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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-⑪ 



 投稿者  安宅 関平

 さて、島津亜矢さんの芸の世界の良さを追い求めているが、その世界は実に複雑で迷路の数が多い世界である。この迷路を逐次追うと、何時しか目的が見失われがちになる。このような芸人はそんなにいないだろう。
そこで、主要道と思われる表通りへ出ようとするが、いま一つ抱えた難題を解決しないとそれができない不器用さが、この愚者のはがゆいところである。
 その難題とは、世阿弥がいう「却来不急」である。
これが島津亜矢さんの芸にどう関わっているかを知りたいのである。

 「却来不急」は、世阿弥の著書・「却来花」に次のように記されている。

   <原文>・「そもそも、却来風の曲と云う、無上妙体の
          秘伝なり。『望却来、却来不急』と云えり。」
  と、著書にある。
  その意は、却来風の芸というのは、この上ない絶対的な芸の秘
  伝である。「却来を願うけれども、急いで却来の境に達しよう
  としてはいけない」ということがある。
  と、いうものである。

「望却来、却来不急」の語源は、禅語だという。道理で「却来を願う、だが、急ぐな」とは、禅問答にも似た感がある。

 元々、世阿弥は名人において芸の新鮮さに突き当たった折には、「非風を是風として演じよ」と云っている。
これは、「芸が高い位に一度達した後に、もう一度低いくらいに立ち返る」芸のことである。「望却来」は、これと同意語である。
そして、「望却来」のあとに、この「却来不急」の言葉を続けている。
しかし、「却来は願うが、慌てなくてもよい」というのは、これは以外である。
と言うのも、「望却来」の証として、「蘭曲(らんきょく)」の至芸を挙げておきながら、何故、慌てなくてもよいというのか不可解である。
 そこで、その元を質(ただ)してみると、世阿弥の後継者だった長男の「元雅」の言葉にその真意があった。
元雅は、この「却来不急」を、「無用なことはせぬこと」と、解したとされている。
世阿弥は元雅のこうした「却来不急」の解釈を、高く評価したという。

 それは、高いレベルの芸のみで、大衆の感動を誘うことができるのであれば、そのレベルは繰返せばよい。
大衆の感動が停滞していないのに、芸質を落とした「却来」の芸を披露するのは、「やってはいけない芸、正統芸から外れる芸」だというのである。
というのも、それは、本来「却来」が目的とした芸ではないからである。そのため、芸は単なる駄作芸に陥るというのである。実力のない名人は、それがために芸が下手にみえるのと、よく似ている。
 つまり、高いレベルの芸で大衆が感動している間は、芸を却来して芸のレベルを下げる必要は無いというのである。その場合は、「非風芸」は「是風芸」に変身しないから、芸の質が悪くなるだけだというものである。
 世阿弥は、元雅のこうした解釈を高く評価した理由に、「却来」という特殊な芸位の本質を見抜いていると同時に、この当時、秘伝とした芸の扱い方まで心得ているとみたからである。
秘伝とは、むやみに見せること、ひけらかすことではなく、その秘伝の本質をよく理解し、秘伝を表現するのにふさわしい場と時を見定め、適切に表現する性質のもだからである。
世阿弥はその当時、こうした心得を理解した「元雅」の姿をみて、「元雅」が芸の悟りを開いた意の「芸の得法」を得たと喜んでいる。

 さて、ではこうした「却来不急」が、島津亜矢さんの芸にどのように関わってくるのかである。

 島津亜矢さんの芸が、行き着くところは「無」の芸の世界であろう。
しかし、「無」の世界は、一ッ飛びに行けるところではない。
その間に、数多く芸の開眼を要することがある。世阿弥のいう「非風を是風として演じる」時期の到来もその一つである。その折には「望却来」の心境を掴む必要がある。
星野哲郎氏は生前、こうした「望却来」の心境による芸の開眼を、内心で五十歳頃までになせることを、望んでいたものと思われる。
それにはあと三年と迫っている。この残された期間にあって、目標の相当近くまで成長されることと思われるが、達成には厳しいと感じられる。

 ここで、上記にある世阿弥の言葉が、甦ってくる。
 というのも、島津亜矢さんは、高いレベルの芸のみで大衆の感動を誘っている。
芸の新鮮さの保持に執着し、努力を重ねて芸の変遷を続け、感動を与え続けている。
さらに、今後も、こうした芸の続く期待が持てる。
その根拠は、次に掲げる言葉のなかにある。

