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 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの芸が著しい進境をみたのは、「精神面の変化」による影響も大きかったと思われる。
そこで、「精神面の変化」とは一体どのようなことなのか、その影響とはどのようなものかについて、将棋の羽生善治氏や、野球の松井秀喜氏の事例を紹介しながら考えてみることにした。
前稿では、棋士の羽生善治氏の事例について考えてみた。

 本稿は、野球の松井秀喜氏の事例を見ながら考えてみたい。
松井秀喜氏については、以前に(ブログ「島津亜矢Fan」〔 http://atakanoseki.blog.fc2.com/ 〕)に「松井秀喜と島津亜矢」という標題で8回(2013.5.25~2013.8.5)に亘って採り上げているので、ここでの紹介はその内容がダブらないようにしたい。

 松井秀喜氏は1992年に鳴り物入りで球界に入り、日本で10年、アメリカで10年、野球選手として活躍、2012年に現役を引退した。現在、ニューヨーク・ヤンキースでGM特別アドバイザーを務めている。
 彼は、現役時代は数多の記録を作り、野球ファンの期待に応えてきた。
中でもメジャーリーグでの脚光の浮き沈みは凄かった。
2003年3月公式戦開幕試合で初打席・初安打・初打点の新記録、4月の本拠地ヤンキースタジアムでの開幕戦は、初本塁打が満塁本塁打と、いずれも感動を与えた。そしてその後の、チャンスに強い勝負強さは定評があった。また、日本よりはるかに試合数(162試合)の多いメジャーリーグで、2003年から2005年にかけ、ただ一人三年連続全試合出場を果たすという大リーガーで初の快挙を成し遂げている。
それだけ真面目で、また体力に恵まれていた。
MLBオールスターゲームにも2回選出されている。
 そうした中、2006年、突然にアクシデントが襲った。左手首の骨折である。翌年の2007年には更に膝に故障が起きた。これによって野球選手として、人間としても壮烈な体験をすることになる。
というのも、怪我との戦いの日々で、納得のいく成績を残せなくなったことである。それでもその痛みを乗り越え全力でプレー続け、その努力の報われる日がやってくる。
それは2009年ワールドシリーズである。3勝2敗で迎え、勝てば7年ぶりの優勝をつかめる運命の第六戦、松井氏は先制のツーランを放つ。その後も勝負強さを生かして6打点の大活躍をする。
それは、ヤンキースのワールドシリーズ優勝に大きく貢献するものであった。そして見事に最優秀選手(MVP)に選ばれた。
しかし翌年ヤンキースは怪我に不安の残る松井氏との契約を更新しなかった。
そこで7年間在籍したヤンキースと別れ、2010年エンジェルスへ移籍、2011年にはアスレチックスへ、2012年はレイズと契約した。しかし、いずれも好結果を出せなかった。その後、松井氏と契約するチームは現れなかった。そして、2012年12月27日現役を引退した。
それはワールドシリーズMVPの栄光から僅か3年後のことであった。
この壮烈な体験は、松井氏を人間として更に大きく成長させるものであった。

 そこで松井氏の野球哲学の変遷を、改めてみてみたい。
 身体を酷使するスポーツ界では、怪我は付きものである。それをいかに避けられるかは、日頃の精進と身体のメンテナンスによるところが大きい。松井氏の3年連続全試合出場はその証であろう。
しかし、30歳を過ぎると足に衰えを感じるようになる。この衰えは精進だけではかなわない言わば自然に訪れる「肉体面の変化」である。
この「肉体面の変化」の自覚で、メジャーリーグでの野球に対する取り組みが変化した。
それは、長距離バッターでありながらそれには拘らず、チームプレイに専念するようになったことである。
しかし、32歳時でのプレー中の骨折や、33歳時の膝の故障と言う怪我で、「肉体面の変化」が表面化し、思うように動かない身体に対して効果的な打つ手はなくなっていた。

このころから再度、松井氏の野球に対する考え方が変わった。それは、結果を素直に受け入れて前に進むことである。
それは、諦めではない。未練でもない。身体の衰えという現実を直視した積極的な対応である。
そうして、トレーニングを重ねて痛みを押してプレーを続ける日が続いく。
その苦労の花が最後に開いたのが、35歳時のワールドシリーズでのMVPの受賞であった。だが、その後は華々しいプレーをみることはなくなった。
しかし、故障による不調で気落ちすることはなかった。
それは「結果を受け入れて前へ進む」というその積極性が、意外とチームメイトを励ますことにつながっていたのである。
それは負けない野球の先駆者としての敬意を集め、信頼を得ることに結びついていたようであった。それがニューヨーク・ヤンキースのGM特別アドバイザーを務める契機にもなったものと思われる。

このように、松井氏も足の衰えという「肉体面の変化」が、「精神面の変化」に影響を与えていたのである。
それは、長距離打法から勝利に貢献するチーム打法へ主義が変わったことや、プレーの結果を受け入れながら前へ進むという野球哲学の誕生である。
松井氏にとって、こうした「精神面の変化」は、勝負の世界でチームを勝利に導くには、チームメイトをいかに生かしてチャンスを作るかでり、それには何が必要かを探るものでもあった。そこで得たのは「信頼」の二文字である。
簡単に「信頼」の二文字と云うが、そこには豊かな人格がなければできるものではない。松井氏は日本でも、アメリカでも、日頃から常に野球を通じて技術と人格を磨いていたのである。それによってチームメイトや監督、球団の首脳陣まで、幅広く信頼を得ることができていた。信頼を得ることで技術も伸びた。それが期待に応えることにつながったのである。その下向な姿勢を高く評価したのがトーリー監督だった。
現在、ヤンキースのGM特別アドバイザーとして、ダブルAとトリプルAの選手の指導に当たっているのも、この人格による「信頼」が大きくものをいっているようである。

 松井秀喜氏のこうした野球軌道の経緯から生まれた「信頼」は、島津亜矢さんの芸の進境の変化や羽生善治氏の棋風の変化と共通するところがある。このあたりは次稿で採り上げてみたい。


 肌を刺す暑さの後の半夏雨 奉る田の神天に昇れり


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