幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑩



 投稿者  安宅 関平

 五輪真弓さんの「恋人よ」を、実に分かりやすく歌唱した芸人がいた。
それを、2017年1月、「新・BS日本のうた」で聴いた。
その芸人は、島津亜矢さんだった。
 そこで何故、それが分かりやすかったかを探ってみると、そこには2011年の苦行が、「恋人よ」の歌唱に、生かされていたのである。

 まず、歌が分かりやすかったというのは、従来よりの特徴である丁寧な歌い方と、切れのあるはっきりした発声が、リズムに乗って明快に聴こえてくる良さにある。
加えて、最も人心に訴えたいと思われるところを、力強く哀調ある澄んだ高音を響かせるためである。
同時に、声の強弱を巧みに生かし、哀惜の情感を豊かにしている。
更に、こうした歌唱の特性によって、会場に静寂で張り詰めた緊張感が漂い、その中で歌を聴く者は、つつみ隠すことの出来ない何かを感得していることである。
ただ、こうした現象を感じたのは、上記の歌唱技からだけではない。
そこには、バックバンドの楽器の響きを生かす歌唱技にも、そう感じる要因があるとみられたことである。

 こうした芸で、表面に見えるところや聴こえるところの、外面に現れた現象には、幾つかの興味深い特質を覚えた。
 興味深いものの第一は、分かりやすさには、丁寧な歌い方、切れのある発声、リズム感の良さだけでなく、「芸」が生きていることから受ける、分かりやすさがあることである。
 第二は、しっかりした音程と豊富なリズム感による揺るぎない安定感が、楽曲のメロディーを生かしていることである。
 第三は、生かされたメロディーが次に、楽器の音色を生かすことで、聴く者の心に音楽を馴染ませてくれている。
 第四は、こうした連鎖反応で、歌唱が心の琴線に触れることである。
「亜矢節」が説得力を持つことの壷は、こうしたところにあるものと思われる。
 更に第五は、これは2011年以降に言えることであるが、さざめく会場が静寂へと変化するところに見られるように、舞台を取り巻くもののすべてを舞台に招き入れるスケール感が、芸に備わってきていることである。即ち、すべての人々が島津亜矢さんの舞台に集中するのである。
 第六は、そのスケール感によって生じる静寂の芸が醸すところの独特と思われる迫力の美しさが、観客を固まらせるほどに心温まる麗しいムードを漂わせることである。
 第七は、そうした芸が舞台に優美さを加えるという、魅力をみせている。

 以上が、外部に現れた現象から気付いた、興味深いものである。
この興味深いものの羅列をみて感じる特徴には、共通してみられるものがある。
それは、従来の特質にさらに磨きをかけていることとか、新たに加えられた特質においても同様に共通するのは、内面に見られていた「慈愛」が、2011年の「愛惜の念」の苦行経験によって、芸により強固に働くようになったと感じることである。

 さて、その意味では、「恋人よ」の芸は芸歴でいえば2011年に芸が第三楽章に移行して6年の経過をみているものではあるが、はたして第三楽章の芸としてふさわしいか否かの判断は、いま少しの時間経過を要するかも知れない。
だがこの2017年の時期に、こうした芸をみせたことだけは、ここに明かしておきたいと思う。
 ところで、第三楽章の芸としてふさわしいか否かの判断の材料として、芸の多様性の有無がある。
それについて言えば、島津亜矢さんの「恋人よ」のカバーに関する今回の記述のきっかけは、人間の「愛惜の念」を表現する面から採り上げたものであった。
だがそれ以前に、「本物の芸」を見極めるという視点から、この「恋人よ」を採り上げたことがある。
それは、2017年2月10日・15日・20日の3回の投稿によっている。そこでは「歌唱」「慈愛」「硬・軟」の三種における創意工夫を、「本物の芸」の要点として結論づけている。
 このように一つの芸が、視点を変えれば別の見方で楽しめるという、こうした芸の多様性を見る芸人は、そんなに多くはいないと思われる。