 それは、2018年11月14日の紅白出場に関するコメントの中にある。
    「私のような歌手をこんな大舞台に 云々
    初心を忘れずに、挑み続けます。努力いたします。」
と、結んでいることとか、
更に、2018年11月16日の日本レコード大賞・企画賞受賞に際しての、
    「なんだか夢のような、、、私がこんな賞をいただ
    けるなんて、、、ファンの皆様、スタッフのおかげ
    です。云々」
と、されていることである。

 では、この言葉のどこに、今後の期待が持てるのかである。
それは確かに、この言葉はいつもながら見られる、島津亜矢さんの深い慈愛と奥ゆかしさを感じて、惹かれる言葉である。
だが愚者は、これは島津亜矢さん自身が自分対する非常に厳しい言葉だと捉えている。
今回のこの言葉の意は、これまでのような感謝だけでは終わってはいない。何か特別な決意の籠(こ)もったものがあると感じる。
その決意とは、こののちは、これまで以上の困難を伴う苦労と努力の修行に、見舞われるであろうが、それに負けずに立ち向かう強い意志の、秘められたものと受け止めている。
その秘められた秘め事とは、今まで以上に上等な芸に挑む覚悟である。
そこにあるのは、いまだ衰えることのない向上心の健在さである。
島津亜矢さんの内心に秘めたその向上心の健在さが、この言葉を紡いだのであろうとみている。
中でも
    「私のような・・」とか、「私がこんな・・」とか、
の言葉は、控えめで軟らかい島津亜矢さんらしい好感の持てる言葉である。
だが、逆に、その控えめであることに反比例するかのように、内心に秘めている如何なる厚い壁や障害があろうとも、勇気を持って立ち向かう気迫と、芸に対するめらめらと燃え上がる情熱をそこに感じる。そして、そのたくましさに感動するのである。
 これを額面どおり受け止められる間は、「非風を是風として演じる」時期の到来は、先送りされるものと思われる。
それは「却来不急」だからである。この現象は星野哲郎氏もすでに見込んでいたものと思われる。

ところで、ここに来てようやく分かったのは、「却来不急」とは芸が新鮮さを保ちながら向上している間は、「非風を是風として演じる」ことの必要がないことを意味していたことである。
何故ならば、「非風を是風として演じる」のは、芸が停滞したときに芸の回生を図る手段であるからである。
そこで、島津亜矢さんに、このたくましさと情熱のある間は、その手段を使う必要性はないということである。

 さて、芸の新鮮さを保っている間は、却来芸の必要はないという世阿弥の「却来不急」は、島津亜矢さんの芸にこうした形で関わっているのである。
 しかし、「非風を是風として演じる」という「望却来」のその時期が、「却来不急」によって遠くなったとしても、「無」の世界へたどり着くのは、早まっても遅れることはないだろう。
何故なら、「望却来」は芸の新鮮さを維持する手段に過ぎないからである。ということは、新鮮な芸を維持することは、いかに難度の高い芸の維持かが分かるであろう。
そこからは「却来芸」から得るもの以上に、芸を大きく羽ばたかせる多くのものを、得ると思われる。
「無」の世界に届くのが、早まっても遅れることはないとするのは、このためである。


 白川の川辺の松に訊ねたい このたけた芸むかしもみたかと


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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-⑩ 



 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの芸は、今後も進歩していくだろう。
進歩は芸の奥を深くし、幅も広げていく。すると、必ず世阿弥のいう「非風を是風として演じる」時期がやって来るに違いない。
その到来を無事に過ぎれば、芸は更に一回り大きく羽ばたき始めるものと思われる。
そして行き着くところは「無」の芸の世界であろう。
逆に言えば、この時期をクリアできなければ、「無」の世界は遠くなる。
「無」の世界が遠くなるとは、「望却来、却来不急」の心境に到達できないことである。
実力のない名人は、それがために芸が下手にみえる。

