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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-① 


 
投稿者  安宅 関平

 これまで、島津亜矢さんの力強さの持つ「哀調」の主旨が、歌謡界の主流になりつつある要因を探ることを第一に、加えて島津亜矢さんの「哀調」が、原型から現在までに変遷した様子、更には「哀調」が垣根の無いマルチ歌唱においても必要不可欠なことなどが分かればと、欲張った目的をもって、歌唱をグループ分けしながらそれらを探ってきた。

 そこで本稿は、その最終にあたる第五歌唱群の哀調について考えてみたい。
 第五歌唱群に採り上げた楽曲は、「裏道の花」・「悲しい酒」・「京都から博多まで」・「心もよう」・「麗人抄」の五曲である。
 この五曲の楽曲に共通していることは、「男と女の愛」を、歌っていることである。男女の間に起きる「愛」の苦しさ・悲しさを、他の何かで紛らわせないほどの、どうしょうもない状態を表現したものである。
そこには、人間の弱さをみることができよう。しかしながら、これはある意味では、動物としての人間の存在理由を持ち合わせていることでもある。
 それは、自然界で起きる動物的本能の欲望によるものだからである。
つまり、人間の男女間における「愛」とか「恋」に生じる苦しみや悲しみの根源は、この自然界で子孫を残そうとするための、動物的本能に基ずく欲望にあるからだろう。
本来、自然界では、最も強いオスだけが、自分の子孫を多くの残せる仕組みになっている。そのための強さを巡る戦いは絶えることはない。
一方、メスは、強いオスを受け入れることで、自然界に適応できる強い子孫を残す本能が働いている。
それによって、自然界でその動物群の生態系が、末永く持続できる仕組みになっている。

 そうした意味では、人間は利口にできている。
恥辱心という道徳をいつしか創り上げて、異性を求める欲望をセーブして生きるようになっている。
そのため、野生動物のようなことは起きない。ただその分だけ、野生動物には無い、苦しみや悲しみを味わうことになる。

 第五歌唱群は、島津亜矢さんがこうした男女間の愛に生じる苦しみや悲しみを味わうその根源を、分かりやすく適確に表現していると思われる歌唱として、採り上げてみたものである。しかもそこには、楽曲のリズムやテンポなどの調子の異なる曲調であっても、同質にそれを見せていると思われるものに焦点を当ててみた。
 だがそれには、聴く者の側において、哀調の正しい理解は欠かせないだろう。
その理解は、表現している哀調を受け止める「感性」に係っている。
ということは、第五歌唱群の哀調は、特殊なものだからである。

 では、その特殊性とは、どのようなものかである。
まず、島津亜矢さんには二種類の哀調があった。
一つは、「一般的な哀調」が持つ「もの悲しさ」である。
もう一つは、四つの特性を持つ島津亜矢さん「特有の哀調」である。
 そこで、いままで見てきた哀調とは、どのようなものであったかである。
第一歌唱群でみたのは、自立する美しさの感動に見る哀調だった。
第二歌唱群では、回顧や、世の変化の非情さによる哀愁を見る哀調だった。
第三歌唱群では、男気や任侠心を、歌唱の裏で支える哀調だった。
第四歌唱群でみたものは、人道を説くために用いられた毅然とした哀調だった。
これらのすべての哀調は、島津亜矢さん「特有の哀調」である。

 ところが、この第五歌唱群では、それらにはない全く異質なものを匂わせている。
その異質性は、「哀調」そのものが持つ一般的な「もの悲しさ」をみるものである。この「もの悲しさ」の哀調の姿に正面から取組んでいることである。
そこで何が異質かといえば、本来、哀調なるものは、歌唱に付随して楽曲に対する感性を豊かにする働きを負託されたものであるから、正面から取組むことはないものである。にもかかわらず、正面から取組み、その美しさを前面に出している。
言葉を変えれば、哀調のフェロモンを大量に発しているのである。
更に言えば、フェロモンそのものを歌っていると言っても過言ではないものもある。
そしてその哀調は、聴く者が求めているというよりも、押し付けられているようにも感じられる。こうしたところがいままでにない特殊なものであり、異質なところである。

 そうした意味では逆に、それは哀調の「美」そのものの表現であるといってよいかと思われる。
ただ、その場合は、哀調の「美」を押し付けられる感の強さに、哀調のしつこさが出やすく、嫌われやすいことがある。
ところが、島津亜矢さんの歌唱では、それがないのが不思議である。
純粋に美しく感じる。
そこには、道徳という「理性」の部分と、愛という「感情」の部分を、巧みに使い分けて表現しているからであろう。
そのため、「愛」や「恋」という感情の、遣(や)る瀬なさの表現が、聴く者において実感として感じやすく、その実感がその人の理性によって「美」に変化するからであろう。ここが、他の芸人さんには見られない芸の魅力を感じるところである。
 それが、島津亜矢さんの哀調にみる特殊な美といえるだろう。


