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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-⑯ 


 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの芸は、すっかりとはいえないまでも、「心の糸」は見えなくなっている。
「心の糸」が見えないときは、それは「無心の芸」か、それに近い芸であると言えよう。
 世阿弥は、著書・「花鏡」の「万能綰一心(まんのうを、いっしんにつなぐ)」の項で、この「無心の芸」を説いていた。
それによると、芸を操っている心を充実・緊張させて、そこにある「心の糸」を観客に見せない芸で綰(つな)ぐことが、面白い芸になるというのである。

そして、その章の最後の〆は、
   「そうじて、即座に限るべからず。日々夜々(にちにちやや)、
   行住坐臥(ぎょうじゅうざが)にこの心を忘れずして、定心
   (じょうしん)に綰(つな)ぐべし。
   かように、油断なく工夫せば、能いや増しになるべし。
   この条、極めたる秘伝なり。
   稽古に有緩急(かんきゅうあり)。」 【原文】

と、結んでいる。

この意は、
   「これは、舞台で演じるときばかりでなく、日夜、行住坐臥
   (=日常の立ち居振る舞い)にまで、この心を忘れないで、常
   に留意すべきものである。
   こんな風に油断なく研究してゆくならば、芸はいよいよ進歩
   するであろう。
   この項は最高の秘伝である。
   芸の修業・研修には緩急なのと切実なのがあるが、もちろん
   後者でなくてはならない。」 【訳文】

と、いうことである。

 世阿弥の上記一節とする鏡にも、島津亜矢さんの姿はピタリとはまって、美しく鮮明に映し出される。
 それは、日頃の生活の中で、芸の修業を積んでいることである。
例えば、食について言えば、毎日三度の食事のできることへの感謝とか、ファンによる差し入れ等の一品一品を、あり難く頂く姿とかに、それをみることができる。
また、つい見逃しがちなことは、あの細やかな気配りである。
それは人との出会いのすべてを、一期一会として大切にしている証である。
さらにそこに深い慈愛や慈悲のこもることまである。「のど自慢」でみせる落涙のさまは、その典型である。
こうした中から、何かを学び取りそれを蓄えて、芸の肥やしとしている。
これらが、日々を修業の場としていることの一面である。

 世阿弥の説く芸能は、芸は芸人の「心の糸」で操られている。その「心の糸」なるものは、元来、素人には見えはしない。然りに、それでも「見せてはならない」としている。
 その意の深さは、どこにあるかである。
 それは、舞台で芸を見せているときや、芸と芸をつなぐ間においても、心の作用する働きを止めず、心奥の緊張感を維持すること求めているのである。それが見る側にも漂(ただ)よって、「面白い」芸として映るというのである。
 さらに、心の作用は、舞台だけでなく、「日々夜々」「行住坐臥」の行動においても、忘れないことを求めているのである。これは日頃からの緊張感が、いざ舞台に上がったときに、素晴らしい演技を生むというのである。
これが、「心の糸」なるものの仕業(しわざ)だとしているところに、意の深さがある。
そして、この仕業は、秘伝の中の秘伝だから、身にしみて大事なことだと感じるように心得よと言っている。

 ここに世阿弥は、「心の糸」を形成しているものは、日常生活の中での鍛錬であるといっている。この鍛錬は、単なる努力を超えた極めて質の高い芸の修業として位置づけしている。平たくいえば、日々、朝の目覚めから夜に床に就くまでの一挙一動が、修業だということの厳しさを述べているのである。

   「かようなれども、この内心、ありと、他(よそ)に見えては
   悪かるべし。
   もし見えれば、それは態(わざ)になるべし。」

と記しているのは、こうした日頃の努力の結晶は、見えてはいけないものとして、その修業の性質を特徴づけている。
更に、

   「無心の位にて、わが心をわれにも隠(かく)す安心」

と記しているのは、無心となって、自分の心を自分にも隠すことを求めているのである。
 これは、単なる「無意識」とは違い、鍛錬を重ねた稽古と深い経験から、修業を苦とすることから解き放たれ、心が自由になることを意味している。つまり、修業は日常の生活中にあるから、修業に伴う苦は存在しない。苦なるものはいつしか楽しさに変わっていて、生活を充実させる働きをしている。解き放たれて心が自由になるとは、言葉を変えれば、日常化された修業の中で生きるさまを言うのである。
この高度な心の持ち方ができて、初めて「糸」が舞台から消えるというのである。