 更に、第三楽章に入ってからは、芸風に変化をみることである。
それは、この「恋人よ」と同質の歌唱をみるものが、他にも一曲あることで、その変化の定着化を分かりやすくすると思われる。
それは、この「恋人よ」を披露した2年前の2015年1月、日本歌手協会主催の「新春歌謡祭」で披露した「津軽のふるさと」である。
「恋人よ」の歌唱は、この「津軽のふるさと」と同質の歌唱法で披露している。
 これにより言えることとして、2011年の「愛惜の念」の苦行経験が、第三楽章へ入ってからの芸に、大きく影響し始めていることである。
それは、苦行経験で内面的に大きな変化をみたことが、外面の芸風が第一楽章の芸風よりマイルド化傾向に転換しようとしていることである。
そしてその方向へ向う動きが定着していることを、この時間のずれた二つの芸により窺(うかが)い知ることができるようである。

 このように、島津亜矢さんに新たに備わった芸の多様性は、視点を変えたり、芸質が変わったりすることで、その楽しみ方が多彩になってきていると言えよう。


 水ぬるむ代田にはびこるかわずども 何を競うやその鳴きしぐれ

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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑨

 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんは、師であり父とも慕う星野哲郎氏を失った影響が、芸を極める路を見い出すきっかけになったのではないかと、前稿において結論づけた。
ただ、それは、苦行の付きまとった結果のものであった。
 しかしながら、そうした苦行は、星野哲郎氏という親を亡くした幼な子たる島津亜矢さんの場合だけに、生じたものではない。
それに似た愛おしい苦行を体験した人は、この世には他にもたくさんおられる。
 ということは、こうした苦行は人間社会において、過去からも、また今後も、未来永劫に生じ得るものである。
それは、子を亡くした親、妻を亡くした夫、夫を亡くした妻、また兄弟姉妹を亡くした人々の場合等が、そうである。更に加えれば、師弟関係、友人関係など、心を託せる関係にあるものは、すべてこの範疇に入るであろう。
こうした人たちにおいては、不意打ちの別れの破壊による心の混乱は、必ず起きている。
そして、そのすべての人たちは、その苦行を乗り越え、そして、その機会を捉えて新たな路を切開いて前に進んでいるのである。

 その中でも、親子、夫婦間における永久(とわ)の別れには、悲愴なものがある。それは愛の絆に、異常なほど強い何かがあるからである。

 その情景を、五輪真弓さんが「恋人よ」の作品で表現している。
     「こごえる私のそばにいてよ
     そしてひとこと この別れ話が
     冗談だよと 笑って欲しい」と。
これは、夫との死別によって、妻の心を強く支えていた心棒が崩壊した落胆振りを、ソフトタッチで表現したものである。
そして、その心棒が崩壊した後に、迫ってくる時間の経過によって起きる自分の心の非情を、追い払うがごとくに、
     「まるで忘却をのぞむように、
     止まる私を誘(さそ)っている」
と、その心情を表現している。
これは、心の痛手を癒やすという形(かたち)で押し寄せるところの、愛の風化現象に対する抵抗を指すものである。
だが、そうした抵抗も、時間の経過に伴い、次々と押し寄せる風化現象には勝てず、むなしい結果に終わってしまう。
そして、ついに、
     「恋人よ さようなら
     季節は巡ってくるけど
     あの日の二人 宵(よい)の流れ星
     光っては消える 無常の夢よ」
と、死別という事実はすでに過ぎ去った出来事になりつつありながらも、それを引きずり新たに生きる道を探る光を放っている。
こうしていつしか、別れによる心の痛手から立直り、前向きに生きるようになるのである。
これが人心の生々流転(しょうじょうるてん)のさまである。
五輪真弓さんは「恋人よ」で、このように人心のさまを表現したのである。

 こうした別れによって、心の痛手を被った多くの人たちがそうであったように、島津亜矢さんもまた、苦行の体験の中から、芸を極める路を見い出し、それに向って歩み始めたのが2011年である。
 後年に島津亜矢さんは、この「恋人よ」のカバーを披露している。
この時に、2011年の苦行が脳裏を走ったかは分かりかねるが、楽曲の情感は共有できているように思われる。
ところで、この苦行の成果が、「恋人よ」を披露した芸風にいかなる形で現れているか、それを次稿で訪ねてみたい。


 吹く風は五日に一度降る雨は十日に一度これ心地よきなり

幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑧

 投稿者  安宅 関平

 ここからは、島津亜矢さんに安寧の欲望が、外部要因の激変で起きたのは何故か、その安寧の欲望が、芸風の変化する素地にどうしてなったのかを探ってみたい。
それによって、芸風が変化したことの本質をつかめると思うからである。
その本質が人格につながっていると、「芸は本物」だと世阿弥が言っている。
世阿弥は更に、芸が本物であれば、「稽古は強かれ、情識はなかれ、となり」と、その後たどるべき道を説いている。
それは、日頃から芸と向合う真摯な態度を、さらに自分で厳しく求めるようになり、芸は「無」に向って伸びるというものである。
はたしてそれはどうかを、この凡人が確かめたい。そのため、話は長くなる。それ以外に、大事なことだから、丁寧に採り上げてみたいということもある。

 アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」によって、「一般的な歌い手・島津亜矢」から「本当の芸人・島津亜矢」に変身したのは、何故なのかを今まで探ってきた。
すると、そこにあったのは、環境の変化である。
環境の変化には、外部要因と内部要因があった。
そこで、これまでは外部要因の環境の変化をたどってみた。そこで目についたのは、演歌枯れ現象と、星野哲郎氏の他界である。
中でも、星野哲郎氏の他界という外部要因の激変は、変身の大きな引き金となったようだ。
ところが、その引き金が契機となって、動揺した心が安寧を求めたのである。
しかし、この安寧希求の欲望は、慰めを請うような微弱なものではなく、しっかりしろと自分を鞭打つ叱咤激励で、新たな路を切り開こうとする積極的で前向きな姿勢を求める安寧だったようである。ここが島津亜矢さんらしいところである。
そして、この前向きで積極的な欲望による安寧が、芸質の変化の素地となって、芸質に厚みが加わり、芸風が変身したのである。
島津亜矢さんには、このように窮地に立たされたとき、必ずといってよいほど「肥後もっこす」が顔を出す。ここが熊本精神の凄さであろう。


 ただ、本稿で探りたいのは、安寧を求める欲望が、芸質の変化の素地になるのはまだしも、それがどうして芸質の厚みとなり、芸風の変身となるのか、この不思議である。それを何故か、説き明かせたい思いが強い。

 ところで、ただ、安寧を求める欲望が芸質の変化の素地になり得るその要点は、芸風が変わったときのみである。それ以外の場合は女々しい一時の慰めで終り、そのまま萎(しぼ)んでしまうものである。
それは、芸風が変わることとは、芸の革命だからである。
革命はそれが成功しなければ革命にはならない。それ以外の場合は暴力とみなされるだけである。

 そこで、芸風が変わろうとする場合、必ずといってよいほど登場するのは、安寧を希求する欲望である。
この安寧を希求する欲望は、最初からその芸の底に横たわり、芸風が徐々に変化し、革命に近づくほど大きく膨らんでくるのである。
何故ならば、革命には、自信と不安がつきものだからである。
自信は変化へ挑戦する勇気として現れる。不安は安寧を希求する欲望となって現れる。そして、その比率は同等である。自信が大きくなるほど不安も大きくなる。
芸が革命に近づくほど、安寧を希求する欲望が膨らむのは、そのためである。

 そのことを裏返せば、次のようにも考えられる。
芸風が変わるということは、芸風を取り巻く環境を変化させることである。さもなくば、変化した環境に芸風を順応させることである。
でなければ、芸風は変われないし、また、変わったことにはならない。
 ただ、その場合、環境を変化させるには、大変なエネルギーが必要となる。他方、環境に順応するには、言い尽くせない努力が必要となる。
いずれにしても、それは、死闘を繰り広げる命がけの戦いである。
そして、それに勝利した結果として、芸風が変わるのである。

 しかし、勝利するまでは、常に不安の付きまとう戦いが続く。この不安の付きまとう戦いによる弱気化傾向をサポートするのが、安寧を希求する欲望なのである。
だから、安寧を希求する欲望は、芸質の変わる素地の大事な現象であるといえる。


 そこで、島津亜矢さんの芸歴から、アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」の、生まれる素地である安寧の欲望の発生は、どこに見られるかを探してみたい。

 前稿において、二巻の映画による表現で、島津亜矢さんの胸中の理解を求めたことがあった。
その中で、「禁じられた遊び」にしても、「赤穂浪士(忠臣蔵)」にしても、支えが崩れるまでは、交響曲「運命」の第一楽章だった。しかし、支えの崩れた後は第三楽章に移行している。そしてその悲しみや苦しみは、共通したものであった。
これらは、ベートーヴェンが作品に目論んだ、運命に翻弄(ほんろう)される人間の苦悩のさまと、同質のものである。
しかし、この二巻の映画にも、第三楽章に移行する直前に、安寧を希求する欲望である第二楽章が表現されている。
それは、「禁じられた遊び」では、ポーレットとミシェルの交流の暖かさである。「赤穂浪士(忠臣蔵)」では、平和の続いた花の元禄の香りを引きずる、温かい人情の機微の浮き彫りである。
それがあるため、前後する映像の内容も、引き立ち印象の強いものになっている。