 そこで、そうした哀調の美を、第五歌唱群に探してみたい。
 先ず、「裏道の花」である。
この楽曲は、1999年、28歳のとき、「都会の雀」のB面として、シングルでリリースされている。また、DVD・「リサイタル2009 熱情」でも歌っている。
ただ、愚者はDVDでの歌唱は極力避け、CDで楽しむことを基本にしている。それは音と画像の両方を同時に楽しむ器用さが備わっていないからである。歌を聴くには、音に集中しないと本当の良さの発見が遅れるという悔しい思いを何度も繰返している結果である。不器用な人間は、どこまでも不器用なのである。
 さて、この頃の島津亜矢さんは、青年期の芸が佳境に入っている時期でもある。だから、はつらつさが感じられる。
そのはつらつさを以って、歌唱全体に哀調を忍ばせている。
それは、出だしに若干の不気味さがあるが、曲全体にわずかばかり感じるビートを、はつらつさで生かし、下向きな女性の愛に対する確固たる決心を、歌い手が心に植えつけた歌唱にしていることでそれが分かる。
こうして歌唱全体に哀調を忍ばせ、弱々しさを表現をする一方で、異性に対する密かな思いを感じさせるところは優しく、時には力強く歌って、印象に残る哀調表現をしている。
それは、
   「白い花咲いた 小さな小さな花だけど」
は、優しくして、
   「ひっそり咲いたよ 裏道の花」
は、強く通る声で歌い上げている。
この優しさと強さで歌い上げる双方の愛に、何故か哀調の美がある。
そこに愛することの深い味わいと、恋することの美しさが感じられる。
と言うのも、優しさの個所は別として、強く歌う箇所には、本来、哀調は似つかないものである。だからそこには深い味わいや美しさは、生じないはずである。
だが、この楽曲での歌唱には、その強さの部分に哀調がよく馴染んで美しく聴こえる。
この馴染みと、そこに見る味や美は、島津亜矢さん特有の技芸であることを知るべきであろう。
これが島津亜矢さんにしか表現できない哀調の美なのである。
そこには島津亜矢さんの歌に対する信念の思想が詰まっている。
というのは、この力量感のある「哀調」は「慰め」から「生きる力」に変わる時の美しさまでを捉えたものである。
ここに「哀調」表現の、革命に似た新風を起したのである。
そして、この「哀調」表現は今後の歌謡界に必要なものであり、必ず理解してもらえるとして、自分の歌唱の保守本流に据え、押し通してきたものである。
これが、この積年の間に亘り努力を重ねてきた、力強さの持つ「哀調」の主旨である。
その主旨による芸の内容は、明るさと強さが宿る哀調の芸である。この表現には積年の間に亘る血と涙の努力の結晶が詰まっている。
その積年の努力が実り、新風の理解が強まって、この「哀調」の主旨が、歌謡界の主流になろうとしている。

 ところで、「悲しい酒」・「京都から博多まで」・「心もよう」・「麗人抄」等々は、次稿に譲りたい。


 泣き濡れた花にさく実のやらかさに 言ひそびえたる思い絶えなむ


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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑨-② 



 投稿者  安宅 関平

 前稿に引続き、第四歌唱群の哀調について考えてみたい。ここでは残りの「山」・「年輪」・「富士」を採り上げる。

 「山」においては、
   「おれは男の山をみた おれもなりたい 山をみた」
に、哀調の働きが認められるようである。
この歌唱で先ず感ずるのは、声量の豊富さと、語尾がはっきりしていることで、重々しさが冴え、感じよく聴こえることである。
それが、歌唱の出だし部分である「流れる雲の移り気よりも 動かぬ山の雪化粧」に、どっしりとした自然の雄大さを見せている。
女性の細い声で、聴く者にこれだけの景観を見せられる歌い手は、いないだろうと思われる。そこにあるものは、山河の自然の重さを、澄み切った声で感じさせる不思議さである。
そしてさらに、その延長線上にどっしりした人間模様を歌い込むから、壮麗な人生感に見舞われる。
最後に、こうしたスケール感の中で「おれは男の山をみた おれもなりたい 山をみた」の歌唱部分に哀調が顔を出し、この中から自分に合った「人の道」を探せと、いう具合に歌声が迫ってくる。中でも「男の山をみた」の部分が来ると、自然と愛惜の念に駆られ、身の塊りを覚える。
このあたりは、島津亜矢さんならではの、歌唱の上手さである。
上手さというのは、要領よく綺麗に聞かせるという意味ではない。
歌い手が真心という本心を、ここの場面で晒(さら)して見せているという意味である。
 その真心とは、どのようなものかである。
それはある時、東北の駅で、100枚売るまで帰らないという若いミュージシャンのCDを、名も語らず纏め買いして励ましたことにつながったり、ある娘さんのガンを患った父親に、励ましの動画を送ったり、コンサートに招くなどして生きる力を与える行動につながったりしているものである。更には、のど自慢で流す涙も、熊本地震の支援コンサート開催の行動も、同一のものであろう。
その底流には、真心という本心が、こうした行動を無意識に呼び起こしているのであろう。
またシングルに、第四歌唱群に属する楽曲が多いのは、この歌唱群に共通した精神を、人生行路の指針にしているのか、あるいは、それが島津亜矢さん自身の行動規範に合っているのか、そのいずれかと思われもする。
島津亜矢さんが晒(さら)す真心とは、このようなものである。

「年輪」においては、
   「山に若葉の春がくりゃ よくぞ耐えたと笑う風」
に、哀調の働きが認められるようである。
ただ、それはその前に歌われた
「雪の重さを撥ねのけながら 背伸びしたかろ枝も葉も」
の歌唱の上手さによって、引き立っているからであろう。
出だしの「雪の」は静かに丁寧に入り、「重さ」は更に丁寧にして重々しく、「を 撥ねのけながら」で声を張っている。この声の張りによって、重さで垂れる枝の元の姿に盛り返す瞬発力が目に浮かぶ。
さらに、「背伸びしたかろ」は伸び伸びと、「枝も葉も」は静かに歌っていることで、前後の歌唱で感じる緊迫感と安堵感が、聴く者の心の中で巧みに交差され、「山に若葉の春がくりゃ よくぞ耐えたと笑う風」を盛り上げる下地になっている。
島津亜矢さんは、このように擬人化したものに魂を入れて歌うから、楽曲に生気が宿り、重みが生ずる。
その生気と重みへ誘導しているのが、歌唱の底に横たわっている哀調である。
歌を聴く者は、それによって「よくぞ耐えたと」とか、「枝を切る木に」とか、「熱い思いが」の部分の歌唱に入ると、胸が締め付けられるのである。それは哀調が、歌唱に実によく馴染んでいる証でもある。そして、終ってみればそれは温かい楽曲になっている。