 このことを世阿弥は、目の肥えた観客は、この見えぬはずの糸に面白味を感じているが、芸人が高度な心の持ち方ができて、「心の糸」から自由になれた芸を表現したとき、観客も芸人もそこに糸のあることを忘れるという、このあたりの微妙なバランスの上で成立する芸ほど、面白いものはないと言っている。
これが世阿弥の言う技芸面における「無心の芸」である。

 さて、こうして世阿弥の芸の真髄に触れてみると、島津亜矢さんの芸には幾つもの思い当たるところがあった。
 例えば、下手に感じる芸と上手く感じる芸との差である。それは不自然な芸と自然な芸との差であった。そこにあったのは、「心の糸」見えるか見えないかの違いである。
また、緊張感の有無である。これは舞台芸での「心の糸」を見極める重要な要素になっている。この部分については長くなるので、次稿で改めて採り上げたい。
 島津亜矢さんの芸に深さを感じるのは、このように世阿弥の芸の真髄に添ったところが多々あるからだろう。

 世阿弥のいう「無の芸」とは、精神面で「無欲の芸」を指し、技芸面では「無の糸」を指すという、二種の「無」をいうのである。
 若い諸氏において、後者の「無」にわずかでも悟れるところがあれば、世阿弥の思いが通じることになるだろう。
というのも、島津亜矢さんの芸の深さを実感できるか否かの焦点は、この「無の糸」の見方であり、感じ方にあると思われるからである。
 芸の鑑賞に、こうした世阿弥の論旨が参考になれば、後は自己流で「無の糸」の発見・鑑賞に臨むこともできよう。
 さすれば「幸」は遠からず、諸氏のもとにやって来ると思われる。


 真清水の速き流れの岩波に 恋は渡れず悲しさつのる


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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-⑮ 



 投稿者  安宅 関平

 ところで、感性豊かな若い諸氏において、島津亜矢さんの芸の深さを、いろいろな観点から鑑賞できるという実感が持てれば、芸の楽しは更に増すものと思われる。
そしてその楽しさは、必ず「幸」を招いてくれるだろう。
 何故そう言えるかといえば、それは島津亜矢さんの「芸の魅力」の発見につながるからである。
魅力の発見は、高度な鑑賞眼を備えることにつながり、備わった鑑賞眼は人間性を豊かにしてくれる。それがまた、今後の島津亜矢さんを支える力にもなる。

 ただ、この良さに気付かずに時が過ぎ、島津亜矢さんの芸が見られなくなると、多分、後悔するのは若い諸氏かと思われる。
それは親を失った後の、子の後悔と似た感じのような気がする。
 というのも、今までと違って、いまからの島津亜矢さんの芸は、若い諸氏方のためにあると思われるからである。
何故かといえば、島津亜矢さん自身は、日々、芸の完成に努力を重ねている。その努力は、若い諸氏諸君に、より多くの「幸」を届けるために必要なものだと考えているからである。
若い諸氏においては、自分達のために努力を重ねている芸人が、ここにもいると思えば、そこから生まれる「幸」は貴重なものになるだろう。一方で、それが島津亜矢さんの大切な芸の基盤にもなる。
 島津亜矢さんの芸はこのようにして、感性の豊かな若い諸氏のためのものに、なっていくものと思われる。

 では、島津亜矢さんの芸の深さを、いろいろな観点から観賞できる実感を持つには、どうすればよいかということである。それを探してみたい。
 その一つには、「無心の芸」に気付くことであろう。
 従来より機会あるごとに、島津亜矢さんは「無心の芸」に向っているとか、「無の芸」を目標にしているとかを言い続けてきた。