 こうしたことは、島津亜矢さんの芸暦においても同様なことがいえる。
師であり父とも慕う星野哲郎氏を基軸に、夢中で走り抜いてきた25年間は、交響曲第5番「運命」の第一楽章と同質で、力強い冒険心の滲(にじ)んだ苦闘の期間だった。
そして、支えを失って不安のみが待つその後の未来は、苦悩を表す第三楽章と同質なものである。
その第一楽章と第三楽章の間(あいだ)にあたる、それは厳密にいって2010年から2011年にかけた僅(わず)かばかりの静なる時が、第二楽章とみられる。
いわゆる安寧を希求する欲望が表に顔を出したときである。そして、これはまさしく戦う欲望となって顔を出している。
 尚、この第二楽章に当たる瞬間を、他の面からみれば、神が島津亜矢さんにこうした強気な安寧の欲望を起こさせ、心を癒やす時として与えたものだったのかも知れない。
神のこの配慮には、同時にこれまでの自分を見つめ直し、この後の将来像をどう捉えるべきかをも、熟慮するよう勧める思惑もあったであろう。
 しかし、それにしては、時間は余りにも短すぎる。つかぬ間の時にしかなっていない。

 ということは、人間は神のように優しくはないということである。
それは、いくら愛おしい時であっても、損得とか利害を盾にして、地方公演やマスコミ出演をこなさせるという、非情さがある。
この時期における、島津亜矢さんの芸を披露する苦しさは、いかなるものであったであろうか。
その代表例に、2010年埼玉・本庄市における「BS日本のうた」で、布施明さんと「マイ・ウェイ」を披露したときの姿がある。それは、舞台上で流す涙の意味するもを察する時、もう言葉は浮かんでこない。
こうした過酷な世界にもかかわらず、島津亜矢さんはその条件を乗り越えている。
そして、神から授かったつかぬ間の時を、自分を見つめ、将来像をどう捉えるかを、熟慮する時間に当てている。神の期待した通りの行動で、濃密にこの時間を過ごしている。

 そして、その結論として得たことは、「芸を極める」ことだったようである。
「極める」とは、技術的なことはもとより、人間としての人格の陶治が必要になってくる。
その人格の陶治に通じる心で、心境が変化し、それが芸質の厚みとなって芸に加えられたものと思われる。ここに、世阿弥の言う「芸は本物」であるという証がある。
 この現象が外見的に、冒頭の「一般的な歌い手・島津亜矢」から「本当の芸人・島津亜矢」に変身したように感じられたのである。

 これが、芸風が変化したことの本質かと思われる。
 こうした本質の理解で、安寧を求める欲望が芸質の変化の素地となり、芸質の厚みとなる不思議の疑問が、解けるようである。
この不思議が解けると、芸風が温かく、柔らか味を帯びて、変身しているのが納得できるのである。


 はたもまた木の芽がしおれ哀れなり 八十八夜の忘れ霜かな



幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑦

 

 投稿者  安宅 関平

 前稿において、交響曲第5番「運命」の楽曲構成と島津亜矢さんの芸風の変遷を対比して気付いたことがある。
それは、アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」を挟んで、芸風が前期と後期に分けられることであった。
更に、このアルバムが、芸風の前期と後期の間にあることで、芸風の節目に求められる安寧の欲望を充たす役割をしていたことである。
いわゆる交響曲第5番「運命」の第二楽章に相当する働きがここにもあったのである。
また、こうした安寧は、この時期、芸だけでなく芸を繰り出す島津亜矢さん自身にも、必要だったようである。
それらが重なって、このアルバムが生まれたものと思われる。
では、その素地はどこにあったのか、そのあたりをこれ以降、詳しく探ってみたい。

 2010年から2011年に架けたこの時期、島津亜矢さんに、安寧の欲望が起きたのはどうしてかである。
それは特別不思議なことではない。実に人間的ことである。
ただ、それは人間が出来ているから人間的なことになるのである。そのことは、後ほど採り上げてみたい。
その人間的なことが、このアルバムの生まれる素地となるものだったと思われる。