 「富士」においては、
   「遥かに見える 富士山を てのひらに乗せて 春を待つ」
に、哀調の働きが認められるようである。
 先ず、この楽曲は、血液型がO型の女性を歌ったものではないかと思われる。作詞家はどなたをモデルにしたのであろうか。
その女性は、おおらかで、控え目で、思い切りのよい決断力を持ち、かと言って繊細さをも併せ持っている。
そのためか、メロディーのテンポは、いままで第四歌唱群で採り上げてきた5曲とは、一線を画したものになっている。
それは、硬球の勇ましさを建前とする「人道もの」にしては、軟球の緩やかで優しさのあふれたものになっている。
とは言っても、緩やかで優しさのある「人道もの」でありながら、「人道もの」に必要とする勇ましさ、ひるむことのない力強さの迫力は、硬球の「人道もの」とまったく遜色のないものになっている。それはむしろ、柔らかさを感じる分だけ、「人道もの」としての品格を備えた感がある。
 本来、メロディーとは、テンポがスロー化するほど迫力は削がれ、それに変わって哀調が現れるものである。「人生将棋」とか「ヒーロー」と「津軽のふるさと」の楽曲を比較すると、そのことが分かりやすいだろう。
ところが、この楽曲では、スローテンポで出せないはずの迫力を、平然と披露している。こうした芸には、未だかって遭遇したことはない。
これもまた、凄いことである。
島津亜矢さんの芸に、多様性を感じる好さは、ここにある。
多分、このことに気付く人は、そんなに多くはないと思われる。
たた、いくら島津亜矢さんと言えども、メロディーのスロー化でこの迫力を出せるのは、この楽曲のテンポ程度が限度では無いかと思える。

 ところで、この歌唱は女歌であることやテンポのスロー化によって、「必要としない哀調」の出やすさを、抑えている感がある。
それは「哀調」そのものが持つ一般的な「もの悲しさ」である。それを抑えることで、必要な勇ましさ、ひるむことのない力強さの迫力が、浮かび上がる歌唱になっている。
しかしながら、哀調をすべて抑えている訳ではない。この楽曲では、ゆるやかで優しさの感じられるところは、別の哀調を忍ばせている。
だが、この哀調は、女歌にありがちな、めそめそしたものではない。切れ味のよいあっさりしたものである。
それは、
   「小さな芽から はじまった」
   「遥かに見える 富士山を てのひらに乗せて 春を待つ」
とか、
   「大きな天の 懐で」
   「遥かに見える 富士山を てのひらで掴み 夏をゆく」
更に、
   「ひとみを閉じて 胸で訊く」
   「遥かに見える 富士山を てのひらを伸ばし 冬を越す」
等の歌唱部分にある。
なかでも、「春を待つ」「夏をゆく」「冬を越す」の最後の部分を伸ばしているところが、哀調感の印象を強く残し、次の何かにつなげている。
それは、過ぎ去った時間を惜しみながら、次に来る新しい季節を待つ希望にあふれる感情ではないかと思われる。
こうした技芸によって、歌唱に凹凸の変化と、深みをより強く感じる。そのことが楽曲に必要な迫力につながっている。
 島津亜矢さんはこの楽曲では、哀調を歌唱の凹凸の変化や深さに使っていたのである。

さて、第四歌唱群の6曲をこうして今一度見廻してみると、面白いことに気付く。
それは、島津亜矢さんが持つ二種類の哀調のうち、島津亜矢さん「特有の哀調」しか、使っていないことである。
その哀調とは、
一つは、積極的に人間の魂へ働き掛ける作用を見る哀調である。
二つは、すべての楽曲に相性のよい哀調である。
三つは、芸(歌)が生きる哀調である。
四つは、「生きる希望」の性質を帯びた哀調である。
この四点が島津亜矢さん「特有の哀調」である。

 「波」では、この「特有の哀調」が歌唱の丁寧さを引き立てて、説得力を助けている。
 「川」では、力強さの中に優しさを伴った柔らかさのある歌唱を、「特有の哀調」が、神に「この人を助けてください」と哀願するごときの、哀れみの吟に似た、深みのある働きをしている。それが人心を惹きつける魅力を作り出している。
 「竹」では、人の生活は時々立ち止まることが大切だと説くものであるが、その時、来た道を振り返り、進む道を見つめ直し、その折りに気付いたことを緊張感をもって静かに進める生活がよいだろうということを、「特有の哀調」で強調している。
 「山」では、「特有の哀調」をもって、「人の道」を探せるように歌い込んでいる。
 「年輪」では、擬人化した楽曲に魂を入れて、生気を宿らせ、生きることの重みを表現している。その生気と重みへ誘導しているのが、この「特有の哀調」である。
 「富士」では、本来、女歌では出せない力強さと迫力が感じられる。こうした味を出しているのは、「哀調」が持つ一般的な「もの悲しさ」を一切封印しているからである。それに変わって島津亜矢さんが身に付けた「特有の哀調」を散りばめて、凹凸の変化と深みをより強く感じる「人道もの」に適(かな)った歌唱にしている。
 このように、島津亜矢さんは、楽曲の性格を十分に飲み込んだ上で、哀調を使い分けているのである。


 夜明け前草木を分けて吹く野分 その荒れように哀れを誘う


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 投稿者  安宅 関平

 本稿は、第四歌唱群の哀調について考えてみたい。
 第四歌唱群に採り上げた楽曲は、「波」・「川」・「竹」・「山」・「年輪」・「富士」の六曲である。
この六曲の楽曲に共通していることは、「人の生きる道」を歌っていることである。そこには、人として理想を高く持ち、それを保って超然と生きる勇気の大切さを主張している。
そうしたことから、歌唱は勇ましく、ひるむことのない力強さを伴ったものになっている。その意味では第三歌唱群の「任侠もの」に、似たところがあるが、第四歌唱群には人道思想的な品格がある。
 そうしたことから、この類(たぐ)いの楽曲は、哀調をそれほど必要としないだろう。
ところが、島津亜矢さんは、第四歌唱群の哀調の立ち位置を、第三歌唱群でみたような歌唱の裏側に影を潜めて楽曲を支える消極的なものにはしていない。
今回は哀調を歌唱の底に据えて、表だって働きができるようにしている。
その働きとは、歌唱に聞き入る者が、歌唱の華やかさにつられて、ひとり悦に入ろうとする心の高ぶりを、やや抑える働きである。一方でひるむことのない孤高の精神と、品位の見られる行動が保てるような働きの、二面性である。それによって、楽曲がずっしりと心の芯に迫り、背中を押してくれるように感じられるのである。

