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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」④



 投稿者  安宅 関平

 前々前稿からは、島津亜矢さんのアルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」で、芸に見られる著(いちじる)しい進境の場面を覗いているが、前稿においてその一つに芸質の厚さがあった。
 そこで、その原因や、具体例を探ってみた。
すると、そこにあったのは、島津亜矢さんの芸を取り巻く外部環境の変化だった。
前稿は、その変化のあたりを詳しく採り上げてみたものである。
 ここで、それを今一度掻い摘んでみたい。
島津亜矢さんにとっては、自分と同世代やより若い世代の演歌離れ、あるいは演歌枯れというべき現象の顕在化の甚だしさや、その環境の激変は失望を招くものであった。この問題は業界として対処すべきものであるが、業界はただ手を拱(こまね)いているだけで、事態は悪化の一途を辿ってきたのが現状であった。ところが、それに一人で果敢に挑戦したのが島津亜矢さんであった。
しかし、その挑戦は勝算のない無謀なものに思われた。
というのも、その世代の演歌回帰には、大変に手の込んだ行動と努力と時間が必要とされる事情が生まれていたからである。
それはもはや、この世代の演歌回帰を図るのは絶望であるという難しさを示すものであった。にも関わらず、それに挑戦したのである。これは典型的な「肥後もっこす」である。
 まず、その手段として、演歌以外の楽曲、つまり演歌枯れしている世代の好むPOPSを中心とした楽曲を魅力ある歌唱で数多く披露することである。それによって演歌歌手への興味を惹きつけ、そのうえで、演歌の良さを味わってもらえる方向に事を薦めるというものである。
演歌回帰への手段は、このように二重、三重に手の込んだ遠回りを強いられるものだったのである。しかし、この遠回りの手段をあえて選らんだのは、いかにも島津亜矢さんらしく、また、島津亜矢さんでしかできないことであろう。この芸人は、いかなることがあろうと、思ったことは必ずやり遂げるところがある。これと思ったことには、血や汗、時間を惜しみなく注ぎ込み、納得するまでやりきる信念を持っている。
 ところがさらなる難問として、そうした世代の好む楽曲の芸質は、島津亜矢さんにとって得意としてきた硬質なものではなく、軟質なものが多く含まれていることから、軟質な芸の充実を図る必要に迫られることであった。
こういう難問に立ち向かう態度を改めて考えてみると、ここにも「肥後もっこす」の、簡単に音を上げない精神が表面化していたのである。
 そして、「想いで遊び」の試験飛行の成功を機に、その充実が図られたと考えてもよいようである。

 島津亜矢さんの芸の厚みの原因は、こうした外部の環境要因の変化への対応が、新しい軟質芸の創造につながったことである。
これが幸いして、ここに硬・軟両様の芸の充実が図られたのである。

 そこで、その厚みらしきものがみえた最初の具体的な芸が、「想いで遊び」であった。
この芸で凄いのは、一曲の楽曲の中に硬質と軟質の双方を溶かし込んだ芸に発展させていることであろう。
これは従来の芸には見られなかったものである。従来の芸の多くは、楽曲の主旨を理解しそれを心に飲み込んで、喜怒哀楽を歌声で表現する歌唱方法であった。その場合の歌唱は歌声が中心であった。
その歌唱法であれば「想いで遊び」は、愛惜の情に付きもののしつこさや悲愴感を、歌声で表現する歌唱になっているはずである。
ところが、この「想いで遊び」での歌唱は、硬質と軟質の双方を溶かし込んいるからか、何かが抑え込まれている。それによって、愛惜の情に付きもののしつこさや悲愴感はみられない。

 ではそこで、軟質と硬質の溶けた技芸とは、どのようなものかである。
それは簡単なことで、左官の名人が、茶室の床の間の壁を塗る技に似ている。その技は午前・午後等の時間差や、光を入れる窓の高低差による光の差込み具合で、床の間の印象が変わる匠の技である。
楽曲「想いで遊び」では、楽曲の流れの中で、過ぎた時間を懐かしく温め戻す場面の優しさ・懐かしさを、「軟質の芸風」で表現している。他方、過去を回顧する時に伴うあの独特の楽しさや、嬉しさ、あるいは悲しみを伴ったとしても爽快な心地よさに似た感情に駆られる部分は、「硬質の芸風」にして表現している。
 ここに言う「芸風」とは、軟質の土と硬質の土が混ざり合った壁土を、壁に塗りこむ左官技のような芸のことである。それは、軟質感が必要なメロディーの処には、壁土は薄めに塗り込み、硬質感が欲しい処では、厚めに塗り込んでいる。この壁土の厚薄をもって、聴く人の審美眼という光の射し具合で、歌唱がいかようにも味わえる工夫がなされている。 
ただ、この技は何かを抑えることでなされていることを見逃してはならないだろう。
 こうして新しく創造された「軟質」芸の基礎がここに出来上がり、アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」において、それが磨かれて完成したものと思われる。
 このあたりが、芸に著(いちじる)しい進境をみるところの具体的場面である。
 
以上が、前稿で採り上げた外部要因の変化と、その変化が芸に影響を及ぼした新しい軟質芸の特長であったと考えている。
  内部要因の変化については次稿に移すことにしたい。


 春風に吹かれて散るは桜花 去年(こぞ)と変わらぬ川面の景色
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