 では、その「無心の芸」とは、どのようなものかである。
 そこで、世阿弥のいう「無心の芸」という鏡に、島津亜矢さんの芸を映して見てみよう。すると、どう映るかである。
それを、鑑賞の際の参考にできないか、試してみたい。

 世阿弥は、著書・「花鏡」において、「無心の芸」について
   「万能綰一心(まんのうを、いっしんにつなぐ)」
とした言葉の中で、次のように記している。

   「内心の感、外(そと)に匂(にお)いて面白きなり。
   かようなれども、この内心、ありと、他(よそ)に見えては悪
   (わる)かるべし。
   もし見えれば、それは態(わざ)になるべし。」 【原文】

この意は、
   「舞台ではあらゆる場合でも少しも気を抜かず、内心の緊張
   を持続することである。この奥の心の充実緊張が、舞台にあ
   ふれ出て、面白さとなるのである。
   しかしながら、注意を要するのは、役者がそのような心がま
   えをもっているのだと、外面に見えてはいけないのである。
   もし観客に見てとられたら、それは、もはや意図的な演技に
   なる。」 【訳文】

 世阿弥の著書・「花鏡」におけるこの件(くだり)を鏡にして、島津亜矢さんの舞台における芸を映してみると、その内容はピタリと当てはまる。
平たく言えば、舞台上での一生懸命さ、手を抜かない真面目さ、芸に注ぐ一途さが舞台にあふれ出て、観客がそれに酔いしれる芸になっている。
そして、それが意図的に感じないのが不思議である。そこには芸に自然さが漂っているいるからであろう。

続けて、
   「無心の位にて、わが心をわれにも隠(かく)す安心にて、せ
   ぬ隙(ひま)の前後を継(つな)ぐべし。
   これ即ち一心にて綰(つな)ぐ感力(かんりき)なり。」 【原文】

この意は、
   「無心の境地で、自分の心を自分にもさとらせないような心
   がまえで、技芸の間の空白を綰(つな)がなくてはいけない。
   これはすなわち、万(よろず)の技能を一心で綰(つな)いで興
   趣を生む力なのである。」 【訳文】

 この件(くだり)は、技芸を一心でつないでいく、内面の力を指している。
つまり、退屈な芸だとの批判が当たる芸は、心遣いの大切さを心得ていないからである。心遣いとは、心の働きを一時(ひととき)も止めないことである。
心の働きを止めないでいれば、その緊張感が見る側に面白いと映るというのである。
島津亜矢さんの芸で、この件(くだり)に該当するのは、芸の基盤である緊張感であろう。
芸には、緊張感が終始張り詰めている。だからそこには無駄が無くて美しい。楽しさはそこにある。ここが魅力である。この魅力は技芸を一心でつないでいる緊張感に依っている。

更に続けて、
  「生死去来(しょうじこらい)、
   棚頭傀儡(ほうとうのかいらい)、
   一線断時(いっせんたゆるとき)、
   落々磊々(らくらくらいらい)。」 【原文】

と、記している。
それは、
   「生が去り死がやってくるのは、ちょうど棚の上の操り人形
   が、操り糸が切れるや否や、ガラガラとぶっ倒れるような具
   合だ」 【訳文】
との、意である。

これに続けて、その内容を説明している。
それによると、
   「これは、生死の世界をめぐり迷っている人間のありさまを
   譬(たと)えたものである。棚に載っているカラクリ人形は、
   いろいろ活動するようだが、実際は自分で動くのではなくて、
   操っている糸の働きにすぎない。この糸が切れたら最後、ガ
   ラガラとぶっ倒れてしまうだろうという意味である。
   芸においても、いろいろな演技は、譬(たと)えてみれば造り
   物の人形である。これを操っているのは、心である。
   この心は、決して他人に見せてはならない。もし他人に見え
   るならば、操り糸が見えるのと同様である。どこまでも、心
   を糸として、他人に感づかれないようにして、その糸でいろ
   いろな芸を連ねるがよい。
   もしこんな風にできるならば、その人の芸は生きてくるであ
   ろう。」 【訳文】のみ
と、記している。