 この第四歌唱群は、人の道を説いて人心を勇気づけようとするものであった。
そのことを印象づける歌詞のフレーズを挙げてみる。
「波」では、「一期一会の出会いを求め 夢という名の 舟を漕ぐ」
「川」では、「義理の重さを忘れたら 立つ瀬なくして沈むだろ」
「竹」では、「人もまた 上辺の花を飾るより 真実の花を持てばいい」
「年輪」は、「山に若葉の 春がくりゃ よくぞ耐えたと笑う風」
「山」では、「流れる雲の 移り気よりも 動かぬ山の雪化粧」
「富士」は、「樹齢百年 そびえる幹も 小さな芽から はじまった」
このように、フレーズだけで心の高ぶりを覚える。

 この楽曲は、2002年から2008年の間にリリースされた「BS日本のうた」シリーズⅠ~Ⅴに収録されている。更に「波」は2001年、「富士」は2007年に、それぞれシングルでのリリースがある。
そこで注目したいのは、この種類の楽曲としてその後、「縁」(2013年)、独楽(2015年)、阿吽の花(2016年)、心(2017年)、命のバトン(2017年)、道(2018年)等と、「人道もの」が続いている。
この他にも「あすなろごころ」(1988年)、「度胸船」(1989年)、「人生二勝一敗」(1999年)、「大器晩成」(2005年)、「縁舞台」(2009年)、「温故知新」(2010年)、「風そして花」(2010年)、「歌路遥かに」(2011年)等もある。
 これらの「人道もの」は、シングル、名作歌謡劇場、故郷百景シリーズ等によるA面のリリース目録によると、全63曲中16曲もある。そのシェアは26%と、「男女の愛」を歌った楽曲の43%に次ぐものである。
ところが、さらによく見ると、シングル内での「人道もの」のシェアは42%と極めて高く、「男女の愛」を歌った楽曲の26%を逆転していてる。
ということは、島津亜矢さんはこうした部類の曲調が好みなのか、性格に合っているのか、それとも偶然なことなのかである。それは別にして、どのような楽曲でも歌いこなす天才肌の歌い手さんとしては、この片寄りは面白い。

 面白い理由は後回しにして、第四歌唱群に挙げた楽曲の歌唱に、哀調の働きが見られるところを探してみたい。
 先ず、「波」である。
 「波」においては、
   「一期一会の 出会いを求め 夢という名の 舟を漕ぐ」
の歌唱部分に哀調の働きをみる。
 この曲は島津亜矢さんの歌唱の説得力が光る楽曲かと思われる。
 それは先ず、歌詞が単純なようにみえて、奥が深いことである。
「寄せては帰す」とか、「雄たけびあげて」とか、「上げては下ろす」とかで、波の特徴を表現するなかに、「あえぎ」とか、「呑まれ叩かれ」とか、「波に身をもむ」とかの表現が入り、それは人が生きるのに難関のあることを示唆している。そして、その克服には、「夢」とか、「風」とか、「希望」とかをもつことが大切だとしている。この三重の構造を示して、海の波にこうしたことを見い出して、自分の道を極めよというのである。
奥の深さは、この三重の構造の理解にある。
 島津亜矢さんは、この三重の構造を構造別に丁寧に歌っている。
その上、声質の持つ哀調が楽曲全体に降り注いでいる。更に歌声に力強さかあり、それによって、人生経験の薄い人でも、豊富な人でも分かりやすいように歌っている。
 その集大成が
   「一期一会の 出会いを求め 夢という名の 舟を漕ぐ」
の歌唱部分に見る哀調の働きである。
このように歌唱の説得力が光っているのは、構造別に丁寧に歌っているところにあるのだろうが、哀調はその丁寧さを引き立てて、歌唱の説得力を助けているのてはないかと思われる。
 また、メロディーもこの三重構造の歌詞によく合っているので、つい口ずさみたくなるが、音感の鈍い素人には難しい。

次は、「川」である。
 「川」においては、
   「義理の重さを忘れたら、立つ瀬なくして沈むだろ」
の歌唱部分に哀調の働きをみる。
この部分での、高音と声の伸びで迫ってくる歌唱の、「義理の重さ」で説く人の道の部分は、自然と威儀を正す気になって聴き入ってしまう。
そのような心境になるところに、歌唱の底に横たわる哀調の働きがあるように思われる。
それは、歌唱は力強く聴こえるが、その力強さには、優しさを伴った柔らかさがある。そこには、声質そのものに哀調があるからである。
そのことから、力強さが結果として哀願ごときの、哀吟となって感じられるのである。そこに人心を惹きつける魅力があるのではないかと思われる。

 次は「竹」である。
 「竹」においては、
   「そこに出会いも 彩りも ああ・・粛々と行けばいい」
に、哀調の働きが認められるようである。
 これは、竹は節を一里塚にして伸びるように、人も生きる折々の時期に立ち止まり、そこを一里塚として、歩いてきた道を振り返り、前に進む道を確認して、齢を重ねることが大事だというものである。更に夢を持てとか、誠実(まこと)を持てとか、を薦め、しかもそれらを持ってからは、緊張感をもって静かに進むことが大事だと説いている。
この大事とするところを、
   「そこに出会いも 彩りも ああ・・粛々と行けばいい」
と表現しているように聴こえる。そして「彩りも」の個所は、「温もりを」とか、「しなやかに」と歌唱の進行によって変えられて、歌唱の底に横たわっている哀調が働きやすいように歌っている。
というのも、ここで哀調が働くことで、聴くものの気持が感懐に耐えられず、しみじみとさせられるからである。それによって、その後に来る「粛々と」の意味がよく理解でき、納得できるのである。
こうしたことは、島津亜矢さんの歌唱だから生じるのだろう。

 なを、 「山」・「年輪」・「富士」については、次稿でに移して採り上げたい。


 田に実る垂れる稲穂に跪(ひざまず)き
              手を添え祈る老婦麗(うるわ)し


幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑧ 



 投稿者  安宅 関平

 本稿は、第三歌唱群の哀調について考えてみたい。
第三歌唱群に採り上げた楽曲は、「会津の小鉄」・「男 新門辰五郎」・「花の幡隋院」である。
これは「男気」、いわば弱いものが苦しんでいることを知って、黙って見逃せない気性を歌ったものである。
この類(たぐ)いの楽曲では、哀調は必要としないものである。
にも関わら「哀調」をテーマにする議の中へ入ってくるのには、理由がある。
それは、島津亜矢さんの声質の哀調が、芸の「ここ一番の強さ」の秘密を支えているからである。
島津亜矢さんは、声質の哀調を上手く楽曲に生かし、哀調の不必要な楽曲でも、魅力ある楽曲にしている。
この3曲から、哀調を生かす過程の要領を探せればと思っている。