 島津亜矢さんに安寧の欲望が起きたその最大の要因は、第二幕目にあたる外部要因の激変である。
外部要因の激変とは、星野哲郎氏の他界を指すものである。
これは、愚者のような部外者で当事者意識のない者にとっては他人事であるが、関係する者においては一大事で、身に震えを覚えるできごとである。
 島津亜矢さんが身の震えを覚えたのは、星野哲郎氏が心の支えだったからである。
この支えが崩れる悲しみは、想像を絶するものがあろう。
しかしそれは、当事者意識のない者は、分かり辛いところがある。
だが、この苦しさの充分な理解がないと、アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」の本質の楽しみ方は半減する。

 そこで本稿では、最優先にこの分かり辛いところに焦点を当て、その苦しさを共有できる手立てをさぐつてみたい。
 その手立てとして、この想像を絶する悲しみや苦しみと同質のものを表現したものを採り上げてみる。
それは昔、大多数が楽しんだ洋画の「禁じられた遊び」と、邦画の「赤穂浪士(忠臣蔵)」の映画である。この二つの表現法を参考に、島津亜矢さんの身の震えが察せられればと思う。

 洋画では、親を亡くした幼な子が受けた衝撃で、その悲しみ・苦しみを表現している。
邦画では、社会を確立していた武士階級の基盤層にある人物の逝去した衝撃で悲しみや苦しみを表現している。

 具体的には、フランス映画「禁じられた遊び」は、幼女ポーレットの彷徨(さまよ)う姿に衝撃の苦が表現されている。
ポーレットにおいては、平和な生活の中で戦争という破壊行為が、苦の衝撃に走らせたのである。
本来、幼女において、苦の衝撃は起きるものではない。それは多くの場合、親が守ってくれているからである。この守る親が亡くなれば、生きる術を知らない幼女は、彷徨(さまよ)うのは自然の理である。簡単に言えば、幼女が、生きるすべてを共有できた安心感が無くなる寂しさは、何ごとにも代え難いことである。
ポーレットの愛(いと)おしさは、こうしたことの分からない幼な子のまま、世の中に放り出されているところにある。
物語は、多くの人であふれる駅の構内で、誰かが一瞬「ミシェル」と叫ぶその一声で直感的に、身を守ってくれていた亡き母親と、何故かいなくなったミシェルの名を叫びながら、2人を探し求めて雑踏に消えるポーレットの姿で終っている。
これは、純な幼女の影をとおして、人と人の別れで起きる、想像を絶する悲しみや苦しみを表現したものである。
 この姿こそが、2010年から2011年に架けて、島津亜矢さんが遭遇した支えていたものが崩れた悲しみの胸中であろう。

 一方、「赤穂浪士(忠臣蔵)」はどうであろうか。
「赤穂浪士(忠臣蔵)」では、城主の突如の非業の最期が、その後、家老・大石内蔵助を中心に家臣の戸惑いや混乱を経て、「あだ討ち」という行動に結びつくまでの、1年9ヶ月に及ぶ関係者の心身の葛藤とその苦難を表現したものである。
なかでも「あだ討ち」を決心した後における、東下りでの「立花左近」、討ち入り前日の瑤泉院との「南部坂雪の別れ」の創作は、見事と云うほかはない。この情の誉れは、武士道の魅力である。
星野哲郎氏が生前、島津亜矢さんに説いた情の誉れに通じるものがある。
こうした「赤穂浪士(忠臣蔵)」の苦難は、島津亜矢さんの支えが崩れたその後を、暗示するかのようである。

 こうしたように、支えが崩れる悲しみは、想像を絶するものであるが、それは当事者意識のない者にとって、十分に分かり辛い。
だが、この二巻の映画による表現で、少しは理解が進むものと思われる。
 島津亜矢さんの心の支えが崩れたこの時期のことを思い返すとき、必ずと言ってよいほど、この「禁じられた遊び」と「赤穂浪士(忠臣蔵)」のシーンがダブってくるようであれば、この二巻の映画を通した「心の支(ささえ)」の崩れる悲しみの理解度は、相当進んでいるのではないかと思われる。

 さて、これが第二幕目の外部要因の激変という内容の一部である。
その影響によって安寧の欲望が起きるのである。
そして、この起きた欲望が、アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」の素地になるのであるが、これらについては次稿で採り上げたい。


 ぼんやりと春の川辺へ移す目に 粋に映るや葦の若芽が


幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑨~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑦-⑥~「芸の魅力」⑳-⑳克服した芸域の空洞化 (下の中⑬)アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」⑥