 この件(くだり)に該当することは、色いろな芸人さんの芸をみて、そこに下手に感じる芸と上手に感じる芸の、その差はどこにあるかをみることである。
さて、そこにあるのは、「心の糸」が見えるか、見えないかにあるだろう。
テクニックとか、わざとらしさとか、不自然な芸には心の糸が見える。自然な芸にはそれがない。この差であろう。

 世阿弥のいう「無心の芸」とは、精神面では「無欲」を指し、技芸面では見せない「心の糸」を指している。
この二種の「無」のうち、島津亜矢さんの芸は、前者においてはまだその域に達してないように感じられるが、今回、ここで言えることは、後者の「無」である「心の糸」は見えないことである。
 世阿弥はこの「心の糸」を見せないことについて、それは単なる努力ではできないことだと言っている。
見えない「心の糸」の形成は、日常生活の中での鍛錬によるものあって、単なる努力を超えた極めて質の高いものだとしている。
 さて、話は更に続いて長くなるので、この後は次稿に譲ることにしたい。


 み雀の水浴びの跡うづもれる 冬風枯れて降れる白雪


幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-⑭ 



 投稿者  安宅 関平

 先月下旬、「演歌歌手・吐血、入院」という報道に触れ、驚いた。
この方は、島津亜矢さんに負けず劣らずのバイタリティで、コンサートをこなし、デビューから6年のキャリアとは思えないほど、全国の多くの方々に親しまれている芸人さんである。
それだけに今回の入院は、色いろな意味で悔しいだろう。
だが今は、元の身体に戻るよう治療に専念してもらいたい。
身体さえ戻れば、その悔しさは挽回できる実力をお持ちの方だからである。

 ところで、同様な悔しさは、島津亜矢さんも何回も味わっている。
にも関わらず、身体を崩さなかったのは、傍に星野哲郎氏が常にいたからである。そして、その度ごとに教えを乞い、芸と人格を磨いて切り抜けてきたものと思われる。この場合、お鮨がよく効いたようだとか!。

 この芸人さんと島津亜矢さんの似たところは、更にまだある。
 この芸人さんの現在の年齢は、島津亜矢さんがアルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」をリリースした頃の年齢に近い。
それは島津亜矢さんが、芸も人格も一皮剥(む)けて成長した頃である。
 多くの芸人は、この年代にステップしている。
それは生まれてから止まることを知らなかった心身の成長が、この頃に初めて止まることを体験する転換の時期だからである。
これは自然の原理であるが、得てして真面目に生きる者や、優しく生きる者にとっては、そのダメージは大きいものと思われる。
それだけに立直るには時間の掛かることもある。島津亜矢さんも3年は掛かったようである。しかし、こういう芸人さんは、それを克服できれば、見違えるような芸や人格を身に付けてくる例が多い。

 更に、似ているところはこれだけではない。
 この芸人さんのファンも、島津亜矢さんのファンと非常によく似た熱血漢の持ち主が、多いように見受けられる。
ということは、島津亜矢さん同様に、この芸人さんも質の良いファンに支えられていると感じられる。
ただ、芸歴32年の島津亜矢さんと違って、6年の芸歴だから、今後どのようにファンの変遷をみるかは分からない。だが、島津亜矢さんのファンの変遷をみるとおよそ、その見当はつく。

 では、島津亜矢さんのファンの変遷は、どうだったかである。
 まず、島津亜矢さんのファンの特徴をみると、児童の登校を見守る父兄や老人会で組織された「見守り隊」の性質に似ている。
それは、心底にこもっている愛情が、半端ではないことである。だからと言って、出しゃばらない奥ゆかしさがある。そこがファン行動に気品を感じるところである。