 第三歌唱群の3曲は、一般にいう任侠ものである。
それは、下記の歌詞でも、良く分かる。
「会津の小鉄」では、
   「梅の浪花で、産声上げて、度胸千両の、江戸育ち」
「男 新門辰五郎」では、
   「江戸は「を」組の、元締めで、
   気っ風の良さで、名を挙げる、男の中の、男でごさる」
「花の幡随院」では、
   「花のお江戸は、幡随院の、
   侠客(おとこ)長兵衛が、引き受けた」

これらは、なんとも威勢がよい。
この部類の楽曲には、「名月赤城山」、「森の石松」、「忠治侠客旅」等も、入るであろう。
ではどうして、「会津の小鉄」・「男 新門辰五郎」・「花の幡随院」を、あえて選んだかである。それは、他の楽曲の歌唱よりも、そこには島津亜矢さんの声質の「哀調」が、歌唱の裏側にはっきりと聴けるからである。しかも、時間の経過とともに、その変化が分かることにある。

 「会津の小鉄」は、歌声に若干の若さが残って聴こえることから、多分、16歳頃の歌唱かと思われる。
そこにはまだ、宝石で言えば、磨き足りない原石の部分を残していると感じられるところがある。「声質」の原型も、ちらりと見え隠れしている。
その具体的個所といて、
   「何の世間が、笑おうとままよ、やくざ渡世に五尺の体、
   かけた京都の、かけた京都の、会津部屋」
の歌唱は、威勢よく聴こえるが、その裏側に声質による「哀調」がぴったりくっ付いている。
それがあるから、剣先の鋭さを持つ若い声質が楽しめるのである。それは剣先の鋭さを、哀調が裏側から包み込み、剣先を柔らかく感じるようにして救っているからであろう。それでも、剣先は剣先である。
ところで、この歌唱における哀調は、芸の表面には出ていない。
それは、任侠心のいさぎよさ、粋のよさ、力強さ等の表現に意識を傾注していることに要因がある。
その要因で生じた力強い魅力を発揮する若さに任せた高音部の響を、楽しく聞けるのは、哀調の抱擁によるものである。
ここに見る哀調は、自然で無意識のうちに表現されたものである。
その意味でこの楽曲は、意識しないで出た哀調が歌を救っているとみれば、分かりやすいと思われる。
こうしたところに、島津亜矢さんの現在の自然な芸質の原型を、磨き足りない原石の部分を残していた中に見ることができる。


 次は、「男 新門辰五郎」である。
これは28歳のときの歌唱で、「会津の小鉄」と比較すると、歌唱力に随分変化を感じる。
「会津の小鉄」の歌唱からみれは、大人っぽく、しなれていて、歌唱の円みが感じ好く聴こえる。
それは、「会津の小鉄」から10年以上、舞台で歌い込んできた経験で、芸にしなやかさがでている。
この歌唱で感じられるのは、今日の芸に見られる魅力の大半が、この歌唱に発揮されていることである。だが、声質の本質である「哀調」には、さほど変化は見られないが、使い方が上手くなっているようである。
島津亜矢さんの芸の基礎や基盤が、このあたりで固まったように思える。
なかでも
   「男いのちを、纏に賭ける」
   「気っ風の良さで、名を挙げる、男の中の男でこざる、
   その名は新門辰五郎」
の歌唱部分の声質に、まつわりつく哀調がよい。力強さとキレのある歌声に暖かな哀歓を漂わせている。
これは、歌唱経験の積み重ねによる慣れが、技芸の厚さと、自然に備わった「哀調」を楽曲に合うように使いこなし、表現力を豊かにしているからである。
それが聴く者にとって、歌唱の素直さとスムーズな歌の流れに加えて、その裏に張り付いている哀調が歌唱に深みを与えることから、心をくすぐられる魅力が生じ、楽しめるようである。
それは、哀調の存在を意識できないほど上手い歌唱であるが、誰かが見守っているごときの温か味が伝わってくるからである。
ここでも哀調のホローを見ることができるが、「会津の小鉄」からみると影が随分薄くなっている。ただ、その分温かさが出ている。
 この1年後から歌声の質に格段の変化が生じている。その変化を武器に、3年後、全国コンサートツァーに打って出る。
このツァーが、現在の島津亜矢さんの芸と人格を育てることに、なっていたのである。

最後は、「花の幡随院」である。
この楽曲は25歳のときのリリースである。
それは、「会津の小鉄」と「男 新門辰五郎」の中間の時期の歌唱である。
そこには「会津の小鉄」にみる歌声の固さは、随分消えている。それに変わって声の張りに艶が出始めている。しかし、声質の哀調は変わっていない。ただ、天性のリズム感の良さが出て、軽快さを見せ哀調を薄めている。
中でも
   「花のお江戸は 幡随院の」
   「一人乗り込む 旗本屋敷」
この歌唱部分は、張りのある歌声で、リズム感も相まって、気持ちよく聴こえる。そして明るさを見ることから、軽快で楽しいものになっている。
こうした現象が起きるのは、声質の裏に潜む「哀調」の反射作用によるもであろう。
反射作用の働きは、剣先の鋭さのあった声質を、張りのある声質に変化させている。更に抑制感が働き、それにより重量感まで備わって、品格をみるものになっている。
この反射作用にみる芸が、その後の「男 新門辰五郎」にみた、自然に備わった「哀調」を上手く使いこなし、表現力の豊かな芸につながっているのであろう。


