、厚みに掛けやすい。それを補うために、一見、詞の前後とに違和感を覚えるような、時間の経過を飛躍さす表現と思える
   「あれから数えて 何年 もう誰もいない」
とした言葉を挿入している。そのことで、情感に厚みが持てるようになっている。こうしたところが阿久悠さん作品の魅力であろうか。
だが、島津亜矢さんは歌唱で、ここの部分に「うなり」を使っている。これは、勇敢な決断かと思われる。
何故なら、本来、哀調を主体とする楽曲には、「うなり」は必要としないものである。「うなり」の持つ個性の強さに、気持の柔らかさを求める哀調の好さが、負けて消えるからである。すると楽曲の良さが無くなる。
ところが島津亜矢さんの歌唱する「旅愁」は、この「うなり」の導入によって、哀調に緊張感が走り、きりりと引き締まった楽曲に変身している。そこには哀調を楽しむ楽曲に有りがちな、「中だるみ」が生じていない。
島津亜矢さんは、楽曲における詞の直感的・平面的な情緒感に、時間的飛躍をみせて、感性に厚みを増すこの詞の表現で、そこに生じる違和感の解消に「うなり」を使って対処したのである。
それは、「うなり」の個性の強さを利用するこで、違和感で分散され弱体化しやすい哀調の美しさを、見事にまとめることに成功している。
このあたりに、島津亜矢さんの芸感の好さが光っている。
これは、楽曲に対する敬愛と、詞の哀調に底のない深さを見出した思慮深さからきている。
これによって、「旅愁」は、人生の旅人として感じるしみじみとした寂しさが、遺憾なく発揮された楽曲となって楽しめるようになっている。

では、「思い出よありがとう」はどうであろうか。
   「思い出よありがとう
   哀しみも 苦しみも含め ときに憎んで いたけれど
   それもまた人生だった」
   「思い出よありがとう
   時が過ぎ 懐かしさだけが 胸の扉を叩きに
   今日もまた 訪れて来る」
と、あるこの詞は、人間の我欲に翻弄された心の刹那を振り返った詞であろう。生活を充実させて生きようとして、そのために持つ我欲ではあるが、一方、その我欲に悩まされたことに対する、感謝の詞なのかも知れない。
こうした意を持つ詞に、メロディーがこれまたすばらしい。
後半の
   「歌よりも歌らしく こころをゆさぶる」
の半音上がるが如き小節部分などは、この詞の持つ意を最大限に盛り上げたメロディーの表現になっている。これによって、哀調感は更に深くなる。
そして、何と言っても感銘を受けるのは、その詞とメロディーを最大限に生かした歌唱をする、島津亜矢さんの歌唱力である。
それには、楽曲の美しさを感じる前に、感動が先走る。
感動とは本来、美しさを感じて、その後で生まれるものである。ところが今回、感動が先走るのは、歌唱に伴われた哀調の所為であろう。
歌唱には、思い出す苦しみや哀しみの、微妙な心の揺れまでも伴っていて、その揺れによって懐かしさが増幅される。そうして増幅された心は、すでに楽曲鑑賞の余裕を無くしている。
島津亜矢さんの歌唱力の凄さは、そうして自らの歌唱で起した余裕を無くするその弊害を、清楚感というフィルターで濾過し、哀調の美しさのみを感じ取れるものにして、聴く者の心を元に帰していることである。
この技芸こそ、芸術である。こうした鮮やかな技芸の芸術性に気付く人は、皆無ではないことを祈りたい。
ここに、島津亜矢さんの芸を楽しむ極意があるように思われる。

 このように、第二歌唱群は、自然体の中に哀調の本質を生かす歌唱でありながら、楽曲それぞれの個性をも尊重した哀調の表現になっている。
同時に、一般的な「もの悲しさ」の哀調と、四つの特質を持つ島津亜矢さん特有の哀調の二種類を、自然体の歌唱の中で味わえるよさもある。


 病み深きこころも深き悲しみの 氷室の午後の篤きそら夢


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