 ところで、ファンの変遷である。
 その第一期の「見守り隊」は、15歳でのデビュー時である。
それは、主に地元の植木町の方々が中心で、人数は多くはなかったという。
 というのも、島津亜矢さんのデビュー時、熊本では3人もの演歌歌手が全国を股に掛けて活躍していた。
それは、当時41歳の水前寺清子さんがデビューから22年のキャリアを積んでいた。36歳の八代亜紀さんは15年、28歳の石川さゆりさんが13年というキャリアがあった。
この3人が積んだキャリアの重圧は、島津亜矢さんにずっしりと覆いかぶさっていた。それは熊本での演歌のファン層は、この3人で寡占され、新人の入り込む余地はなかったようである。
 だが、その道は素人でそうした事情を知る余地の無い地元の人達は、ただ、誠意という武器だけで、漠然と始めた支援体制であった。
その後、成長した「見守り隊」が持っている愛情は、こうした地元住民の善意で、純朴な勇気ある行動によって出来上がったものが、引き継がれているようである。
 当時、大牟田市に住んでいた友人の話しによれば、あの片田舎の植木町の人達による遠慮がちながらも、溢れる熱気と人情味に触れると、この純真な人達のためにも、島津亜矢さんを応援したくなったと語ったことを思い出す。

 次に、第二期の「見守り隊」は、島津亜矢さんが20歳の頃で、2年ぶりの新曲「愛染かつらをもう一度」のリリースの時期である。
この時は、前述の友人によれば、異常な興奮状態にあったと聞く。
それは、不純な利害関係は受け入れず、組織的支援団体は持たず、間口一間・奥行き二間の小さな新事務所を立ち上げただけで、母と娘が実力主義を押し通すといういまだかってなかった女伊達らの一匹狼を、「アッパレな芸人根性」と賞賛する「見守り隊」が、全国各地にあふれ出たとのことである。
この当時のファンの多くは、それ以来27年間、いまだに辛抱強く「見守り隊」に徹して今日まで支援してきている鉄人である。
その典型的な例は、新潟の「亜矢亭」さんである。
それは、ズブの素人が興行主となり、大赤字覚悟で島津亜矢専用のコンサートを永年続けていた。一昨年当たりより黒字計上ができるようになったことから、これで島津亜矢さんは芸人として揺るぎない軌道に乗ったと判断され、その後コンサートは中止している奇特な「見守り隊」の一員である。
愚者もこのコンサートには5回ほど参加させてもらったが、毎回、コンサート会場は素人特有の非常に温か味あるものだった。あの人肌に似た温もりは今も残っている。
 ところでこの間に、この一匹狼が「心の涯まで届く歌」へたどり着くのを夢に見ながら、鬼籍に入られた多くの人達もいる。
その人たちの無念さは、計り知れないものがあろう。
島津亜矢さんは、それらを背にして今日まで頑張って来たものと思われる。
そして今、ようやく「心の涯まで届く歌」に辿りつこうとしているその雄姿をみる時、鬼籍に入られたファンの方々は、さぞかし草葉の陰で落涙しているのではと思ったりもする。

 さて、今日現在のファンの方々は、いわば第三期の「見守り隊」の時期に、遭遇していると思われる。
この遭遇している時期とは、島津亜矢さんが「芸を極める」その過程に立ち会っていると言っても過言ではない時期である。
「芸を極める」とは、芸が完結をみる最終段階である。考えてみれば、演芸を愛する者にとって、これほど幸せなことは無いと思われる。
これに立ち会った貴重な当事者意識としての幸福感は、それが過ぎ去った後でなければ、その価値を見い出せないことが多い。
これを、世間では後の「祭り」と言っている。
さて、現在のファンは、それをどう捉えているかである。
ただ、一つだけ言えることは、こうした最高とも思える現在の機会を与えてくれたのは、第一期、第二期のファンの方々の島津亜矢さんを支援し育ててくださったお陰であることに、感謝の気持を忘れてはならないということである。
この方々がいなければ、今の島津亜矢さんは存在しなかったものと思われる。
質の良い芸人においては、ことさら興味が芸に集中するあまり、こうしたことはつい見落としがちになりやすいことである。