 では、「望却来、却来不急」とは、どのようなことかをみてみたい。

 まず、世阿弥は、著書「五音曲」において、音曲の表現形式を、五種に分類している。
それは、祝言、幽曲、恋慕、哀傷、蘭曲(らんきょく)である。
 祝言は、世の泰平に安んじ楽しむ芸だとしている。
 幽曲は、祝言にある種の趣を加えたものだとしている。
 恋慕は、感動的な情趣を加えたものだとしている。
 哀傷は、哀れで涙の浮かぶような心を主体としたものだとしている。
 蘭曲は、非常に程度の高い芸だとしている。

 世阿弥は、この五種にある蘭曲(らんきょく)の説明の中で、「望却来」の意の根幹に触れている。
 それは、次のようである。
「 蘭曲(らんきょく)と称するものは、非常に程度の高い芸である。
  あらゆる芸について鍛錬し尽くし、すでに上の段階に達した後に、
  非風と是風との差別を超えて、最高芸に似たところまでは行くが、
  最高芸と同じ処までは行けないところの、芸の段階を言うのであ
  る。つまり最高級の芸ではないが、それに次ぐ芸であるといって
  いる。
  それを
   <原文>・『是非を一音にし混じて類して等しからぬ位なり』
  と、称している。

  更に、
   <原文>・『これは、劫去却来(こうこきゃくらい)して、
         いや蘭(た)けて謡う位曲なり』
  と、している。
  その意は、この蘭曲(らんきょく)の芸は芸の奥義を極めた後、再
  び下層まで帰って来て、更なる芸を求める階層の芸であるという。
  禅宗において、悟りを達成したあとに再び未悟の境地に戻ること
  を「却来」というが、その言葉と同意語である。

  また、更に、
   <原文>・『この性位(しょうい)に至る、
         堪能(かんのう)にあらずは叶うべからず』
  と、言っている。
  その意は、蘭曲(らんきょく)というクラスに至ることは、すぐれ
  た芸人でなくては、到底不可能だというのである。
  【ここでいう「すぐれた芸人」とは、単なる天才のことではない。
  それは、血のにじむ稽古や努力を永年積み重ねて来た上で、
  その努力がようやく実り、はじめて他から天才と言われる芸人
  をいう。いわば苦労した芸人を指すのである。それは、苦労は
  人の心を肥やすからである。また、いかなる苦労もいとわない
  ことが、この民(民族)の美徳だとした信念が、ここに秘められて
  いるようでもある。】 」

 世阿弥の「望却来」には、このように思いの深い意味が込められているのである。

 話は脇道に入るが、島津亜矢さんは、「名人」と呼ばれていない時期からすでに芸の新鮮さの保持に執着し、努力を重ねて芸の変遷を続けてきている。
現在まで32年という時間と経験を重ねてきたこの間に、修行と名の付く訓練も重ねて、芸を磨いてきた。
そして今や、素人目には、世阿弥の分類した楽曲の五種の内、祝言、幽曲、恋慕、哀傷の四種は網羅し、その聖域に達した感まである。
更には、もうすでに蘭曲の域に立ち向かっているかのようでもある。

 ところで、「芸に対する星野思想」の目標は、ここにあったといえよう。
 星野哲郎氏は、自身の最後の弟子である島津亜矢さんに対しては、人間五十年という節目までに、この目標の達成を密かに目論んで他界したようである。
五十歳での蘭曲(らんきょく)の域という目標は、余りにも若くて、早すぎるようにも思えるが、素直な人格と努力を惜しまない力量の素質を見込んでのことだから、それは決して早いものではない。
それもまたそのはずで、星野思想の目的はまだその先にある「無」の芸にある。その目的に向かうには開眼すべき事柄は、この蘭曲(らんきょく)以外にも山積みだからである。
多分、人をみることに長けた星野哲郎氏にとって、こうした難題は、並みの芸人には求めなかったであろう。
 そこで、蘭曲(らんきょく)の域という目標の節目とする時期までは、あと3年余りとなっている。
その意味では時間的に、この目標達成には相当厳しいと感じられる。
だが、あれだけの努力と根性を持する人材だから、目標の相当近くまで成長されることと思われる。

 さて、話は戻るが、世阿弥は名人になって新鮮な芸を保てない苦労が生じる時期の来たときは、「非風を是風として演じよ」としている。
だが、それは「却来」と言って、芸を極めた名人がもう一度低い芸に立ち返ることをいう。
こうした「望却来」によって、悪いはずの芸を良い芸にして見せられるというのである。
それは名人の技によって「非風芸」を「是風芸」に換える演出ができるからである。
ただ、名人が芸の新鮮さを持ち続けるためのこうした手法は、名人でないものが真似ごと芸で演じると芸が下手に感じるのは、その芸が「却来」の芸になっていないからである。ただ単に低い芸を、そのまま演じるからである。

