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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑧

 投稿者  安宅 関平

 ここからは、島津亜矢さんに安寧の欲望が、外部要因の激変で起きたのは何故か、その安寧の欲望が、芸風の変化する素地にどうしてなったのかを探ってみたい。
それによって、芸風が変化したことの本質をつかめると思うからである。
その本質が人格につながっていると、「芸は本物」だと世阿弥が言っている。
世阿弥は更に、芸が本物であれば、「稽古は強かれ、情識はなかれ、となり」と、その後たどるべき道を説いている。
それは、日頃から芸と向合う真摯な態度を、さらに自分で厳しく求めるようになり、芸は「無」に向って伸びるというものである。
はたしてそれはどうかを、この凡人が確かめたい。そのため、話は長くなる。それ以外に、大事なことだから、丁寧に採り上げてみたいということもある。

 アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」によって、「一般的な歌い手・島津亜矢」から「本当の芸人・島津亜矢」に変身したのは、何故なのかを今まで探ってきた。
すると、そこにあったのは、環境の変化である。
環境の変化には、外部要因と内部要因があった。
そこで、これまでは外部要因の環境の変化をたどってみた。そこで目についたのは、演歌枯れ現象と、星野哲郎氏の他界である。
中でも、星野哲郎氏の他界という外部要因の激変は、変身の大きな引き金となったようだ。
ところが、その引き金が契機となって、動揺した心が安寧を求めたのである。
しかし、この安寧希求の欲望は、慰めを請うような微弱なものではなく、しっかりしろと自分を鞭打つ叱咤激励で、新たな路を切り開こうとする積極的で前向きな姿勢を求める安寧だったようである。ここが島津亜矢さんらしいところである。
そして、この前向きで積極的な欲望による安寧が、芸質の変化の素地となって、芸質に厚みが加わり、芸風が変身したのである。
島津亜矢さんには、このように窮地に立たされたとき、必ずといってよいほど「肥後もっこす」が顔を出す。ここが熊本精神の凄さであろう。


 ただ、本稿で探りたいのは、安寧を求める欲望が、芸質の変化の素地になるのはまだしも、それがどうして芸質の厚みとなり、芸風の変身となるのか、この不思議である。それを何故か、説き明かせたい思いが強い。

 ところで、ただ、安寧を求める欲望が芸質の変化の素地になり得るその要点は、芸風が変わったときのみである。それ以外の場合は女々しい一時の慰めで終り、そのまま萎(しぼ)んでしまうものである。
それは、芸風が変わることとは、芸の革命だからである。
革命はそれが成功しなければ革命にはならない。それ以外の場合は暴力とみなされるだけである。

 そこで、芸風が変わろうとする場合、必ずといってよいほど登場するのは、安寧を希求する欲望である。
この安寧を希求する欲望は、最初からその芸の底に横たわり、芸風が徐々に変化し、革命に近づくほど大きく膨らんでくるのである。
何故ならば、革命には、自信と不安がつきものだからである。
自信は変化へ挑戦する勇気として現れる。不安は安寧を希求する欲望となって現れる。そして、その比率は同等である。自信が大きくなるほど不安も大きくなる。
芸が革命に近づくほど、安寧を希求する欲望が膨らむのは、そのためである。

 そのことを裏返せば、次のようにも考えられる。
芸風が変わるということは、芸風を取り巻く環境を変化させることである。さもなくば、変化した環境に芸風を順応させることである。
でなければ、芸風は変われないし、また、変わったことにはならない。
 ただ、その場合、環境を変化させるには、大変なエネルギーが必要となる。他方、環境に順応するには、言い尽くせない努力が必要となる。
いずれにしても、それは、死闘を繰り広げる命がけの戦いである。
そして、それに勝利した結果として、芸風が変わるのである。

 しかし、勝利するまでは、常に不安の付きまとう戦いが続く。この不安の付きまとう戦いによる弱気化傾向をサポートするのが、安寧を希求する欲望なのである。
だから、安寧を希求する欲望は、芸質の変わる素地の大事な現象であるといえる。