 このように、「会津の小鉄」では、若さに任せた高音部の響を、声質の「哀調」が、楽曲を柔らかく感じるようにして救っている。
「男 新門辰五郎」は、声質の本質である「哀調」には、さほど変化は見られないが、慣れによる技芸の厚さと自然に備わった「哀調」の活用で、魅力ある芸として、素直に楽しめるようなっている。
「花の幡随院」は、声質の「哀調」は変わっていないが、天性のリズム感の良さが、軽快感を見せて、哀調を薄め、芸に品格がみえるようになっている。
 そして、この3曲に共通することとして、勇ましい楽曲においては、哀調が歌唱の裏側で影を潜めて、楽曲を支えていることである。
 このように、哀調を必要としない楽曲でも、哀調をどのように利用しているかが、これで分かる。

 島津亜矢さんは、哀調に変革をもたらした革命家でもある。
変革とは、身体から出る自然で上品な哀調を、上記のように芸に生かす努力を積み重ね、常識を覆す哀調の表現が実現したことをいう。
常識を覆す哀調とは、哀調の静けさに、生きる力強さを生む活力が、加えられた新しい哀調の創造を指す。
しかし、第三歌唱群にみる力強さを強調するような楽曲においては、強さがダブってくる。
こうした場合は、哀調の力強さは影を潜めている。
この当たりの芸感は、並みの芸人を超えているようである。


 土司(つちつかさ)族(やから)の灯りも兼ねた身を
                    静かに終えり暑き夏の日


幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑦ 



 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの歌唱で味わう「哀調」は、二種類の哀調で構成されているように感じられる。
一つは、「哀調」そのものが持つ一般的な「もの悲しさ」である。もう一つは、四つの特質を持つ島津亜矢さん特有の「哀調」である。
 そこで第二歌唱群の好いところは、この二種類の哀調が、自然体の歌唱の中に味わえることにある。
ということは、それは二種類の「哀調」そのものの好さが、無理なく楽曲の中で働ける性質の歌唱群だと云えよう。

 では、二種類の哀調のうち、島津亜矢さん特有の哀調とは、どのようなものかを、改めて反芻してみたい。
その一つは、積極的に人間の魂へ働き掛ける作用を見る哀調である。
二つ目は、すべての楽曲に相性がよい哀調である。
三つ目は、芸が生きる哀調である。
四つ目は、「生きる希望」の性質を帯びた哀調である。
この四点が島津亜矢さん特有の哀調である。

 ところで第二歌唱群には、第一歌唱群にみられた、倒れて立ち上がるときの感動の美しさを表現する鮮やかさはない。
しかし、「哀調」とは、この第二歌唱群のためにあるようなものである。
それは、島津亜矢さんにとって、自分の「声質」に備わった哀調を素直に表現できる歌唱群でもある。
というのも、この「歌唱群」は、郷愁だの望郷だのに見られるところの、過ぎ去った事態や環境などに、身を戻して置きたい気持とか、遠い過去を懐かしむ美しさに染まった安寧の時間を、島津亜矢さんの「声質」による哀調と、同時に共有できるからである。それは、こうした情感の融合できる条件が、「歌唱群」と「声質」の双方にあり、それによる現象の美しさが、哀調そのものになっているためであろう。
 その意味では、この歌唱群は哀調の方から忍び込んでくる性格の楽曲群であるとも云えよう。哀調が忍び込んでくるのは、楽曲において過去の回顧で味わう懐かしさ、有難さ、そして世の変化の非情さなどが、「哀調」に通じているからである。
 こうしたことの共通性をみる歌唱群として、採り上げた楽曲が「津軽のふるさと」・「おさらば故郷さん」・「旅愁」・「思い出よありがとう」の4曲である。
そこで、この4曲に見る美しい哀調の楽しみ方を、それぞれで確認してみたい。

 まず、「津軽のふるさと」である。
   「うらうらと 山肌に 抱かれて 夢を見た あの頃の 想い出
   ああ 今いずこに」
と、あるように、望郷と郷愁を覚える楽曲の代表である。
これを、綺麗な発音で、詞を語りかけるように一語一句、丁寧に歌っている。そして、音域の広い所為もあるが、決して歌唱に無理な個所は感じられない。だからそこには圧迫感がなく、歌声に落ち着きが感じられる。
そのため、こころ静かに歌詞を追い求めることができることから、情景が浮かびあがり、ひしひしと郷愁の思いに耽(ふ)けられる。
これは、島津亜矢さんの自然性に富んだ芸の典型の歌唱である。
こうした自然体の中に、二種類の哀調が味わえる。そしていつしか無意識の内に、どっぷりと哀調の安らぎに包まれる。
この良さが島津亜矢さんの芸の本質かと思われる。

 次は、「おさらば故郷さん」である。
   「花の都で切ない時は いつも偲んだ山川なれど」
の、この一節のフレーズが好い。
この歌唱を聴くたびに、室生犀星の詩を思い出す。
   「故郷は遠きにありて思ふもの そして悲しくうたうもの」
この詩は、大岡信氏によれば、「上京した犀星が、志しが思うに任せない苦悩の時代に、帰郷した故郷で作った詩である。故郷は、孤立無援の青年には懐かしく忘れ難い。それだけに、そこが冷ややかである時は胸にこたえて悲しい。
その愛憎の複雑な思いを、感傷と反抗心を込めて歌っているのである。」と解説されている。

 こうした愛憎の苦しさから連想されるのが、26歳の若さで生涯を閉じた石川啄木ある。
   「石をもて追はるが如くふるさとを いでし悲しみ消ゆる時なし」
   「はたらけど はたらけど猶 わがくらし楽にならざり ぢつと手
   をみる」
こうした状況の啄木を支えたのが、故郷ではなく友人の金田一京助氏であった。金田一氏は収入の相当額を啄木の支援に回していたようである。
それにもかかわらず、啄木は、
   「かにかくに渋民村は恋しかり おもいでの山おもいでの川」
   「ふるさとの山に向かいて言ふことなし ふるさとの山はありがた
   きかな」
と詠っている。
このようにいつの時代でも、故郷を持つ者は、故郷は心の慰めや励ましになっているのである。
故郷とはものは言わないが、こうしたこと自体が哀調に結びついているのである。