 投稿者  安宅 関平

 アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」を機に、「一般的な歌い手・島津亜矢」が「本当の芸人・島津亜矢」に変身したのは、芸の著しい進境によるものである。
その進境を促したのは、芸を取り巻く環境や事情の変化である。その変化には、外部要因と内部要因があった。なかでも外部要因の刺激を受けた内部要因の変化は、芸の本質に大きく影響を及ぼすものだった。
 その影響とはどのようなものであったかを、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の、楽曲構成や聴きどころと比較しながらみてみると、分かりやすいと思われる。
なぜかと云えば、ベートーヴェンの作品はすべて力強いものである。この力強さは、島津亜矢さんの芸質に似ている。
また、ベートーヴェンも島津亜矢さんも、内部要因の肉体的変化によって、それぞれの芸質に変化をもたらしている。
こうした共通点を踏まえて、これから内部要因である肉体的変化の、芸への影響を追ってみたい。

だがその前に、交響曲第5番「運命」の楽曲構成と島津亜矢さんの芸風の変遷を対比してみたい。そこに見い出す共通点に、何を感じるかである。

 交響曲「運命」の第二楽章は、苦悩を描く硬質な第一楽章と第三楽章との間に位置している。
第二楽章が、苦悩と苦悩の間に位置している理由は、この空間に鑑賞するものが必然的に求める安寧の欲望を充たすためである。穏やかでゆったりとした安らぎを感じる軟質の曲調になっているのはそのためである。
同時に、苦悩の中に安寧という、苦悩と相(あい)対するものを挟むことで、前後する苦悩の楽章がより引き立つ効果もある。

 これと同様なものが島津亜矢さんの芸風の変遷にもみられる。
2011年アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」は、この「運命」の第二楽章の特性と、同質なものを持っている。
それは、前年の2010年、オリジナルアルバム「星野哲郎 艶歌・縁歌・演歌」リリースの、この時期までに4、5枚のオリジナルアルバムをだしている。そして、2012年以降は、「さすらいうた巡り」のリリースを含め今日まで3、4枚のオリジナルアルバムがある。これらのアルバムのすべては、硬質の芸風物である。
「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」の軟質のアルバムは、この硬質のアルバムの隙間に挟まれた形で存在している。ただ、2002年リリースのアルバム「彩-AYA-」は少し演歌ぽさは薄れてはいるが、31歳という若さと艶のある歌声で勢いの豊かさが勝り、本質的には軟質に必要な安らぎは感じられない思いがすることから、あえて軟質からはずしている。
すると、島津亜矢さんのオリジナルなアルバム楽曲群のなかで、このアルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」と同様の安らぎや安寧を感じるものは、前にも後にも見当たらないように思われる。
同時にそれは、島津亜矢さんの芸風の鑑賞を、この2011年のアルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」を境に、「亜矢節」を前期の芸風と、後期の芸風に分けて、鑑賞するのも面白いと思われる。鑑賞の要となる審美眼の焦点をこのようなところに当てると、「亜矢節」の良さの整理ができてわかりやすい。
このアルバムの立ち位置は、そこにあるようだ。
前期のものは芸に艶と勢いがあり、後期のものは芸に厚みがある。
ただ、その後においてリリースされたカバーアルバム「SINGER」シリーズの軟質物は、島津亜矢さんの歌唱群のなかで芸の美しいアクセントになっている。まるでそれは、お宮に廻(めぐ)らした柴垣の、節々にみえる薔薇の花のようである。

ところで、このアルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」が芸に安寧の欲望を充たす働きをするのは、芸を鑑賞する大衆だけではない。実は、芸を披露する島津亜矢さんにも必要だったのである。
むしろ、後者の方の比重が大きいかも知れない。
というのも、この比重の大きさが芸の著しい進境の原因にもなっているともいえるからである。

 では、この時期の島津亜矢さんに、安寧の欲望がとうして起きたかである。
それは、第二幕目となる外部環境の激変にある。
そして、この環境激変で、アルバム「悠悠~阿久悠さんに褒められたくて~」の生まれる素地が、できたのである。その素地によって、この時期にこのアルバムが生まれるべきにして、生まれたものと思われる。
 そのあたりの探索は、長くなるので次稿に譲ることにする。


 晴れわたる真昼の初鳴き雨蛙 響のよさにこころが踊る