 そこで、島津亜矢さんの芸歴から、アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」の、生まれる素地である安寧の欲望の発生は、どこに見られるかを探してみたい。

 前稿において、二巻の映画による表現で、島津亜矢さんの胸中の理解を求めたことがあった。
その中で、「禁じられた遊び」にしても、「赤穂浪士(忠臣蔵)」にしても、支えが崩れるまでは、交響曲「運命」の第一楽章だった。しかし、支えの崩れた後は第三楽章に移行している。そしてその悲しみや苦しみは、共通したものであった。
これらは、ベートーヴェンが作品に目論んだ、運命に翻弄(ほんろう)される人間の苦悩のさまと、同質のものである。
しかし、この二巻の映画にも、第三楽章に移行する直前に、安寧を希求する欲望である第二楽章が表現されている。
それは、「禁じられた遊び」では、ポーレットとミシェルの交流の暖かさである。「赤穂浪士(忠臣蔵)」では、平和の続いた花の元禄の香りを引きずる、温かい人情の機微の浮き彫りである。
それがあるため、前後する映像の内容も、引き立ち印象の強いものになっている。

 こうしたことは、島津亜矢さんの芸暦においても同様なことがいえる。
師であり父とも慕う星野哲郎氏を基軸に、夢中で走り抜いてきた25年間は、交響曲第5番「運命」の第一楽章と同質で、力強い冒険心の滲(にじ)んだ苦闘の期間だった。
そして、支えを失って不安のみが待つその後の未来は、苦悩を表す第三楽章と同質なものである。
その第一楽章と第三楽章の間(あいだ)にあたる、それは厳密にいって2010年から2011年にかけた僅(わず)かばかりの静なる時が、第二楽章とみられる。
いわゆる安寧を希求する欲望が表に顔を出したときである。そして、これはまさしく戦う欲望となって顔を出している。
 尚、この第二楽章に当たる瞬間を、他の面からみれば、神が島津亜矢さんにこうした強気な安寧の欲望を起こさせ、心を癒やす時として与えたものだったのかも知れない。
神のこの配慮には、同時にこれまでの自分を見つめ直し、この後の将来像をどう捉えるべきかをも、熟慮するよう勧める思惑もあったであろう。
 しかし、それにしては、時間は余りにも短すぎる。つかぬ間の時にしかなっていない。

 ということは、人間は神のように優しくはないということである。
それは、いくら愛おしい時であっても、損得とか利害を盾にして、地方公演やマスコミ出演をこなさせるという、非情さがある。
この時期における、島津亜矢さんの芸を披露する苦しさは、いかなるものであったであろうか。
その代表例に、2010年埼玉・本庄市における「BS日本のうた」で、布施明さんと「マイ・ウェイ」を披露したときの姿がある。それは、舞台上で流す涙の意味するもを察する時、もう言葉は浮かんでこない。
こうした過酷な世界にもかかわらず、島津亜矢さんはその条件を乗り越えている。
そして、神から授かったつかぬ間の時を、自分を見つめ、将来像をどう捉えるかを、熟慮する時間に当てている。神の期待した通りの行動で、濃密にこの時間を過ごしている。

 そして、その結論として得たことは、「芸を極める」ことだったようである。
「極める」とは、技術的なことはもとより、人間としての人格の陶治が必要になってくる。
その人格の陶治に通じる心で、心境が変化し、それが芸質の厚みとなって芸に加えられたものと思われる。ここに、世阿弥の言う「芸は本物」であるという証がある。
 この現象が外見的に、冒頭の「一般的な歌い手・島津亜矢」から「本当の芸人・島津亜矢」に変身したように感じられたのである。

 これが、芸風が変化したことの本質かと思われる。
 こうした本質の理解で、安寧を求める欲望が芸質の変化の素地となり、芸質の厚みとなる不思議の疑問が、解けるようである。
この不思議が解けると、芸風が温かく、柔らか味を帯びて、変身しているのが納得できるのである。


 はたもまた木の芽がしおれ哀れなり 八十八夜の忘れ霜かな



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