 島津亜矢さんは、芸における哀調の表現がずば抜けて上手い。
これは心の優しさからくるものであろうが、声質も哀調表現に適っているからである。
だから自然に歌えば、それだけで魅力的な哀調表現が発揮できる。
加えて、こうした類(たぐ)いの楽曲を、丁寧に噛み締めるように歌うから、懐かしい思い出がしみじみ甦ってくる。この寂しく、悲しい気持の哀愁が、もの悲しい様子に変わるときに生まれる美が、島津亜矢さんの洗練された哀調なのである。島津亜矢さんの哀調をこよなく愛せれるのは、この洗練された美の豊かさにある。

 三番目は、「旅愁」と「思い出よありがとう」である。
この二曲の歌詞は、阿久悠さんの作品である。
「旅愁」は
   「目をあかく 染めた娘の 別れの言葉 思い出す
   あれから数えて 何年 もう誰もいない」

   「赤とんぼ 追いかけた 姿が胸に よみがえる
   あれから数えて 何年 もう誰もいない」

   「あのひとも このひとも 旅路の夢に 見るばかり
   あれから数えて 何年 もう誰もいない」
 「思い出す」、「よみがえる」、「見るばかり」と、直感的表現で、哀調を誘おうとしているが、これは平面的な情緒感で、厚みに掛けやすい。それを補うために、一見、詞の前後とに違和感を覚えるような、時間の経過を飛躍さす表現と思える
   「あれから数えて 何年 もう誰もいない」
とした言葉を挿入している。そのことで、情感に厚みが持てるようになっている。こうしたところが阿久悠さん作品の魅力であろうか。
だが、島津亜矢さんは歌唱で、ここの部分に「うなり」を使っている。これは、勇敢な決断かと思われる。
何故なら、本来、哀調を主体とする楽曲には、「うなり」は必要としないものである。「うなり」の持つ個性の強さに、気持の柔らかさを求める哀調の好さが、負けて消えるからである。すると楽曲の良さが無くなる。
ところが島津亜矢さんの歌唱する「旅愁」は、この「うなり」の導入によって、哀調に緊張感が走り、きりりと引き締まった楽曲に変身している。そこには哀調を楽しむ楽曲に有りがちな、「中だるみ」が生じていない。
島津亜矢さんは、楽曲における詞の直感的・平面的な情緒感に、時間的飛躍をみせて、感性に厚みを増すこの詞の表現で、そこに生じる違和感の解消に「うなり」を使って対処したのである。
それは、「うなり」の個性の強さを利用するこで、違和感で分散され弱体化しやすい哀調の美しさを、見事にまとめることに成功している。
このあたりに、島津亜矢さんの芸感の好さが光っている。
これは、楽曲に対する敬愛と、詞の哀調に底のない深さを見出した思慮深さからきている。
これによって、「旅愁」は、人生の旅人として感じるしみじみとした寂しさが、遺憾なく発揮された楽曲となって楽しめるようになっている。

では、「思い出よありがとう」はどうであろうか。
   「思い出よありがとう
   哀しみも 苦しみも含め ときに憎んで いたけれど
   それもまた人生だった」
   「思い出よありがとう
   時が過ぎ 懐かしさだけが 胸の扉を叩きに
   今日もまた 訪れて来る」
と、あるこの詞は、人間の我欲に翻弄された心の刹那を振り返った詞であろう。生活を充実させて生きようとして、そのために持つ我欲ではあるが、一方、その我欲に悩まされたことに対する、感謝の詞なのかも知れない。
こうした意を持つ詞に、メロディーがこれまたすばらしい。
後半の
   「歌よりも歌らしく こころをゆさぶる」
の半音上がるが如き小節部分などは、この詞の持つ意を最大限に盛り上げたメロディーの表現になっている。これによって、哀調感は更に深くなる。
そして、何と言っても感銘を受けるのは、その詞とメロディーを最大限に生かした歌唱をする、島津亜矢さんの歌唱力である。
それには、楽曲の美しさを感じる前に、感動が先走る。
感動とは本来、美しさを感じて、その後で生まれるものである。ところが今回、感動が先走るのは、歌唱に伴われた哀調の所為であろう。
歌唱には、思い出す苦しみや哀しみの、微妙な心の揺れまでも伴っていて、その揺れによって懐かしさが増幅される。そうして増幅された心は、すでに楽曲鑑賞の余裕を無くしている。
島津亜矢さんの歌唱力の凄さは、そうして自らの歌唱で起した余裕を無くするその弊害を、清楚感というフィルターで濾過し、哀調の美しさのみを感じ取れるものにして、聴く者の心を元に帰していることである。
この技芸こそ、芸術である。こうした鮮やかな技芸の芸術性に気付く人は、皆無ではないことを祈りたい。
ここに、島津亜矢さんの芸を楽しむ極意があるように思われる。

 このように、第二歌唱群は、自然体の中に哀調の本質を生かす歌唱でありながら、楽曲それぞれの個性をも尊重した哀調の表現になっている。
同時に、一般的な「もの悲しさ」の哀調と、四つの特質を持つ島津亜矢さん特有の哀調の二種類を、自然体の歌唱の中で味わえるよさもある。


 病み深きこころも深き悲しみの 氷室の午後の篤きそら夢


幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑥ 



 投稿者  安宅 関平

 さて、島津亜矢さんのこうした「新しい哀調」には、哀調自体の原型を見ることができる。
 では、哀調自体の原型とは、どのようなものであったかである。
それは、今日感じる哀調は、「哀れみ」から「静的哀調」へ進化発展したものであるが、元になる「哀れみ」には、「生きる力」が備わっていて、それが生活の中に生きていたと思われる。
それは、可哀想にと思う気持とか、同情することそれ自体に「生きる力」が潜んでいるからである。
ただ、その「生きる力」は微弱であった。それが微弱なだけに「静的哀調」へ発展する過程で、消えてしまったものと思われる。
そうした経緯で無くなっていた「生きる力」が、島津亜矢さんの創造した「新しい哀調」に再現されている。
ここに、哀調の原型を見るとした理由がある。
しかも、創造された「新しい哀調」では、「生きる力」が「生きる力強さ」にまで進展している。
進展した「生きる力強さ」のそこにあるものは、人間の魂へ働き掛ける積極的な作用である。この作用が情熱的感情や感動を呼び起こすという凄さ伴っている。このような働きを持つ哀調を、誰もが未だかって体験したことはないだろう。
この働き掛けは、楽曲のリズムとかメロディー、歌詞、歌唱の技術、等々の刺激で高ぶられるものとは、少し異質なところがある。
それは、島津亜矢さん特有の「声質」を駆使した大胆で不敵な感にある。この大胆で不敵な感を、一口で言えば、静けさに活力を含んだ「哀調」と云えるたろう。
その特質は、昔の「哀れみ」にみた「生きる力」は、可哀想とか同情心に付随的に潜んだ微弱な美であったが、「新しい哀調」は「生きる力」そのものの美しさに、堂々と真正面から取組み表現していることである。
これは本質的に、「哀調」の変革だと考えてよいだろう。