 ところが、こうした現象は、最近の演歌業界にも見られるようになった。
 それは演歌歌手のあれもこれもが、POPSの楽曲を披露することが目立つようになってきている現象の中にある。
このことは島津亜矢さんのPOPS進出が、世間の好評を博した刺激を受けてのことであろうが、そのことでこの現象が諸刃の剣にならなければと思っている。
というのも、あれもこれもの歌唱のいずれもが、島津亜矢さんのように感動を呼ぶ芸にはなっていない感をみるからである。
 そこには、POPSを披露する姿勢に、基本的な違いがあるように見受けられる。
島津亜矢さんにおける演歌以外のPOPSを含む楽曲は、非風を是風として演じている。
それは名人の技によって「非風」を「是風」に換える演出ができるからである。
すると、「望却来」の効果によって、蘭曲(らんきょく)の域まで芸が押上げられ、深みを覚える芸になることから感動を覚えるのである。
 その意味では、あれもこれもの演歌歌手においては、披露するPOPSの楽曲が、いまひとつ心に響かないのは、「却来」の芸になっていないからである。

 では何故、「却来」の芸になっていないかである。
それは芸の基本である基礎に費やした努力と苦労の不足にある。
この苦労不足で、芸人の心は痩せたままで、肥えていないからである。
こうした基礎が備わらない芸人においては、ただ単なる非風である芸を、そのまま演じるから人の心に響かないのである。
そこには、名人でないものが、真似ごとで演じる非風の芸と同様の現象がおきているのである。それは芸が下手に感じる現象である。
 これでは芸人の名が廃(すた)るだけである。そのことによって、結果として文字通りの諸刃の剣にならないように祈っている。
 その意味では、芸人にも所属事務所の言いなりになって芸を披露するのではなく、自分の自信が持てない芸はきっぱりと断って、努力と苦労の具わった自信の持てる芸だけを披露する勇気が必要な時代になってきていることを自覚すべきであろう。でなければ、自分の首を自分で絞めることになりかねない。こうしたことは、芸人本人の器量に応じてそれぞれ理解できるであろう。
 これが演歌界における島津亜矢効果である。

 ところで、「却来不急」についてであるが、これも相当に意味深長な言葉で、素人では説明が長くなる。そのために次稿に譲ることにしたい。


 枯れ葉散る時雨るる空をながめては、思いがはやるふるさとの親





 幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-⑨ 


 投稿者  安宅 関平

 さて、島津亜矢さんの芸の効用は、大衆を孟子の「安宅正路(あんたくせいろ)」思想へ導くことにある。そのことは、世阿弥の説く「寿福増長」(人々の幸福と長寿を祈る)・「衆人愛敬」(大勢の人々に愛される)に、通じている。
ただ、それには芸に新鮮さが必要であった。
 芸の新鮮さとは、新しい芸のことである。
何事もそうであるが、新しいものを創造したり挑戦したりすることは、大変な勇気と努力が必要である。
とりわけ、芸人はその努力を、義務づけられているといっても過言ではない。その努めが果たせなければ、芸人を降りることにつながる。

 ところで、努力を怠らずに新鮮な芸を積み重ねていくことで、芸人はいつしか「名人」と呼ばれる名誉を受けることになる。
ただ、「名人」と呼ばれるのはいいとして、「名人」と呼ばれるようになると芸が下手に感じる芸人がいるのは、滑稽なことであるが現実である。
 名人の芸が下手に感じる原因には、二つある。
 その一つは、名人になってから、その地位に胡坐をかき、努力をしなくなることである。
努力の欠けた芸は、進歩の無い同質の「繰り返し芸」になる。それでは、新鮮さがなくなる。「名人」であればなおさら、新鮮な芸を求められるのに、それが出せなければ、もはや名人でも、芸人でもない。
 二つ目は、世阿弥のいう「非風を是風として演じよ」の、実践による場合である。
この実践は、「名人」が芸の新鮮さを持ち続ける手法である。
ところが、なかには名人と呼ばれていても、その実力は名人にふさわしくないにもかかわらず、「非風を是風として演じる」まねごとの芸によって、芸が下手に感じる原因が生じているのである。