 以上が島津亜矢さんのファンの変遷である。
そこに一貫して居るものは、愚直とも思える純朴な「愛」である。
 この度、報じられた「吐血、入院」の芸人さんのファン層も、島津亜矢さんのファン層と同様の、美しい「愛」をお持ちの方々であろうと思われるから、今後その変遷もよく似た軌道をたどる可能性がある。
こうしたファンの方々と同様に、島津亜矢さんのファンの多くは、この芸人さんの回復を祈って止まないものと思われる。


 四万十の川の別れが染みてくる このわびしさは色にもあらず


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 投稿者  安宅 関平

 さて、島津亜矢さんは、前稿にあるように芸に対する努力と苦労を重ねてきているが、誰もが知る代表的なヒット曲を持たないのが残念なところである。
その理由は様々あろうが、そうしたことは横へ流して、この後は、更に増した真心のこもった歌唱を心がけ、それを大衆に届けられれば、そのチャンスは必ず訪れるものと思われる。
 先般、それに関したごときことを、ある歌番組で感じたのを思い出す。
それは、2018年11月25日、NHK放映の「新・BS日本のうた」での一場面である。
この回のメインテーマは「古賀メロディー大特集」であった。
スペシャルステージでは、その古賀メロディーを出演者が交代で披露する構成である。その番組も半ば頃まで進行した折、司会者と島津亜矢さんの対話が始まり、古賀政男さんと村田英雄さんのエピソードを語り始めた。
この語りのなかで、NHKは島津亜矢さんに、意外な言葉を語らせている。
というのも、NHKでは番組に台本があり、言葉の一言一句に演出・脚本家の指示やチェックが入ると聞いている。そうした中において、意外と思われる言葉を語らせたこの番組の演出家は、相当、骨太な人物かと思われ驚いた。
ただ、それは言葉の流れからは、さすがに抵抗感を見ないものになっている。島津亜矢さんも聴く人の抵抗感のないようなさり気なさと、やや恥じらいぎみで、その語り口は自然であった。
その対話は、下記の通りである。

  小松宏司アナウンサー、
   「ヒットという点では、あまりうまくいかなかった珍し
   い例があります。
   それが昭和の大歌手「村田秀雄」さんです。」

  島津亜矢さん、
   「村田秀雄さんと古賀先生と言えば、「無法松の一生」
   「人生劇場」、ほんとに日本の歌謡史を代表する名曲が
   ありますよね。」

  小松宏司アナウンサー、
   「今となっては、どちらも歌謡ファンであれば、知らな
   い人はいないという名曲ですが、発表当時は、このビッ
   グな組合せの割には、大ヒットとはいかなかったような
   んです。」

  島津亜矢さん、
   「村田先生は歌謡界にデビューなさる前に、浪曲界でも
   押しも押されもせぬ大スターだったんですよね。」

  小松宏司アナウンサー、
   「その村田さんを歌謡界に誘ったのが、古賀政男さんで
   した。
   村田秀雄さんは「無法松の一生(度胸千両入り)でレコー
   ドデビューしましたが、あまり話題にはならなかったよ
   うなんです。」

  島津亜矢さん、
   「いい曲だからヒットするわけではない、売れることの
   難しさを痛感しますよね。
   私の歌の中にも、売れていない、いい歌がたくさんある
   んですけれど、村田先生でもそうだったんだなと思うと、
   勇気が湧きます。」

  小松宏司アナウンサー、
   「ヒット曲だから歴史に残るというわけではなく、大ヒ
   ット曲でなくても歴史的な名曲になる、歌の世界の面白
   さと奥深さをみる思いがしますね。」

