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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑨

 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんは、師であり父とも慕う星野哲郎氏を失った影響が、芸を極める路を見い出すきっかけになったのではないかと、前稿において結論づけた。
ただ、それは、苦行の付きまとった結果のものであった。
 しかしながら、そうした苦行は、星野哲郎氏という親を亡くした幼な子たる島津亜矢さんの場合だけに、生じたものではない。
それに似た愛おしい苦行を体験した人は、この世には他にもたくさんおられる。
 ということは、こうした苦行は人間社会において、過去からも、また今後も、未来永劫に生じ得るものである。
それは、子を亡くした親、妻を亡くした夫、夫を亡くした妻、また兄弟姉妹を亡くした人々の場合等が、そうである。更に加えれば、師弟関係、友人関係など、心を託せる関係にあるものは、すべてこの範疇に入るであろう。
こうした人たちにおいては、不意打ちの別れの破壊による心の混乱は、必ず起きている。
そして、そのすべての人たちは、その苦行を乗り越え、そして、その機会を捉えて新たな路を切開いて前に進んでいるのである。

 その中でも、親子、夫婦間における永久(とわ)の別れには、悲愴なものがある。それは愛の絆に、異常なほど強い何かがあるからである。

 その情景を、五輪真弓さんが「恋人よ」の作品で表現している。
     「こごえる私のそばにいてよ
     そしてひとこと この別れ話が
     冗談だよと 笑って欲しい」と。
これは、夫との死別によって、妻の心を強く支えていた心棒が崩壊した落胆振りを、ソフトタッチで表現したものである。
そして、その心棒が崩壊した後に、迫ってくる時間の経過によって起きる自分の心の非情を、追い払うがごとくに、
     「まるで忘却をのぞむように、
     止まる私を誘(さそ)っている」
と、その心情を表現している。
これは、心の痛手を癒やすという形(かたち)で押し寄せるところの、愛の風化現象に対する抵抗を指すものである。
だが、そうした抵抗も、時間の経過に伴い、次々と押し寄せる風化現象には勝てず、むなしい結果に終わってしまう。
そして、ついに、
     「恋人よ さようなら
     季節は巡ってくるけど
     あの日の二人 宵(よい)の流れ星
     光っては消える 無常の夢よ」
と、死別という事実はすでに過ぎ去った出来事になりつつありながらも、それを引きずり新たに生きる道を探る光を放っている。
こうしていつしか、別れによる心の痛手から立直り、前向きに生きるようになるのである。
これが人心の生々流転(しょうじょうるてん)のさまである。
五輪真弓さんは「恋人よ」で、このように人心のさまを表現したのである。

 こうした別れによって、心の痛手を被った多くの人たちがそうであったように、島津亜矢さんもまた、苦行の体験の中から、芸を極める路を見い出し、それに向って歩み始めたのが2011年である。
 後年に島津亜矢さんは、この「恋人よ」のカバーを披露している。
この時に、2011年の苦行が脳裏を走ったかは分かりかねるが、楽曲の情感は共有できているように思われる。
ところで、この苦行の成果が、「恋人よ」を披露した芸風にいかなる形で現れているか、それを次稿で訪ねてみたい。


 吹く風は五日に一度降る雨は十日に一度これ心地よきなり

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