 話は脇道に逸れるが、芸人は芸の新鮮さを持ち続けることにおいては、「名人の位」にならなくても、芸を志ざしたときから新鮮さを創造する苦悩と、闘い続けているのである。これは程度の差こそあれ、すべての芸人に言えることである。
 島津亜矢さんも例外ではない。
 そこで、島津亜矢さんについていえば、その苦悩を信念と努力で補い、芸に新鮮さを持ち続けてきている。
 それは、芸の変遷をみるとよく分かるだろう。
当初、星野哲郎演歌から出発し、星野演歌の初期段階が一段落する時分に、その星野演歌を基盤にして歌謡浪曲や歌謡劇場に挑戦している。
そしてその挑戦が一段落するや否や、芸に対する星野思想を、今度はPOPSにまで拡げて挑戦し始めた。そのPOPSが軌道に乗り始めると、更に洋楽やジャズにまで挑戦しだしている。
こうして芸の変遷は続いているが、芸に対する星野思想は、しっかり根付いており、芸の底流にそれが一貫して流れている。
このように努力を重ねることで、芸の奥行きと間口を広めて、常に芸の新鮮さを保ってきている。
「名人」と呼ばれていない時期から、これほどに芸の新鮮さの保持に、執着している芸人は、そんなに多くはいないだろう。このまま進めば将来、世紀の名人と呼ばれることになろう。

 さて、話を戻して、芸人は永い歳月をかけて「名人の位」に着いた頃には、新鮮な芸は出尽くされているのが現状で、しかも芸の酸いも甘いも知り尽くした状態になっている。
そこに名人の、新鮮な芸を保てない苦労がある。
世阿弥はこうした窮地の時期が到来した時は、「芸を原点に戻せ」といっている。ただ、この場合それは、単純に原点に戻るということではない。
 それが「非風を是風として演じよ」という言葉に現れている。

 世阿弥は芸人として究極の境地をも超えた位を「蘭(た)けたる位」と呼んでいる。これは今日でいう「名人」を指すものであろう。
この「蘭(た)けたる位」に一度達した後に、もう一度低い位に立ち返る芸の位を「却来」といっている。
「却来」は、芸を極めた者が、自由自在の境地に至る姿でもある。
この境地に達すると、若いときから非風(=正当な芸から外れた芸・特異な芸)として避けてきた芸を、是風(=正しい芸)として演じることができるとしているのである。
平たく言えば、悪いはずの芸を良い芸にして見せられるというのである。
それは、いくら「蘭(た)けたる位の芸人」(=名人)でも、是風を繰返していては単調さを生むから、そこに非風を交えると変化による効果が期待できるというものである。
 ただし、この効果を生むのは、「蘭(た)けたる位」の芸人(=名人)だからである。これを「名人の技」だといっている。
この名人の技によって「非風芸」を「是風芸」に換える演出ができるというのである。
この名人技には、演じる芸人の「努力」と、名人であるとの世間の「評判」が必要だといっている。

 ところが、名人にも二種類ある。
実力を伴った名人と、実力の伴わない名人である。
実力の伴わない名人とはおかしな話しである。だが、現実に存在するから仕方が無い。それは、不正がまかり通っていたある大学の医学部合格者をみるようなものである。
ところが、実力の伴わないその名人が、実力のある名人の行う「非風」を真似ると、大衆には「芸は下手だ」と映るだけだと、世阿弥はいっている。
この場合、「非風を是風として演じる」ことは、諸刃の剣になる。
これが、芸が下手になる第二の原因である。

 以上が、世阿弥の言った新鮮な芸が窮地に立たされた時、「非風を是風として演じよ」の内容である。
 島津亜矢さんの芸が、今後たどるべき道のひとつに、この「非風を是風として演じる」時期の到来があると思われる。
ただ、世阿弥は、「非風を是風として演じよ」の後に、「望却来、却来不急」の言葉を続けている。これは、意味深長な言葉である。
 この「望却来、却来不急」については、次稿に移したい。