と、いうものである。

 このように、対話の内容は表面上、簡単なことである。
だが、ある言葉の件(くだり)におけるところでは、巧妙に仕掛けられたものがある。
 それは、芸とは「良い物は良い」のであり、それはヒットの有無に関係しないことであろうということと、更に視聴者は、「いい物」を感じる観賞感が大事であろうことを、暗に指摘する仕掛けの施しである。
そして、こうしたことの代表例が、ここにいる島津亜矢さんの芸であろうということを、対話の奥に潜ませている。
 ここにはNHKの、報道面でニュースソースの信頼性、演芸面は良い芸人を育てるという基本姿勢が、現れているものと思われる。
実際、島津亜矢さんは、コンサートで掴んだファンと、NHKというマスコミが育てた芸人であるとした一面は隠せないだろう。この二面の相乗効果によって、現在の島津亜矢さんがある。
 さて、この対話の中で、どこにNHKらしからぬ意外な言葉を語らせているかは、読者のそれぞれに考えてもらうほうがよいかと思える。

 ところで、近年は演歌がヒットする時代ではなくなっている。
また、詞を作る人も、曲を作る人も高齢化して、その人員も少なくなってきている。
今後、島津亜矢さんが演歌を発展させる道は、若い世代の作詞・作曲家の発掘であろう。
それは若い世代の楽曲で、島津亜矢さん自身が感動する曲とか、好きになった曲を、オリジナル曲に取り込むことかも知れない。
それは、「帰らんちゃよか」がそうであったように、「母ちゃん」がそうであったように、島津亜矢さん自身がこの歌を歌いたいと思われる楽曲を探すことである。
と云うのも、島津亜矢さんの感性に合うものは、必ず大衆に合うと思われるからである。
もう、それだけ十分な心の鍛錬はできているように感じられる。
アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」までの苦労と努力は、ここにも発揮されるべきかと思われる。


 故郷はうら悲しくもみゆるかな 主の絶えたる霜月の庭


幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-⑫ 


 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの、芸の美の世界を追って、その本流から支流へ、更に支流からそのまた支流へと幾重も紛れ込んだ道を、本稿からは、本流に直に通じる支流まで戻してみたい。

 以前に、島津亜矢さんの芸の変遷を、大きく分けて、4回に分かれるとした採り上げ方をしたことがある。
 その中で、弟4次の変遷は39歳頃からかと思われ、それを2018年4月5日の投稿から前稿までの期間に亘って探ってみた。

 第4次の変遷の特徴は、37、8歳までは「普通の芸人」だった島津亜矢さんが、この変遷で「本物の芸人」に変化し、芸に厚味が感じられるようになったことであった。
それは、星野哲郎氏による「温故知新」の、倫理観の影響によるもと思われる。
その影響によって見い出した新境地が、自分を晒(さら)す芸につながり、それが生命力を持つ芸に生まれ変わったのである。
しかも、その生命力が顧客満足度の向上につながり、芸の進展に拍車をかけた。それがいまも続いているようである。

 では、その芸の進展の展開振りはどうだったかである。
 それは、40歳時にリリースしたアルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」に引き継がれている。
このリリースで注目されたのは、従来の「硬質芸」主体の芸に「軟質芸」を導入して、芸域を広めたことである。
それによって芸にマイルド感が生まれ、精神面の安定化が図られたとみている。
その結果が、島津亜矢さんのここ一番の強さである「集中力」に弾みが掛かった。
するとそこではっきりしてきたのが、「二種四分類の哀調」表現の充実振りである。
それがいま、「却来不急」を招くほどに、芸が充実した要因である。
 ここまでが、2018年4月5日の投稿から前稿までに採り上げたところの、芸の第四次変遷の展開要旨である。