 ではここで、その変革性を見てみたい。
その資料として、オリジナルやカバーを問わず歌唱楽曲を、哀調の特質ごとにグループ別けして探ってみたい。
第一歌唱群に、「人間」・「ヨイトマケの唄」・「船頭小唄」、
第二歌唱群に、「津軽のふるさと」・「おさらば故郷さん」・「旅愁」・「思い出よありがとう」、
第三歌唱群に、「会津の小鉄」・「男 新門辰五郎」・「花の幡隋院」、
第四歌唱群に、「川」・「竹」・「波」・「富士」・「山」「年輪」、
第五歌唱群に、「裏道の花」・「悲しい酒」・「京都から博多まで」・「心もよう」・「麗人抄」、
この五通りの歌唱群のグループ別けである。

まず、変革性の最たるものは、第一歌唱群の楽曲「人間」、「ヨイトマケの唄」、「船頭小唄」にみる、倒れて立ち上がるときの感動の美しさを、表現する鮮やかさである。
 これはどうして起きるのであろうか。

 元々、島津亜矢さんの歌唱における「哀調」の特質の第一は、静けさに活力を含んでいることから、すべての楽曲に相性がよいことである。
ということは、島津亜矢さんの哀調には、多様性が備わっているのである。
その「哀調」の多様性は、五つの歌唱群のすべに性格が合っていることで証明できるであろう。
また、第一歌唱群のなかからでも、その多様性を読み取れる。
第一歌唱群にみる哀調は、一律的ではない。
三曲とも哀調は違っている。歌唱の同一性を感じて集めた歌唱群であるにもかかわらず、それぞれが魅力ある力強さを持って聴こえる。ここにも多様性のよさが見られる。
次に島津亜矢さんの歌唱における「哀調」の特質の第二は、「哀調」によって芸が生きて感じられることである。
それは、歌唱の底や裏に哀調が伴われて、それが隠し味となり、ほど良い心地よさで心に沁みることである。そこに、芸が生きていると感じることにつながっている。このことは、五つの歌唱群のすべてに云えることである。
また、明治以降、西洋音楽に、哀調をかぶせた楽曲が出回り、いまやそれが様々なジャンルに別れ、あふれている。そのすべてに存在しているのが「哀調」である。
島津亜矢さんの歌唱における「哀調」の特質の第三は、様々なジャンルのすべてに「哀調」を見る、垣根の無い歌唱振りである。
ジャンルを問わず歌唱する楽曲が、聴く者の心に心地よく響いて入ってくることで、それがよく分かる。
それは何故かと考えれば、哀調の使い方に、日本人好みとなるような巧みさがあり、それに追い討ちをかけて迫る、芸人の慈愛があるからであろう。
 ところで、その垣根の無い歌唱の本質は、先人が生きる盾とした哀調を引き継ぎ、それを現代人に分かりやすくして表現することで、心地よさと感動を呼び起すのであろう。それを、注意深く聴くと、歌を哀調ですべて丁寧に染め上げていることに気付く。
 そこで注目したいのは、歌を哀調で染め上げるとき、他の芸人に見られない大胆不敵な染め方をしていることである。この染め方には、不退転の勇気が必要であったろう。
その勇気によって、哀調の性質を芸の中で最大限に生かすという、島津亜矢さんの優れた一面を、見ることにつながるのである。
その生かし方が、また素晴らしいのである。
それは、聴く者の内面に魂のこもった情熱的・感動的な情感を、呼び起こすことである。それによって、哀調は「生きる(=生存する)希望」の性質を帯びた力強さを持つ哀調になるのである。
この哀調の特質が、第一歌唱群の三曲において、共通して働いている。

 そこで、五つの歌唱群にみる個別の特徴を見てみたい。
 第一歌唱群の特徴は、慈愛の情感が先に立ち、歌唱中の哀調の認識度は極度に高いものではないにもかかわらず、後味(あとあじ)に「哀調」の味の好さが、いつまでも残ることである。
それは、歌声に掛かっている声質の「哀調」の所為でもある。
それは澄み切った高音域の歌声に伴われる「哀調」にある。
この、「声質にある哀調」に、先人の「生きる盾とした哀調」が加わると、歌唱の声質は、絶叫に似た力量感を見るものに感じられる。
この絶叫に似た力量感は、聴く者を何故か奮い立たせる。更に、そこに感じられるソウルフル感が、人心を激しく抉(えぐ)りに来る不思議さを持つ。
この現象は、「人間」の歌唱に色濃く出ている。
こうした歌唱は、哀調で人間の魂を揺り動かす「極限の表現」であろう。
その極限の表現が、生きる「激」となる勇気の言挙(ことあ)げとなっている処に「生きる力強さ」をみるのである。
 これが第一歌唱群にみる、「慰め」から「生きる力」に変わる時の美しさまでを捉えた、力量感のある哀調の美である。
つまり、自立する美しさなのである。
 大衆の多くは、この第一歌唱群にみる島津亜矢さんの高音域の持つ、哀調感の響に、無意識のうちに心を奪われるのは、よく理解できる。
中でも、「船頭小唄」の最後の高音の歌声は、その典型である。
 これが、島津亜矢さんの「ここ一番の強さ」の秘密を支える哀調である。

 次稿では、第二歌唱群を追ってみたい。


 風の盆迎えたる身は病み深き むかし語りし坂は上れず