 誰を待つ思いかねてか鳴く千鳥 川風さむき冬のあけぼの




幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-⑧ 



 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんの芸で「ここ一番の強さ」は、白紙で芸に集中する「集中力」である。その集中力のエネルギーの大部分が、「哀調」表現に費やされている。そのことから、島津亜矢さんの芸の要(かなめ)は「哀調」にあるとして注目した。
そこで、その哀調とは如何なるものかをまとめたものが、前稿である。
その中で、芸が「哀調」によって生かされて感じる働きのあることが分かった。
それは歌を「哀調」で染め上げていることにあった。
さらに、芸が生きる要因は、二種・四分類の豊富な「哀調」の性質を、最大限に生かせる技芸を、心得ていることであった。
ここまでは、前稿で採り上げた要点である。

そこで、本稿では「哀調」の性質を、最大限に生かす技芸と、その技芸の今後の方向性についても触れてみたい。

 まず、「哀調」を生かす技芸についてである。
その技芸には、外面の技芸と内面の技芸の二種類ある。
 外面の技芸は、芸風の「硬」・「軟」と、歌唱の「強」・「弱」の、使い分けである。
 内面の技芸は、楽曲への「深い解釈・気配り」ができることで、それを基本にした優れた感情移入である。
また、「男時・女時」を読み取る、動物的感覚にも優れたものがある。
更には、大衆に芸の理解を促す説得力の強さがある。
この説得力は、細やかな配慮を何重にも重ねる努力によって起きており、この説得力を試みる勇気が、「哀調」の生きることにつながっている。
それはどうしてかと言えば、
   「仁人之安宅也、義人之正路也」
   (仁は人にとって最も安全な居住であり、
   義は人にとってこの上もない正しい路である)
という孟子の「安宅正路」思想へ、結果として導かれることでよく分かる。
というのも、一挙一動の芸からにじみ出る慈愛の技芸が、すべて「安宅正路」思想へのそこにつながつているからある。
 こうしたことが、哀調表現の使い分けやコントロールが、鮮やかに効く基本になつている。
 この基本があるから、第一声で会場の雰囲気を変えたり、ある時は雰囲気に芸を合わせて感動を誘ったり、更には自分の心を前面に出したり、引いたりして観客の反応をみながら、技芸の対処ができる効用を生んでいる。
 更に、島津亜矢さんの歌唱は、詞を伝えることに重点が置かれていることから、聴く者は歌への理解力が冴えてくる。
 こうしたいくつかの事柄が相まって、楽曲の性質や内容にふさわしい哀調表現が可能になっており、それによって芸と大衆が結びつきやすくなっているのであろう。
 島津亜矢さんのこうした芸の執念は、世阿弥が言っている芸能の効用とした「寿福増長」(人々の幸福と長寿を祈る)、「衆人愛敬」(大勢の人々に愛される)にも通じている。

 ただ、このような芸は、島津亜矢さんのように日々進歩がなけれは、芸能の効用は十分な効果を発揮しないだろう。
進歩のない芸とは、同じような芸を永年繰返すことをいう。
そうした芸は、始めはその効用を発揮しているようにはみえる。だが、芸は繰返すと新鮮味がなくなり、飽きがくる。飽きの来た芸は、もはや芸の効用は働かない。
ということは、芸とは常に進歩・発展することが大事なのである。いわゆる芸は新鮮でなければならないのである。
その意味では、今の島津亜矢さんは芸の奥と幅を拡げて、新鮮な芸を追い続けている。
こうして、新鮮な芸を積み重ねていくことで、それがいつしか「名人」と呼ばれるようになるのであろう。
 それは、2018年10月31日、東京オペラシティでの「島津亜矢 SINGERコンサート2018」の観覧によって、その思いを強くしたからである。
何故その思いが強くなったかといえば、今回のSINGERコンサートは、前年の2017年9月30日、同じ東京オペラシティでの「SINGER in 東京オペラシティ」と題したコンサートを凌ぐできであったからである。
ところが、その「SINGER in 東京オペラシティ」は、その前年の2016年2月29日、六本木EXシアターでの「姿月あさと・島津亜矢ジョイントコンサート」を凌ぐものであった。
更に云えるのは、「姿月あさと・島津亜矢ジョイントコンサート」は、島津亜矢さんの従来のコンサートをはるかに凌ぐ出来の良さをみたものであった。このように、年々芸質の向上が図られていることに気付いたのである。
これは、新鮮な芸を積み重ね日々進歩していることの良い事例である。それによって、世阿弥の説く芸能の効用は十分な効果を発揮している。