 ところで、島津亜矢さんにとって、第四次変遷の展開による飛躍の原点は、「軟質芸」の導入とその充実振りにある。
ただ、それまで「硬質芸」が「軟質芸」に勝るような形で、「軟質芸」の頭を押え込んできたことから、「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」に見られた「軟質芸」の歌唱法は、女々しさをやや抑えた苦心の跡がみえたように、随分、苦労のあったことと思われる。
 島津亜矢さんの「軟質芸」への取り組みは、本来そんなに難しいことではないはずである。
何故なら、芸質としてかぶっている硬質の笠をはずせば、あの思いやりとか、優しさの慈愛心が必然的に表面に出て来て、芸は自然と軟質化すると思われる要素が、元々あるからである。
言い換えれば、軟質を抑えている硬質の活力が、削がれれば削がれるほど、島津亜矢さんという人間の「地の本質」が芸に現れ、結果として自然性の勝った軟質芸となり、より表現力の美しい芸に進むものと思われる。
更に、それによって、自分以外の他の活力を効果的に利用できて、芸の幅がさらなる拡がりを持つものと思われる。
それが、年齢に応じた調和のとれた自然な芸態につながるように思われる。
その具体的な事例が、詞、メロディー、楽器の音色を生かした芸の披露である。それが、舞台そのものの雰囲気まで巻き込めれば、芸の安定性と安心感は不動のものとなる。
このことを、分かりやすく言えば、島津亜矢さんが舞台や番組に登場することで、その舞台や番組が引き締まるという効果をみることであろう。
ただ、近年はその傾向が、みられるようになっている気がしている。

 さて、ここて「地に着いた芸」について考えてみたい。
島津亜矢さんのような経路をたどった軟質芸がマイルド感をみるのは、そこには地に着いた自然な美しさの魅力が発揮されているからである。
しかし、こうした経路をたどっていない芸には、芸が地に着かないことから、不自然で落ち着きの無いものに感じられる。
そこで芸人の多くには、それを表面上落ち着かせて見せるために、過酷な苦労と努力が伴われている。ところがそれでもその甲斐も無く、充分に報われることはない。そこには、何か無理があるからである。

 こうしたことは、島津亜矢さんも例外ではなかった。
 では、島津亜矢さんの場合はどうだったかである。
 やはり37、8歳までは、地に着かない芸に伴われた過酷な苦労と努力を積んでいた。
だが幸いなことに、その過酷な苦労と努力は無駄にならず、別の新しい魅力を生んだことである。
その魅力とは、無我夢中の美しさや、頑張ることの美しさ、純粋で一生懸命さの美しさが、大衆の共鳴や共感を呼んだのである。
更に、その共鳴を呼び・共感を覚える動機になったのは、その努力と苦労の方法が芸の正道に通じていたことにある。
というのは、それが牛歩ではあっても、確実な芸質の向上に目覚しい威力をみせたのである。
それは見るたびに変化する芸の向上による新鮮さである。
その新鮮さが、新しい魅力を発生させていたのである。
それら二つの魅力が、地に着かない芸の落ち着きの無い部分を、補(おぎな)ったものと思われる。
それを影で支えてきたのが、ファンの力であった。

 ここに、大衆の芸を鑑賞する鑑賞眼の、大切さがあるように思われる。
鑑賞眼は、芸を楽しむときの視点の置場で、楽しみ方が変わり、同時に芸人の成長を促す働きがある。
過去における島津亜矢ファンの特色は、ここにあった。
島津亜矢さんは、売れない地道な芸の正道の中で、芸を磨いてこれたのは、こうした鑑賞眼を持つファンの多さに助けられたお陰でもある。

 更に別にまた、芸の流転が良好な結果を招いたのは、「初老」という時期を過ぎると身体の衰えが芸に及ぼす影響を考慮した若いときからの対応策である。
多くの場合、身体の衰えの影響は芸の悪化を招いている。
島津亜矢さんは、その衰えがむしろ好転できるように、事前に周到な準備を施していたと思われる。
ここが、内部要因の肉体面の変化による影響がもたらした芸質向上の内容につながっている。それが具体的に表面化しているのが、他力の利用と軟質芸の導入・充実だと言えよう。

 このように、第四次の変遷で、著(いちじる)しい進境と感じられるところの芸の厚味は、こうしたところから発せられていると思われるのである。


 朝戸開け落葉ながむるむなしさに 心なきぞやあかぬ別れが