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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-②



 投稿者  安宅 関平

  島津亜矢さんのアルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」での、新しく感じられるマイルド感は、何故起きたのかについて探ってみたい。
それは次のような経緯によって起きているのではないかと思われる。

 まず、アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」で、「一般的な歌い手・島津亜矢」から「本当の芸人・島津亜矢」に変身したと感じられる要因は、環境の変化によるものであった。
環境の変化には、外部要因と内部要因があった。
外部要因は、演歌枯れ現象と、星野哲郎氏の他界が主であった。
この外部要因の変化が、芸の著しい進境を促したのである。
そして新マイルド感も、こうした外部要因の影響を受けてのものであった。
だが、こうした外部要因の刺激だけが、新マイルド感の要因ではない。ほかにも要因があったのである。
それは、内部要因の独自の変化である。
内部要因独自の変化とは、「肉体面の変化」と「精神面の変化」である。

 そこで、まず本稿では、「肉体面の変化」について探ってみたい。
というのも、新マイルド感は、内部要因による影響の大きい領域でもあるからだ。なかでも「肉体面の変化」は、有無を言わせず芸の良し悪しに直接に影響するものである。
 それは、次のことでよく分かる。

 島津亜矢さんにおいて、2011年の時期における「軟質」芸の確立は、芸人として遅くもなく、かと言って早くもない。この時期に適していた。それは、自然に従っていることである。
自然に従うとは、動物的生命力の変遷に服しているということである。
そこに鍵を握っているのは、40歳という年齢である。
 この年齢のどこが、自然で鍵を握っているかと言えば、人間は生まれてから40年間は、身も心も成長することが目的の時期である。
それは「疲れを知らない子供のように」という言葉があるように、一途に成長する盛りの時期である。
そのため、それを可能とする活力が、体内に十分漲(みなぎ)っている。
人間の身体は、そのようにできているのである。これはすべての人に言えることである。

 ところが、この成長一途の盛りの時期を過ぎると、活力は気付かぬうちに衰える。
この衰えが「肉体面の変化」である。
衰えとは、身体が自由に働かなくなることである。歌い手で言えば喉の調子に現れる。頭脳を使う将棋の羽生善治氏も、運動で体を酷使する野球の松井秀喜氏も衰えは怖いと言っている。だがそれがあって良かったとも言っている。これについては永くなるので別の稿で詳しく紹介したい。
 ところで、身体が自由に働かなくなると、神は生きるために新たな課題を与える。
課題とは、活力の衰えを補給できない部分に、無理が生じていることを気づかせることである。喉が痛い、頭痛がする、足の動きがぎこちないなどである。
それを気づきながら無理を押し通すと、身体に変調をきたす。
身体に変調をきたすと、もはや無理も利かなくなり、物事がうまく運ばなくなる。
成長一途の盛りの時期を過ぎると、こうした体調の変化が頻繁に起き始める。
 昔から40歳のこの時期の異称を、「初老」と呼んんでいる。
この意味が、この時期を過ぎると、分かり始めるのである。
これも自然のなす技である。
すると神は、そうした経過を辿るうちに、活力の衰えが補給できない部分を、何かで補う知恵を授ける。
それは、具体的に分かりやすく言えば、人の助けを借りることである。
これもまた、自然の摂理である。
この摂理は「肉体面の変化」に対する対応となる。
 新マイルド感とは、このように内部要因である「肉体面の変化」の影響を直に受け、様々な対応に迫られた結果のものなのである。

 そこで、島津亜矢さんにとって、それらのことが、芸に現れるにあたって、大切なものは何であったかを、次稿で探ってみたいと思う。


 梅雨入りて昨日も今日も傘ふたつ 誰を待つやら駅に早乙女
 

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