 更に、今回の観覧で、こうした芸の今後たどるべき道は、どのようなものかを、同時に思い合わせた。
そこで、こうした技芸は今後どのような方向に進むかを、探れないか試みてみたい。
と云うのも、「名人」だからといって、芸に新鮮さがなくてそれでよい、というものではないからである。
「名人」になっても、常に新鮮な芸は求められる。
 ところが、「名人」と呼ばれるまでに至ると、新鮮な芸は出尽くされており、もう出てこないことが多い。
 世阿弥は著書「却来花」で、その時期の来た時、
   「非風を是風として演じよ」
といっている。そして、そのすぐあとに、これは秘伝であるから
   「望却来、却来不急」
とも、いって忠告している。
 これらについては、相当長くなるため、次稿に移したい。


 いまさかり里のもみじの染まりよう 童が乙女に変るがごとし


幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑮-⑤-⑧-⑩-⑦ 



 投稿者  安宅 関平

 8月15日の投稿から14回に亘って、島津亜矢さんの芸に魅力の艶を与える「哀調」について視てきた。
本稿では、その結果の整理をしてみたい。
それによって、何か新たな発見があるような気がするからである。
島津亜矢さんの芸は、それだけ奥の深さと、魅力に富むものがある。

 元々、この「哀調」については、同世代の羽生善治さんや松井秀喜さんらが持っている鮮やかとも言える「ここ一番の強さ」に相当するものを、島津亜矢さんの芸の中に探し求めている中で、浮かび上がってきたものであった。
島津亜矢さんの「ここ一番の強さ」は、白紙で芸に集中する「集中力」であった。その集中力のエネルギーの大部分が、「哀調」表現に費やされていると見られたことから、島津亜矢さんの芸の要(かなめ)は「哀調」にある、として注目したのであった。

 注目した「哀調」は、二種類の哀調で構成されていた。
 一つは、「哀調」そのものの持つ、基本的性質と云える「もの悲しさ」である。
 あと一つは、島津亜矢さん独自の、創作された「哀調」である。
 この独自の「哀調」とは、次のようなものであった。
その一つは、積極的に人間の魂へ働き掛ける作用を見る、哀調である。
その二つは、すべての楽曲に相性のよい、哀調である。
その三つは、芸が生きる、哀調である。
その四つは、人間が「生きる希望」の持てる性質を帯びた、哀調である。
 この四点が、独自の哀調であった。

 従来より、歌謡界での芸の「哀調」は、すべて「もの悲しさ」の表現であった。
その意味では、この独自の哀調は、歌謡界にとっては初めてともいえる「新しい哀調」である。
この「新しい哀調」は、「生きる力」のそのものがもつ美しさに、真正面から取組んだことから生まれたもので、その内容に改革性が伴っていた。

 その改革性を確認するために、過去に披露してきた歌唱を、性質別に五つの歌唱群に分類して検証を試みてみた。
 第一歌唱群でみた楽曲は「人間」・「ヨイトマケの唄」・「船頭小唄」であった。
これらからは、人間の自立心の中にみるたくましさの美の表現に艶を加えて支える、哀調をみた。
第二歌唱群でみた楽曲は、「津軽のふるさと」・「おさらば故郷さん」・「旅愁」・「思い出よありがとう」であった。
これらからは、追慕や哀愁でこころを癒やし、安らぎや安寧を覚えることで、明日の勇気を育(はぐく)める味わいがある、哀調をみた。
第三歌唱群でみた楽曲は、「会津の小鉄」・「男 新門辰五郎」・「花の幡隋院」であった。
これらからは、男気や任侠心にみる「粋」の美を、歌唱の裏で支え、芸に艶を与える、哀調をみた。これは、菓子職人さんが餡(あん)作りに、砂糖だけでなく塩をも入れて、甘味に深い味を出すことと同様の効果をみるものであろう。
第四歌唱群でみた楽曲は、「川」・「竹」・「波」・「富士」・「山」・「年輪」であった。これらからは、人道を説く毅然さの中にある、揺るぎない信念の美しさを彩(いろど)る、哀調をみた。
第五歌唱群でみた楽曲は、「裏道の花」・「悲しい酒」・「京都から博多まで」・「心もよう」・「麗人抄」であった。
これらからは、「哀調」そのものが持つ「もの悲しさ」の性質に孤高の美を見い出し、その美を芸術的表現によって、哀調美の存在価値を確立したものであった。

