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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑩


 投稿者  安宅 関平

 五輪真弓さんの「恋人よ」を、実に分かりやすく歌唱した芸人がいた。
それを、2017年1月、「新・BS日本のうた」で聴いた。
その芸人は、島津亜矢さんだった。
 そこで何故、それが分かりやすかったかを探ってみると、そこには2011年の苦行が、「恋人よ」の歌唱に、生かされていたのである。

 まず、歌が分かりやすかったというのは、従来よりの特徴である丁寧な歌い方と、切れのあるはっきりした発声が、リズムに乗って明快に聴こえてくる良さにある。
加えて、最も人心に訴えたいと思われるところを、力強く哀調ある澄んだ高音を響かせるためである。
同時に、声の強弱を巧みに生かし、哀惜の情感を豊かにしている。
更に、こうした歌唱の特性によって、会場に静寂で張り詰めた緊張感が漂い、その中で歌を聴く者は、つつみ隠すことの出来ない何かを感得していることである。
ただ、こうした現象を感じたのは、上記の歌唱技からだけではない。
そこには、バックバンドの楽器の響きを生かす歌唱技にも、そう感じる要因があるとみられたことである。

 こうした芸で、表面に見えるところや聴こえるところの、外面に現れた現象には、幾つかの興味深い特質を覚えた。
 興味深いものの第一は、分かりやすさには、丁寧な歌い方、切れのある発声、リズム感の良さだけでなく、「芸」が生きていることから受ける、分かりやすさがあることである。
 第二は、しっかりした音程と豊富なリズム感による揺るぎない安定感が、楽曲のメロディーを生かしていることである。
 第三は、生かされたメロディーが次に、楽器の音色を生かすことで、聴く者の心に音楽を馴染ませてくれている。
 第四は、こうした連鎖反応で、歌唱が心の琴線に触れることである。
「亜矢節」が説得力を持つことの壷は、こうしたところにあるものと思われる。
 更に第五は、これは2011年以降に言えることであるが、さざめく会場が静寂へと変化するところに見られるように、舞台を取り巻くもののすべてを舞台に招き入れるスケール感が、芸に備わってきていることである。即ち、すべての人々が島津亜矢さんの舞台に集中するのである。
 第六は、そのスケール感によって生じる静寂の芸が醸すところの独特と思われる迫力の美しさが、観客を固まらせるほどに心温まる麗しいムードを漂わせることである。
 第七は、そうした芸が舞台に優美さを加えるという、魅力をみせている。

 以上が、外部に現れた現象から気付いた、興味深いものである。
この興味深いものの羅列をみて感じる特徴に、共通してみられるものがある。
それは、従来の芸に、さらに磨きのかかった特質と、新たに加えられた特質に、内面に見られていた「慈愛」が、より強固に働くようになったと感じることである。このことは2011年の「愛惜の念」の苦行による成果であろう。

 さて、その意味では、「恋人よ」の芸は芸歴でいえば2011年に芸が第三楽章に移行して6年の経過をみているものではあるが、はたして第三楽章の芸としてふさわしいか否かの判断は、いま少しの時間経過を要するかも知れない。
だがこの2017年の時期に、こうした芸をみせたことだけは、ここに明かしておきたいと思う。

 ところで、第三楽章の芸としてふさわしいか否かの判断の材料として、芸の多様性の有無がある。
それについて言えば、島津亜矢さんの「恋人よ」のカバーに関する今回の記述のきっかけは、人間の「愛惜の念」を表現する面から採り上げたものであった。
だがそれ以前に、「本物の芸」を見極めるという視点から、この「恋人よ」を採り上げたことがある。
それは、2017年2月10日・15日・20日の3回の投稿によっている。そこでは「歌唱」「慈愛」「硬・軟」の三種における創意工夫を、「本物の芸」の要点として結論づけている。
 このように一つの芸が、視点を変えれば別の見方で楽しめるという、こうした芸の多様性を見る芸人は、そんなに多くはいないと思われる。

 更に、第三楽章に入ってからは、芸風に変化をみることである。
それは、この「恋人よ」と同質の歌唱をみるものが、他にも一曲あることで、その変化の定着化を分かりやすくすると思われる。
それは、この「恋人よ」を披露した2年前の2015年1月、日本歌手協会主催の「新春歌謡祭」で披露した「津軽のふるさと」である。
「恋人よ」の歌唱は、この「津軽のふるさと」と同質の歌唱法で披露している。
 これにより言えることとして、2011年の「愛惜の念」の苦行経験が、第三楽章へ入ってからの芸に、大きく影響し始めていることである。
それは、苦行経験で内面的に大きな変化をみたことが、外面の芸風が第一楽章の芸風よりマイルド化傾向に転換しようとしていることである。
そしてその方向へ向う動きが定着していることを、この時間のずれた二つの芸により窺(うかが)い知ることができるようである。

 このように、島津亜矢さんに新たに備わった芸の多様性は、視点を変えたり、芸質が変わったりすることで、その楽しみ方が多彩になってきていると言えよう。


 水ぬるむ代田にはびこるかわずども 何を競うやその鳴きしぐれ

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