 ところで、この二種・四分類の哀調の使い方が、これまた魅力的である。
だが、万人が島津亜矢さんの芸に感じる魅力は、声量の豊富さ、音域の広さ、音程の安定感、高音の美しさ、リズム感の良さ、更には、艶のある歌声、感情移入の鮮やかさ、等であるとしている。これまでみてきた五つの歌唱群の場合においても、その良さを支えているのが、上記の魅力だと主張するだろう。確かにその通りである。
しかしながら、一歩踏み込んでみると、その魅力が魅力として映えるように、影で支えているのがこの二種・四分類の哀調である。
万人が感じるとした島津亜矢さんの魅力は、誰もが気に止めることのないこの哀調の働きで、その魅力が魅力として完成しているのである。
そのことから、島津亜矢さんの「ここ一番の強さ」の要(かなめ)は、「哀調」にあるとしたのである。

 では、こうした哀調が、披露する芸にどのような形で現れているかである。
 それは、「哀調」によって芸が生きて感じることであった。
芸が生きて感じるのは、歌を「哀調」で染め上げることにある。
更に、その豊富な「哀調」の性質を、最大限に生かす技芸を心得ていることも幸いしている。この心得については、次稿で採り挙げる予定である。
これらによって、芸の訴える力が増し、感動を呼び起こす働きが加速している。
しかも、歌を哀調で染め上げるとき、他の芸人には見られない大胆不敵な染め方をしていたのには驚く。
大胆不敵な染め方とは、魂のこもった情熱的・感動的情感をみる哀調が、聴く者に「生きる(=生存する)希望」を呼び起こす性質を持つ染め方なのである。島津亜矢さんの歌に触れて、元気が出るのはこのためである。

 では、その染め方の要点とは、どのようなものかである。
まず従来よりの哀調、つまり先人が「生きる盾とした哀調」を、引き継いでいることである。
それを現代人に分かりやすく、心地よく、感動を呼び起こすものにアレンジして、その上で、島津亜矢さん創作の四分類の新しい哀調を重ね、それらを芸に染めて馴染ませてから、大衆に届けているのであった。
そして、哀調の基本的な性質を芸の中で最大限に生かして、哀調それ自体が、芸の中で活動できるようにしていることである。
それによって、哀調に「エネルギー」が生まれている。
哀調は歌い手の歌唱で「エネルギー」を得ると、凄い働きをする。
凄い働きとは、哀調が本来持っている「もの悲しい静的美意識」の性質に、「救われる想い」か、それに近いものが、歌を聴く者の魂に加わることである。それによって、心が穏やかになる。
そして、この凄さの持つもう一つの良さは、「哀調」で大衆の魂を揺り動かす極限の表現を、芸の中でみることである。それは芸の迫力である。
島津亜矢さんが創作した「新しい哀調」は、「生きる力」が「生きる力強さ」にまで発展していることを、ここに物語っている。
この発展した「生きる力強さ」のそこにあるものは、「生きることの良さ」の喜びを、人間の魂の中へ積極的に働き掛けるという、芸の基本的作用である。
誰も気付かず、気にも掛けない薄っぺらな哀調に、こうした働きをさせていることを大胆不敵というのである。
この大胆不敵な働きを、一言のやさしい言葉で言えば、「静けさに活力を含んだ哀調」と言えるだろう。

 哀調の「もの悲しさの静的美」と「生きる力の活力美」に焦点を当て、それに真正面から取組んで融合して出来たものが、この「新しい哀調」であった。
それはいままで、誰も注視しなかったことに焦点を当てて、その美意識を形作ったものであり、芸能において一種の革命的表現である。
この革命的表現の本質は、その美のスケール感の大きさにある。
 今までに、こうしたことを指摘し、評価するものは、誰もいなかったのは不思議である。
だが、島津亜矢さんの芸の要(かなめ)に、「哀調」のあることをいずれ注目する時期が来るであろう。その時期は、芸の完成を見る「無」の境地に入ったときかもしれない。


 雁がねの鳴き飛ぶ寒きその奥に 山が紅葉の満ちる姿が